火種
貨物車の横で、ロザリーが胸を張った。
「よし、三千六百着! ——きっちり、納品!」
「本当に合ってんすか、それ!?」トーマスが、驚いて叫ぶ。
「当然さ。数えるのだけは、得意なんだよ」
(……字は、読めないのになぁ)トーマスが、小さく呟く。
「ありがとう、みんな。——完璧だったわ」
「へへっ」
「よくやった。現場は、誇っていい」ヴィンセントが、工員たちを労う。
「給金がいいですからねぇ!」工員が、笑った。
「で、ガブリエル」ロザリーが、こちらを向いた。「そろそろ、アルデンシュタットに戻った方がいいんじゃないかい。アメリちゃんも、お家が恋しいだろ」
乳母車の中で、アメリが、トーマスの持つ布を掴もうと、手を伸ばしている。
「そうね……明日の夜行で、戻ろうと思うの。——でも、なんだか、心配で」
「へえ」ロザリーが、肩をすくめた。「あたしらの働きを見た後に言うなら、ちょっと傷つくね」
「ち、違うの! みんな、こんなに頑張ってくれてて……でも、心が、ざわざわするっていうか」
「ああ、産後のやつかね」ロザリーが笑う。「あるいは——ニッキー不在の、寂しさとか?」
「……そうなのかしら」
そのとき。クラクションが鳴って、工場前に、エドリックの車が停まった。
「ガブリエル! ——夜行の一等席が取れたぞ。快適なやつだ」
「ありがとう」
積荷をざっと確かめて、エドリックが言った。
「……さて。その前に一つ、軍の縫製工場へ行ってほしいんだ。記章を貼る工程を、見ておいてほしい。——そして、できれば、“監督役”も」
「分かったわ。じゃあ、誰か一緒に——」
「はい、あたし行きます!」
ロザリーが、腰に手を当てて、ウインクした。
「アルビオンの軍人さんに、縫い物のイロハを、手取り足取り教えてやるよ。——ね?」
「あ、ああ……助かる」
「…………」
私は、複雑な気持ちで、それを聞いていた。
◇ ◇ ◇
湖岸沿いの道を、車が走る。運転席にエドリック、助手席にロザリー。後部座席で、私はアメリを抱いていた。
「でね、昔あたし、酒場で働いてた頃があってさ」
「ほう。それは、興味深い」
「細かい話は、企業秘密だけどね。——まあ、“生きる知恵”は、そこで全部覚えたよ」
「なるほど。“戦場上がり”というわけだ」
「戦場なんて、ごめんだよ」ロザリーが笑う。「あたしがいるのは、いつも“崖っぷち”さ」
車が、大きな鉄橋に差しかかった。
「この先が、アルビオンってわけかい。——初めて来るよ」
「アルビオンとベルリアを繋ぐ、唯一の陸路です」
私は、腕の中のアメリに、そっと囁いた。
「アメリ。——ここが、あなたのお父さんの国よ」
やがて、車は、軍の工場の門をくぐった。
「お疲れ様です、大佐殿!」
「……うわ。本当に、大佐なんだ」ロザリーが、小声で呟く。
ずらりと整列した兵士たちが、一斉に敬礼する。
「こちらは、同盟国ベルリアからの協力者だ。——礼を」
「うわぁ……背筋が伸びるね。これ、全員、軍人なのかい?」
「いえ。半分は、民間から集めた、縫製要員です」
奥から、高級将校が現れた。
「中将閣下、お越しです」
「君が、ガブリエルか」中将が、鷹揚に頷いた。「フレッド殿から、噂は聞いているよ」
「お会いできて、光栄です。中将閣下」
「詳しい話は、こちらで伺いましょう、閣下。——ガブリエル、こちらへ」
「こっちは、任せときな」ロザリーが、軽く手を振る。「あんたらは、偉い人と喋ってきな」
「お願いね、ロザリー」
アメリの頬をつつきながら、私たちは、それぞれの方向へと散っていった。
◇ ◇ ◇
中将室。大きな机に、戦況図が広げられている。
「戦況は、徐々に改善している」中将が言った。「グラナス帝国の援軍が入り、ハイラント軍を、押し返しつつある」
「本当……? 良かった……」
胸を、なで下ろす。
「それに、だ」中将が、ふっと意味深な笑みを浮かべた。「君にとって——“もっといい報告”も、あるのだが」
「閣下」エドリックが、慌てて咳払いをした。「それは、まだ……」
「ああ、そうだったな。——失礼。口が滑った」
「……?」
私は、首を傾げた。
「ともあれ」中将が、表情を引き締める。「今回の縫製協力は、大変ありがたい。ベルリアへの負担は、できる限り、最小に抑えよう」
「ご配慮、感謝します。——私たちは、中立の立場を守りながら、できる限りのことを」
◇ ◇ ◇
——その頃。工場の現場では。
「そこの糸、引きすぎ! 肩章が、笑ってるよ!」
ロザリーの、威勢のいい声が飛ぶ。
「はい! ご指導、お願いします!」
「縫い物は、もっと柔らかく! ほら、拳じゃなくて、指でやりな!」
——賑やかな、その声の背後で。
一人の男が、作業机の下に、そっと視線を落としていた。
袖口から、小さな工具を取り出す。その手が、音もなく、机の引き出しへと伸びる。
——誰も。彼の手元になど、気づいていなかった。
引き出しの中。布の影に隠れて——粗末な時限装置が、じっと、時を刻んでいる。
男は、そっと視線を上げた。ロザリーたちは、笑っている。工員たちも、笑っている。
「…………」
その眼の奥だけが、氷のように、冷たかった。
工場の窓の外。湖を渡る風が、掲げられた国旗を、はためかせる。
——静かな風の中に。ひとつの、小さな火種が、置かれた。




