カタリナで
甲板で帽子を押さえていると、船員の声が響いた。
「まもなくカタリーナ港に着きます! 停泊時間は、八時間です」
アルビオンからベルリアへの船旅は、その途中にあるカタリナ王国の港町を経由しながら進んでいく。
「ガブリエル様!」
振り向くと、すっかりおしゃれをしたフランチェスカが、手を振っていた。
「行きましょう!」
腕を組んで、二人でデッキを降りる。船を降りた先には、石畳の美しい港町が広がっていた。
——奇しくも船上で知り合った私たちは、港に着くたび、こうして連れ立って出歩き、交流を深めていった。
「この港町は、カタリナ王国でもいちばん発展しているんですって。お店も多いそうですよ」
それは、新婚旅行の途中で夫と離れた私にとって心の慰めになり、そして同時に、新たな商売の仕込みにもなった。
「素敵な紋様だと思いません?」
「ええ。うちの新作に取り入れようかしら」
気づけば、二人して大量に買い込んで、店主を慌てさせている。
雰囲気のいいカフェでお茶をしながら、私は笑った。
「結局、仕入れみたいになっちゃったわね」
「私も、新しい香料を見つけちゃいました」フランチェスカも楽しそうだ。
「でも、ありがとう。あなたが声を掛けてくれたから、この旅が楽しくなったわ」
「!」
フランチェスカが、ふいにもじもじと口ごもった。
「あの……」
「何?」
「聞いていいのか分からないんですけど。——どうして、ニッキー様は来られなかったんですか?」
◇ ◇ ◇
「……そう。ニッキー様は、兵役に」
事情を聞いたフランチェスカが、恐縮したように目を伏せた。
「なんだか、言い出しにくくて。……変な時に、ごめんなさい」
「そんな。早く言ってくれれば、よかったのに」
「なんだろう。口に出すと、不安が強くなりそうだったの」私は海の方へ目をやった。「戦争って、まだ実感がなくて」
「で、でも」フランチェスカが、一生懸命に言う。「そんなに心配することないと思うんです。ハイラントがアルビオンに攻め込んでくるとしても、まだ一年以上はかかるはず。——だから、戦争が始まる前に、ニッキー様の兵役は終わりますよ」
勇気づけるように、彼女は私の手を握った。
「……私はずっと、戦争が始まらないことを願ってるわ」
「! そ、そうですよね! 戦争なんか、ずっと始まっちゃだめですよね!」
慌てて手を離そうとするフランチェスカ。けれど私は、その手を離さなかった。
「ふふっ」
「……?」
私は微笑んで、彼女を見つめた。
「あなたって、本当に素敵な人」
「???」
みるみる、フランチェスカの頬が赤くなる。
「あー。なんでニッキーは、私なんかを選んだのかしら」
親指で、そっと彼女の手をなぞる。
「私、あなたが好きよ」
「が、ガブリエルさんっ!?」
真っ赤になって固まるフランチェスカがおかしくて、私は手を離して笑った。
——フランチェスカは、本当に可愛い娘だった。ひとまわり下のこの娘とは、それからも長く、交流を持つことになる。
◇ ◇ ◇
——ところが。
旅を終えて会社に戻ると、私の商会は、とんでもないことになっていた。
すでに新聞で、こう発表されていたのだ。カートライト商会ベルリア支社長と、ガブリエル商会の会長を、このガブリエルが兼任する、と。
ビルの前で、サングラス姿の私を、新聞記者たちが取り囲んだ。
「ガブリエルさん! 夫のカートライト商会を、ガブリエル商会が乗っ取ったという噂は、本当ですか!?」
「ちょっと、退いてください!」
マルコスたちに守られながら、私は車に乗り込む。走り出した車を、なおも記者が追いかけてきた。
「ちょっと。旅から帰って早々、どういうことなの?」
「フレッド会長が、先回りで発表したそうです」
「冗談じゃないわ、乗っ取りなんて! カートライト商会は、マルコスさんが経営すればいいのに」
「でも、ニッキーの願いでもあるんだぞ?」
「……」
その一言に、私は黙るしかなかった。
——それから私は、慣れないカートライト商会の経営を、必死でこなした。もちろん、ガブリエル商会の仕事も手を抜かない。
私が旅に出ているあいだに発表された、マリアデザインの新作は——あの“解放の黒”を超える、大ヒットとなっていた。
忙しくとも、充実した日々。
——そんな日々の中で、私の身体に、一つの変化が起こった。
口元を押さえ、こみ上げる吐き気に、私は席を立つ。
「——失礼」




