おめでた
「お話を伺った症状と、触診の結果から申しまして」
診察室。濃い色のジャケットを着た医師が、カルテを手に、私の前に座っていた。
「まず間違いなく——ご懐妊で、ございます」
「……本当に?」
「おそらく、六週から十二週のあいだ。今のところ、ご体調に大きな問題は見られません。つわりも軽いご様子。無理をなさらなければ、当面、日常生活に支障はないでしょう。——ただし、重い物はお避けください」
医師が、柔らかく微笑む。
「おめでとうございます、奥様。良い知らせを、ご家族にも」
——病院を出ても、私はしばらく呆然としていた。
告げられても、なかなか実感が伴わない。ほんの一年余り前まで、子供どころか、結婚さえ考えていなかったのだ。
私は、三十一歳になっていた。
◇ ◇ ◇
「——ということなの」
カートライト商会の会議室で打ち明けると、エレナとマルコスは、あっけにとられた顔をした。
「……とても、おめでたいことだと思うけど」エレナが、戸惑いながら言う。「他の人に内密って、どういうこと?」
「ま、まさか」マルコスが青ざめた。「産まない、なんてことを考えているんじゃ——」
「もちろん、産むわ」私は、そっとお腹に手を当てた。「カートライトの跡取りよ。結婚した以上、私にはこの子を無事に産む義務がある。——ただし」
二人に、向き直る。
「私には、ガブリエル商会とカートライト商会。この二つも、同じくらい大切なの」
「!」
「ニッキー不在の今、急に妊娠を告げれば、みんな不安に思う。——発表するのは、組織を安定させてからよ」
「フレッド会長には……」
「これから手紙で伝えるわ。ニッキーは、所属が決まるまで手紙も届かないでしょう。だから——彼がその手紙を受け取る頃には、安心できる組織基盤を作っておきたいの」
私は、深く頭を下げた。
「どうか、二人とも。協力して!」
「……分かったわ」エレナが頷いた。「なんでもする。——ただし、元気な赤ちゃんを産むのが最優先。それだけは、忘れないで」
「うん。ありがとう」
こうしてエレナとマルコスを、それぞれの商会の副会長として。組織の再編が、静かに始まった。
——が。
◇ ◇ ◇
クレシェント夫人の邸宅。
「それで、今考えている新作がさ〜」
「ええ」
私とマリアが新作の話に花を咲かせていると。少し離れた席で、ミランダが——フォークを持ったまま、じっと私を見つめて、固まっていた。
「……お母様?」
様子のおかしいミランダに、私とマリアは顔を見合わせる。
「ちゃんと、ママにも一着仕立てますから」
「そうよ、ママ」
「ガブリエル」
ミランダが、ぎろりとダイヤモンドの瞳を光らせた。
「あんた。——なんか、私に言うことがあるんじゃないのかい?」
「……っ」
固まる私。事情を知らないマリアだけが、きょとんとしている。
◇ ◇ ◇
しばらくして。ミランダは、フォークで肉をバクンと頬張ると、満足げに言った。
「なるほどね。——ようやく、落ち着いて飯が食えるよ」
「まじかよ」マリアが、私を見て目を丸くする。
「お願い、お母様、マリア! この事は、みんなには——」
「だめだね」
ミランダは、フォークを置いて、腕を組んだ。
「私は子を産んだことはないが、それでも分かる。——子を授かり、無事に産むのは、事業を一つ成功させるより難しいんだ」
身を乗り出す。
「しかも、お前は若くないのに初産。無理をして流産にでもなったら、ニッキーにどう顔向けするんだい?」
私は、黙り込んだ。
「店の近くに、空き家がある。——すぐに、引っ越しな」
「えっ!?」
「腕利きのメイドも執事も揃えてやる。マリア、あんたも一緒に住んで、支えな」
「お母様、それは一体——」
「言っとくが、タダじゃないよ」ミランダは、にやりと笑った。「あんた、たんまり溜め込んでるんだろう? 金ってのは、こういう時に使うんだ」
——こうしてミランダの言葉に押し切られる形で、私の引っ越しは決まった。
高い門扉。庭には噴水。それは、これまでの暮らしからは想像もできないほど——豪奢な家であった。




