新しい取引
船上のラウンジ。昼下がりの光の中で、私とフランチェスカは、テーブルを挟んで向かい合っていた。彼女の背後には、部下の男たちが控えている。
「では、ほんの一部ですが——」
フランチェスカが、ポーチを開ける。テーブルの上に、次々と、美しい小瓶が並んでいった。
まず手に取ったのは、チューブ型の瓶。
「これは、白檀香のハンドクリーム。東洋から取り寄せたエキスを使っていて、香りが爽やかなんです」
「原材料を、東洋から?」
匂いを嗅ぎながら、私は驚いた。
「ええ。最近、父は開運事業まで手がけていますので……その伝手で」
彼女は、小さな象牙調の容器を、そっと私の前に差し出した。
「そして、これが自信作」
蓋を開けると、なめらかに光る紅色のバームが覗く。
「椿色の肌——“カメリア・カラー・ティント”」
「……これは?」
「椿油と紅花、それにほんの少しのカルミンを。唇にも頬にも使えるティントですわ。——体温で、色が変わるんです」
指先に少し取って、頬に軽くのせてみる。
「……体温で、色が変わる?」
「ええ。肌に馴染んでから、ほんのり血色が出てくるように設計していますの。——生きた女性の、“内側から”の艶を目指して」
鏡で自分の頬を見ると、自然な艶と紅が差していて、私は思わず息を呑んだ。
「……これは、すごいわ」
◇ ◇ ◇
「市場のテストでも、非常に好評です」部下の一人が、椅子を持ってきた。「顔色は、女性の命ですからな」
「これらの原価率は、二十一パーセント。生産は主に、地方の修道院と提携しています」
(……本当に、ちゃんと事業化されてる)
「あと、これは“朝摘みローズ”のリップカラー。天然染料だけで、この発色なんです!」
「……素敵な色ね」私は感嘆した。「これ、全部ご自身で?」
「もちろん、原料の仕入れや処方は従業員に任せていますけどね」フランチェスカは、少し胸を張った。「でも、グランドコンセプトは、私が考えました。——“戦争の足音がする時こそ、香りと色で気分転換を”ってね」
その言葉に、私は返す言葉を失った。
「……あの。どうしてフランチェスカさんは、商売を?」
不意に問うと、彼女は一瞬きょとんとして、それから真面目な顔になった。
「……正直に、言いますね」
まっすぐに、私を見る。
「貴女のように、なりたいと思ったのです」
「な、な、な——何を言ってるんですか!」私は慌てた。「あなたは、エミュール商会のご令嬢ですよ。うちなんか、それに比べたら、拭けば飛ぶような存在です」
◇ ◇ ◇
「この船に、ニッキーは?」
「!」
私は、気まずさに目を伏せた。
「……いえ。一人旅ですわ。ニッキーは、アルビオンに」
「え、そうなんですか?」
途端に、フランチェスカは心底ほっとした顔になった。
「よ、良かった〜。いつ現れるのかと、ヒヤヒヤしてたんです」
「え?」
「だって、気まずいじゃないですか。ニッキーは貴女を選んだし。——そもそも私を、女だとも思ってなかったんですもん」
「……傷付き、ましたよね」
「はい。だから——貴女のこと、沢山調べました!」
「!」
フランチェスカは、まるで演劇のように、身振り手振りを交えて語りだした。
「いったい、ニッキーをたぶらかしたのはどんな女なの? お店をやってるって聞いたけど、どんなお店なの? って。——それで、お店にも何度も通って」
「え、そうだったんですか?」
「はい! そしたら私、貴女のお店の大ファンになっちゃって」
彼女は、いたずらっぽく笑った。
「で、私も貴女のようになりたくて……いえ」
一拍、置いて。
「——貴女を、越えたくて。商売を、始めたんです」
——ああ。
まっすぐに挑戦状を叩きつけてくる、この若い女性が、私にはまぶしく思えた。そして、この娘の商売を金持ちの道楽だと見くびっていた自分を、恥じた。
「フランチェスカさん」
私は、席を立った。そして、手を差し出す。
「——ぜひ、取引を、しましょう!」




