奇策
——ブレンナール工場、事務室。
新聞を広げたトーマスが、ぎょっと目を剥いた。
「な、何だこりゃ!」
「何? どうしたんだい」ロザリーが振り向く。
「マリアの過去が、記事になってる!」
「はあ? 詳しく教えな!」
「下衆な書き方だ」ヴィンセントが、舌打ちした。
「何が書いてあるんだよ!」ロザリーが、じれる。「いいから、読み上げな」
——彼女は、字が読めない。
トーマスは、声を落として読み上げた。
「『我々労働組合としては、資本家のお抱え娼婦よりも、労働者への待遇改善を強く要求する』……だと!?」
紙面を睨む。
「この取材を受けてる、ブレンナール繊維労働組合委員長、エティエンヌ・マローってのは——うちの従業員だろ! なんでマリアの過去と、労働協議が、同列に語られてんだよ!」
その傍らで、素知らぬ顔で聞いている男が一人。
「ちょっと、ジャック!」トーマスが詰め寄った。「労働組合の対策は、あんたに頼んでたじゃねえですかい!」
「いや、私も、何が何だか」
ジャックは、とぼける。
「このエティエンヌってのは、とっととクビにしちまえよ」ロザリーが吐き捨てる。
「労組の委員長をそんなことしたら」ジャックが、大袈裟に困ってみせた。「大きなストライキになってしまいますよ」
「さっきから、なんでお前は他人事なんだ!」
トーマスが机を叩いた。ジャックは、下を向いたまま答えない。
——ロザリーは、新聞に写るマリアの写真に、そっと目を落とした。
(……マリア)
◇ ◇ ◇
——ガブリエル邸、執務室。
私は、届いた新聞に、静かに目を通していた。
「仕立てのご依頼、数件、取り消しがあったと。エレナ様より」
執事が報告する。
机の前には、マリアが青ざめて立っていた。
「私の……せいで……こんなことに」
私は、ぱさりと新聞を閉じた。
「——下品で、くだらない記事」
「でも……」マリアが、涙をこらえきれずに言う。「私が過去を隠してきたから……ごめん」
「マリア」
私は、まっすぐに彼女を見据えた。
「過去は、過去よ。そんなもので、あなたは語れない。——あなたを語るのは、今のあなた」
「……っ」
「そして、あなたはうちのトップデザイナーなの。——それ以上でも、それ以下でもないわ」
マリアの唇が震える。
「でも……」
「デザインを、見せて」
「!」
「一応、書いてきたけど……」
差し出されたクロッキー帳を、私はぱらぱらとめくった。
——私はマリアに、週に一冊、デザインを提出するノルマを課していた。まもなく五十冊に届こうというそのクロッキー帳から、これまで数えきれない新作が生まれてきた。
「よくできているけど。——ちょっと今回、守りに入ってるわね」
私は、本棚に並ぶ古いクロッキー帳の一冊に、手をかけた。
「あなたが以前描いたもので——こんな新作を作るのは、どうかしら」
開いた見開きには、大胆な露出と、流れるような曲線の、黒いドレス。
「……でも。今、こんな服を出したら……」
「今だからこそよ」私は言い切った。「攻める時は、今」
「……攻める?」
「次の発表会、記者は押し寄せる。——その場で、世界を黙らせるの」
私は、彼女の目を覗き込んだ。
「あなたは、過去を受け入れて、今の自分を作った、強い女だと——証明するのよ。できる!?」
マリアは、ぐっと唇を結んで、強く頷いた。
「……はい!」
◇ ◇ ◇
——ガブリエル邸、ホール。
集まった記者たちが、一斉に声を張り上げた。
「過去を隠したのは、詐術では!?」
「娼婦の手で縫われた服を、王妃に着せるつもりですか!」
私は演壇に立ち、堂々と見返した。
「今日は、記者会見ではありません。——新作発表会です」
「噂の真相については、答えないのですか!」
「マリア本人は、出ないんですか!?」
動じず、私は微笑んだ。
「——全てを」
すっと、照明が落ちる。会場が、ざわめいた。
「この作品で、答えましょう」
暗い舞台袖から、コツ、コツ、とヒールの音が響く。一つの人影が、ゆっくりと舞台の中央へ歩み出た。
——照明が、当たる。
黒い新作ドレスを纏った、マリアだった。
「……!」
観客が、息を呑む。
大胆に開いた背中のカットライン。歩くたびに流れる裾。いつもより、少し厚めのルージュ。スカートには、深いスリット。
マリアは、余裕のある微笑みで——投げキッスを、ひとつ。
ざわめく記者たちの前で、私は声を張った。
「私たちは、過去も、女性の身体そのものが持つ美しさも、隠しません。——それは全て、我々の武器であり、力だからです」
そして、マリアが、まっすぐに記者たちを見て、口を開いた。
「私は、過去を持っています。——あなた方も、同じように」
一拍。
「けれど、この手は嘘をつかない。——いま縫っているものが、私の、すべてです」
一瞬の、沈黙。
やがて、ぱち、ぱち、と、拍手がさざなみのように広がっていった。記者たちが、黙ってペンを走らせる。
——過去を物語にされるのではなく、未来を自らの布で縫う。
その戦いが、いま、始まったのだ。
翌朝の朝刊は、真っ二つに割れた。
『娼婦のような、恥知らずの新作』
——そして。
『新時代の、女性の象徴』




