ずっと二人で
——この会場のどこよりも、その席だけが、私にとって重かった。
壇の正面。最も上等な、たった一つの区画。
けれど私は、まだそちらを見ない。逸る心を抑えて、まずは客席の一角へ目を向けた。
「また」
声が、震えないように。
「この式に、たいへんな労力を払って協力してくれた——妹の、アンネリーゼにも、お礼を言わせてください」
夫と、二人の息子を伴った妹が、はっと顔を上げる。
「ありがとう」
「……お姉様」
あの子は目を潤ませて、口元を押さえた。
——アンネリーゼは、この晴れの舞台のために、数えきれないほどの貴賓を招いてくれた。
伯爵夫人としての立場を使い、頭を下げ、無理を通し。かつて私が距離を置いていた妹が、姉のために走り回ってくれたのだ。
そして。その中に、たった一人だけ。
どうしても来ていただかなければ、この祝祭が意味をなさない方が、いた。
私は、ゆっくりと客席の中央へ向き直る。
心臓が、耳の奥で鳴っている。
——いてくださいますか。
顔を、上げた。
「そして本日は——我が国の、王太子殿下にも」
会場が、どよめいた。
「ご臨席を、賜りました」
その席は、埋まっていた。
ベルリア王国、王太子アラン・マンダール殿下。そして、王太子妃セシリア・マンダール殿下。
私は、腰が折れるほど深く一礼した。
「王太子殿下。妃殿下。本日、私たちの小さな挑戦に足をお運びいただき、誠にありがとうございます」
◇ ◇ ◇
顔を上げる。声を、張る。
「——本来、美しいドレスとは、特権階級だけのものとされてきました。ですが」
ひと呼吸、置いた。
会場が、静まり返っている。
「私たちは信じています。美しさは、すべての人の手に届くべきものだと」
パージたちの席のあたりが、固唾を呑むのが分かった。ミランダとフレッドが、緊張で身を硬くしているのも。
「そんな私たちの思いを汲んでいただき、このたび——」
——ねえ、みんな。聞いて。
不意に、遠い日の光景が、まぶたの裏に蘇る。
まだ何者でもなかった頃。家も、店も、金も奪われて、それでも私は、狭い工房で仲間たちに向かって大見得を切ったのだ。
『——私たちの商品はね。いつか、王室御用達商品に選ばれるのよ!』
あの日、パージは笑わなかった。ミシェルもナタリーも、ただ黙って聞いていた。
叶うはずのない夢だと、誰もが分かっていたから。
——今日。
私は、それを、果たす。
「——私たちの商品の一部が」
息を吸って。
「王室御用達に、選んでいただけましたっ!!」
その瞬間。
会場が、爆発したような歓声に、飲み込まれた。
◇ ◇ ◇
「つまり」
歓声の中、私はなお、声を張り上げた。
「この百貨店に来れば、誰もが身分に関係なく、王室の方々と同じ品を身につけることができるのです」
王太子ご夫妻が、惜しみない拍手を送ってくださる。
それを合図に、客席の人々が次々と立ち上がった。貴族が。商人が。市民が。拍手が、波のように会場じゅうへ広がっていく。
「……マジかよ」
パージが、呆然と呟いていた。その目が、みるみる赤くなっていく。
「まさか」彼は、ミシェルとナタリーを振り返って、くしゃくしゃの顔で笑った。「あの時の約束を、自分の結婚式をダシにして叶えちまうとはな」
「しっかし」ミランダが、肩をすくめる。「結婚式が、すっかり商品の宣伝じゃないか。情緒も、へったくれもありゃしないね」
「なあに」その隣で、フレッドが豪快に笑った。「カートライトの嫁として、頼もしいことこの上ない」
並んで立つ、私とニッキー。
彼が、そっと私の手を握った。
——こうして私たちは夫婦になり、カートライト百貨店は産声を上げた。
◇ ◇ ◇
その日から、百貨店は連日、満員御礼。
やがてここは王都アルデンシュタットの新たな名所となり、そこに店を構える私の商会もまた、王都の名店と呼ばれるようになった。
新しい店を三つ出した。売り場を広げた。夜を日に継いで働いて、それでも足りないほどに、注文は増え続けた。
——慌ただしくも幸福な日々のうちに、一年の月日が、あっという間に過ぎていく。
そして。
ようやく私たちは、遅すぎた新婚旅行に出ることにした。行き先は、海の向こう。ニッキーの故郷、アルビオン共和国。
ただ羽を伸ばすだけの、穏やかな旅。
——そのつもりだった。
◇ ◇ ◇
今でも、時折思い出す。
あの日の会場を。拍手を。五人の親の顔を。仲間たちの、笑い声を。
私は、あの日、すべてを手に入れた。
——だから、知らなかったのだ。
あの晴れの日に、あの部屋で笑っていた人々のうち、幾人かは。
——数年後には、もうこの世にいないということを。
ここまでで第六部・栄華編が完結です。
ガブリエルの物語は、まだ半分にも達していません。この先、彼女は戦争と、喪失と、その先の時代を生きていきます。
よろしければ、最後まで見届けてやってください。




