表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
67/73

恋を知った日

「私が、心から愛している、女性だと」


ニッキーの言葉が、部屋に、残響していた。


私は、動揺を隠せずに、うつむいた。


「ど……どうして、私なんですか」


「それは。ガブリエルさんが、素晴らしい方だから」


「そうじゃ、なくて」


私は、髪の先を、意味もなく、いじった。


「ビジネスパートナーとしてなら……私たち、合っていると、思います」


「はい。それは、同感です」


「でも。生涯の伴侶として、見たら——ニッキーさんのお相手は、やっぱり、私じゃ、ない気がして」


「僕が」


ニッキーは、引かなかった。むしろ、さらに、押してきた。


「僕が、あなたを、望んでいるんです。あなたが、いいんです」


「……っ」


「ガブリエルさんと、歩みたいんです」


その言葉が、一つ、また一つ、私の奥の、柔らかいところに、刺さっていく。




——ガブリエルは、恋を、したことがない。


幼い頃から、家の手伝いに、追われていた。父の愛情も、母の関心も、いつだって、妹のほうにばかり、注がれた。男の人と、自然に言葉を交わす機会なんて、ただの一度も、なかった。


やがて、義務のように、嫁いだ。義務のように、尽くした。そして、あっけなく、終わった。あの結婚に、ときめきなんて、ひとかけらも、なかった。


恋というものは。ナタリーやミシェルのように、自分の知らないところで、自分以外の、幸運な人たちが、繰り広げるもの。私には、一生、縁のないもの。ずっと、そう思って、生きてきた。


だから——今。


目の前で、こんなにもまっすぐに、「心から愛している」と告げられても。私は、それを、どう受け取ればいいのか、わからない。


ただ。


胸の、いちばん奥から。じわり、と、湧き上がってくるものが、あった。


たとえるなら——黄金色の、衝動。


商売がうまくいったときの、あの誇らしい高揚とも、また違う。もっと、甘くて、頼りなくて、こわいくらいに、あたたかい、何か。


——ああ。


私は、ようやく、気づいた。


これは。私にとって、生まれて初めての——恋、だったのだ。




◇ ◇ ◇




「へえええええ! ニッキーのお父さんと、会うことにしたんだ!?」


エレナが、目を丸くした。


「う、うん」


私は、恥ずかしさに、うつむく。リビングのテーブルを挟んで、私たちは額を寄せ合っていた。


「きゃーーー! じゃあ、ニッキーと、いよいよ、くっつくのね!」


「そ、そんなの、分かんないわよ。ニッキーのお父様が、きっと、反対なさるわ」


「ニッキーは、なんて言ってるの」


「……絶対に、認めさせる、って」


「うーん」エレナが、頬に指を当てる。「大丈夫かなあ。怖いお父様に反対されて、それでも、あなたを守ってくれるかしら。ニッキーって、ちょっと、頼りないところ、あるじゃない」


「そんなこと、ないわよ!」


気づいたら、声が、跳ねていた。


「ああ見えて、ニッキーさんは……商談になると、すごく、頼もしいところが、あるんだから!」


「……そんなに、ムキにならなくても」


「!」


エレナが、にまり、と笑った。


「もう。あなたも、すっかり、ニッキーを、愛しちゃってるじゃない。焼けるわ〜」


「な、な、な——」


「エレナさーん。カボチャパイ、焼けましたよ」


ひょこ、と顔を出したのは、エプロン姿のマルコだった。


「ありがと、マルコ!」


「…………」


私は、思わず、二人を見比べた。


「……あの。マルコって、もう、ここに、住んでるの?」


「そういうわけじゃ、ないわよ!」エレナが、ぱたぱたと手を振る。それから、いたずらっぽく、マルコを横目で見た。「ただ、彼が、私に首ったけで——なかなか、家に帰ろうとしないだけ」


「エ、エレナさんっ!」


真っ赤になるマルコが、おかしくて。張りつめていた気持ちが、少しだけ、ほどけた。


「大丈夫よ、ガブリエル」


エレナが、ふいに、優しい声で言った。


「あなたとニッキーは、お似合いよ。それに——お互い、ちゃんと、愛し合ってる」


「……っ」


「だったら。お父様どころか、神様だって、反対なんか、できやしないわ」


エレナは、にっと笑って、私の背を、ぽんと叩いた。


「頑張って、いってらっしゃい。——しっかり、おめかしして、いくのよ」


「……ありがとう。エレナ」




◇ ◇ ◇




そして。ニッキーの父との、会食の日が、やってきた。


車で迎えに行く、というニッキーの申し出を、私は、固辞した。待ち合わせのレストランまで、一人、歩いて向かう。


——道すがら、もう一度、自分の気持ちを、整理しておきたかった。


どっ、どっ、と。心臓が、うるさい。


——ああ。なんだか、とても、緊張する。


ニッキーのお父様は、一代で、カートライト商会を、アルビオン最大の商店にまで、育て上げた人。


——商人同士。商売の話なら、案外、分かり合えるかもしれない。それとも——。


考えながら、角を曲がった、そのとき。


レストランの、前で。


「——冗談じゃない! ちゃんと、手紙で、お伝えしたじゃないですか!」


聞き慣れた声が、荒々しく、響いた。ニッキーだ。


「こんなこと、ガブリエルさんに、失礼すぎますよ!」


「……ニッキー?」


私が駆け寄ると、ニッキーが、はっと振り返った。


「! ガブリエルさん」


「どうしたんですか、ニッキーさん」


「すみません……父が、とんでもないことを」


そのとき、私は、ニッキーの向こうに——立っている、巨大な人影に、気づいた。


ゴゴゴ、と。空気そのものが、重くなるような威圧。鉄のステッキ。岩のような肩。


——もしかして。この方が、ニッキーの、お父様……?


「は、初めまして。私、ガブリエルと……」


震える声で、頭を下げかけた、私に。


その人——フレッド・カートライトは、にこりともせず、言い放った。


「悪いが、君。今日は、帰ってくれるかね」


「父さん! 何を言い出すんだ!」


「息子は、これから、見合い相手と、食事をするのでな」


「父さん!」


フレッドが、すっと、手を差し伸べた、その先。


「さあ——フランチェスカ嬢。中に、入ろう」


ニッキーの叫びも、どこか遠くに聞こえた。


呆然とする、私の前に。


しずしずと、進み出てきたのは——艶やかな、黒髪の。


息を呑むほど、美しい、令嬢の姿だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ