労働組合
——ブレンナールでは、繊維工場を中心に、労働組合が生まれつつあった。
酒場の二階。その日、机の上に叩きつけられたのは、王都から届いた朝刊だった。見出しには、こうある。
『麗しの夜——ガブリエル邸に、名士集う』
「見たか! 資本家の饗宴だ!」
横柄に椅子にふんぞり返って吠えたのは、エティエンヌ・マロー。ブレンナール繊維労働組合の、委員長である。
幹部たちが、気まずそうに目を逸らした。
「……でも、委員長」若手のピエールが口ごもる。「うちの工場は、他よりも賃金がいいし——」
「“他よりマシ”が、搾取の常套句だっ!」
エティエンヌが、噛みつく。
壁には、貼り紙。『八時間労働を!』『安全対策の徹底』。
「条件は、この一年でかなり改善されたじゃない、委員長」女性工員のアデルが言った。「託児所の件も進んでるらしいし。——うちは、いい工場だよ」
「何を言っている!」
エティエンヌが、拳を振り上げた。
「市民革命に乗り遅れた我がベルリア国は、貴族制度が存続している上に、資本家まで出てきた。——そのどちらでもない我々は、貴族に、そして資本家に、搾取されるのみの存在だ! だからこそ我々労働者は団結し、革命を起こさねばならん!」
その熱に、周りは圧倒される。
「……革命には、火種が要る」
エティエンヌは、ふいに声を落とした。指先で、新聞の一段を、とんとんと叩く。
「“物語”は、群衆を動かす。——泣ける身の上、転落、裏切り。“聞くも涙、話すも涙”の物語だ」
そのとき。
酒場の壁際で、その話にじっと耳を傾けていた男がいた。うっすらと、下卑た笑みを浮かべて。
「……物語なら」
男——ジャックが、口を開いた。
「私が、持っている」
◇ ◇ ◇
「私はね。あの会長様の、元ご亭主だ」
酒場の隅で、ジャックは芝居がかった身振りで語りだした。
「本当なの?」アデルが、ざわめく。
「聞けば泣くぜ。愛も、職も、家も、失った。——理由? それはさ」
「続きは、記者の前で話せ」
エティエンヌが遮る。入り口の影から、一人の男が現れた。
「どうも」
「ペンは剣より強し。革命を起こすなら、まずは民意の形成を」
カミーユ・デュラン。左翼系の新聞『ラ・ブレンナール』の記者だった。
「任せてくれ」ジャックが、身を乗り出す。「あの女のことなら、何でも知っている」
三人の勢いに、ピエールとアデルは、ただ戸惑うばかりだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。街角で、号外売りが叫んだ。
「女商会長の冷酷! 元男爵の夫が、告発——!」
だが。
工場の門前でそれを手に取った工員は、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。
診療所の前では、カトリーヌ基金の炊き出しに、長い列ができている。
「ここのスープは、本当に助かるよ」
託児所では、子供たちが笑っていた。
「仕事を続けられるのは、ここがあるからよ」
パン屋の店先で、新聞を畳んだ男が呟いた。
「書いてあるほど、悪どくはねえよ。あの人は」
——左翼活動家たちの目論見は、外れた。
かつてガブリエルが立ち上げたカトリーヌ基金は、この街の人々にとって、なくてはならない慈善だった。さらにブレンナールの工場は、この街に雇用を生み、街を活気づけていた。基金と雇用をこの街にもたらしたガブリエルを非難する者など、ここにはほとんどいなかったのである。
◇ ◇ ◇
「あの女め……! なんて狡猾なんだ」カミーユが、歯噛みする。
「奴は、分厚い偽善の化粧を施してる」エティエンヌが苛立った。「それを剥がす、溶剤が要る」
「溶剤? あるさ」ジャックが、唇を歪めた。「あの連中の素顔を晒せばいい。——ロザリー、トーマス、ヴィンセント。“三悪”の履歴書だ」
「三悪?」
「債権の取り立て、脅し、賭博。——私がどれほど酷い目に遭ったか」
「工場の経営幹部が、町のゴロツキだったと書けるか」エティエンヌが食いつく。
「……だめだな」カミーユが首を振った。「そいつらは、“成功者”とまでは言えない。読者が求めるのは、成功者の失墜なのだから」
「だったら」ジャックが声を落とした。「——マリアは、どうだ」
「マリア?」
「ああ。今でこそ、気鋭のファッションデザイナーなんてもてはやされているがね。奴は、三悪と同じ穴の狢。——いや、それどころか、もっと穢らわしい存在だ」
ジャックの、醜く歪んだ顔。
「あの女は……街の裏通りに、立っていたんだよ」
「そんな過去を、新聞に載せるつもり!?」アデルが顔を曇らせる。
「聖女像を崩すには」エティエンヌが拳を握った。「過去の石を投げるのが、早い」
「ふむ」
カミーユは、原稿用紙に、大きな見出しを書きつけた。
『美の革命の影——“妻女”が隠す、醜悪な過去とは!?』




