新時代
——王都アルデンシュタット、かつてない祝祭の日。
カートライト百貨店の最上階には、各国から、あらゆる階級の来賓が詰めかけていた。玉座のような貴賓席には王侯貴族。その向かいには、革命と商売で成り上がった新しい富豪たち。本来なら、決して同じ部屋で酒を飲まない人種が、今日この一室に押し込められている。
舞台袖で、私は震える指を握り込んだ。
「……ガブリエル。あんた、顔が真っ青だよ」
隣で、マリアが呆れたように言う。
「そう見える?」
「見えるね。花嫁の顔じゃない」
——そうだろう。
これから始まるのは、結婚式ではない。
新作のドレスを、生きた人間に着せて、客の目の前を歩かせる。ただそれだけの、誰もやったことのない見世物。私が「ファッションショー」と名づけたそれは、この世界のどこにも前例がない。
もし。
貴族の誰かが「下品な余興だ」と鼻で笑えば。それが一つでも聞こえれば、この会場の空気は一瞬で凍る。私たちの服は「花嫁が自分の店の宣伝をした、はしたない品」として記憶される。
——王都じゅうの婦人が、二度と袖を通さなくなる。
築き上げてきたものが、今日、この十分で消える。
「……マリア」
「なんだよ」
「怖いわ」
正直に言うと、マリアはぽかんとして、それから鼻を鳴らして笑った。
「知ってるよ。あたしだって膝が笑ってる」
彼女は、深く開いた背中を私に向けて、すっと背筋を伸ばした。
「でもさ。怖くて震えてる女の服なんか、誰が着たいと思う?」
「……そうね」
「胸張って歩きな。あたしらは、そのために縫ってきたんだ」
音楽が、変わる。
◇ ◇ ◇
最初に舞台へ出たのは、エレナだった。
深い黒のドレス。裾が長く、けれど動きを一切邪魔しない。歩くたびに絹がさざめき、天井から吊られた光を吸い込んでは、静かに返す。
——十年、喪服を脱げなかった女。
夫を悼むためだけに黒を着続けた彼女が、今、同じ黒を纏って、何百人の視線の中を歩いている。
会場が、静まり返った。
(……笑われる)
血の気が引く。誰も、拍手をしない。
だが。
それは嘲笑の沈黙ではなかった。皆、ただ息を呑んでいたのだ。この世界の誰も、女が舞台の上を歩くだけの光景を、見たことがなかったから。
次に出たのは、ロザリー。
かつて私から夫を奪い、店を奪い、すべてを取り上げようとした女。あの日、雨の中で私が失ったものを、今は同じ腕で作り出している。堂々と胸を張ったその歩き方は、工場を束ねる者の歩き方だった。
そして——マリア。
裏通りに立っていた過去を、誰にも言えずにいた娘。彼女が舞台の中央で足を止め、ゆっくりと客席を見回した瞬間。
——ぱち。
どこかで、一つ、拍手が鳴った。
それが呼び水になった。ぱち、ぱち、ぱち、と。さざなみのように広がって、やがて割れるような拍手が、会場を満たしていく。
貴族が。ブルジョワジーが。立ち上がっていた。
——これは、新しい時代への交差点だ。
家柄が人の価値を決めた時代から、才覚と労働が人の価値を決める時代へ。その境目に、今、私たちの服が立っている。
「——さあ、行こうか」
光を背に、ニッキーが手を差し伸べた。
ティアラの重みを額に感じながら、私はその手を取る。
「ええ」
歓声が、地鳴りのように会場を揺らした。
◇ ◇ ◇
司祭の前での誓い。指輪の交換。ありふれた儀式を速やかに済ませ——そして、唇を重ねた。
その熱が冷めやらぬうちに、私は壇上へ進み出る。
ずらりと並んだ、無数の顔。その一つひとつを見渡して、私は口を開いた。
「本日は。私たちの結婚式、並びに、このカートライト百貨店の開業という特別な日を、皆様とともに迎えられることを、心から嬉しく思います」
声が、広間の隅々まで染みわたっていく。
「まずは——ここまでともに走り抜いてくれた、従業員のみんな」
客席の一角で、大きなお腹を抱えたナタリーが、ミシェルに支えられながら笑顔で手を振っている。その隣ではパージが、もうすっかり出来上がった顔でレオンと肩を組んで叫んでいた。ソフィー。シレーヌ。シャルロッテ。ヴィンセントとトーマス。
——みんな、そこにいた。
「取引先の皆様。そして、お客様。——本当に、ありがとうございます」
私とニッキーは、深々と頭を下げた。
「それから」顔を上げて、私は続けた。「ここまで私を育ててくれた、両親にもお礼を言わなければなりません」
ふっと、いたずらっぽく笑ってみせる。
「ちなみに私には、なんと五人も親がいるんです」
客席が、ざわっとどよめいた。
「まずは、幼い頃に亡くなった実の母と——」
そこで、私は言葉を止めた。
客席の隅。目立たない席で、小さくなって座っている白髪の男。
十年、憎み続けた人。今朝、抱きしめたばかりの人。
喉の奥が、詰まる。
「——男手ひとつで、私を育ててくれた父」
父が、そっと目を伏せた。その肩が、わずかに震えたように見えた。
「商売を始めたとき、私を励まし、軌道に乗せてくれた、今は亡きカトリーヌ夫人」
ベルモンド行政官が、夫人の遺影を、高く掲げてくれた。
「私に、商売と人生の厳しさを叩き込んでくれた、ミランダお義母様」
子供たちを従えたミランダが、ふん、と鼻を鳴らして、けれど満更でもなさそうに笑う。
「そして——こんな私を、快くカートライト家に迎えてくださった、フレッド会長」
執事を従えたフレッドが、大きく頷いた。
「皆様に鍛えられ、育てられて。ガブリエルは今日、愛する夫とともに、この場所に立っています」
胸の奥が、熱い。
「本当に——ありがとうございますっ!」
その瞬間、会場が、割れんばかりの歓声に包まれた。
◇ ◇ ◇
——けれど。
深く下げた頭を上げながら、私の目はもう、別の場所を見ていた。
会場の正面。この日のために、妹のアンネリーゼが持てるすべての伝手を使い、無理を承知で押さえてくれた、たった一つの席。
あの席が埋まっているかどうか。それだけが、この祝祭の本当の勝敗を決める。
心臓が、痛いほど鳴っていた。
——かつて私は、何者でもなかった頃に、仲間たちの前で大見得を切ったことがある。
あの日の約束を、私はまだ、果たしていない。
けれど今日。この場所で。
私は、それを果たすつもりでいた。




