表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
66/73

流される

マンダール広場に面した、私の事務所兼自宅。そこはこのところ、何台ものミシンが並ぶ、立派な工房と化していた。


がっちゃん、がっちゃん。朝から晩まで、布を縫う音が、絶え間なく響いている。シレーヌ、ソフィー、シャルロッテ。雇い入れた女工たちに混じって——ここ数日、私自身も、その一台に、かじりついていた。


表向きの理由は、「ミシン技術の向上のため」。社長たるもの、現場の仕事も知らなくては、という、もっともらしい口実だ。


——本当は、違うのだけれど。


「はい、これ」


縫い上げた一着を、隣のシレーヌに手渡す。彼女は、しげしげとそれを検分して、感嘆の息を漏らした。


「はーー。会長も、ずいぶん、お上手になったもんですねえ」


「本当!? シレーヌにそう言ってもらえると、信じちゃうわよ」


「お世辞なんかじゃ、ありませんよ」


シレーヌは、長年、貴族相手に数えきれないドレスを仕立ててきた、筋金入りの職人だ。その彼女が、まっすぐに言う。


「会長はもう、一流の職人ですわ」


「ありがとう!」


けれど、シレーヌは、ふと針を止めて、私を見た。


「……でも、いいんですか、会長」


「?」


「ここ数日、工房にかかりっきりで。お店にも、カートライト商会にも、ろくに顔を、出していらっしゃらないでしょう」


「……っ」


図星を、突かれた。


「ちょ、ちょっとくらい、エレナに任せても、大丈夫よ」わざと明るく言って、私は次の布を手繰り寄せた。「さ、もう一着、仕立てるわよ〜」


「…………」


シレーヌは、何も言わず、また針を動かしはじめた。


——ミシンは、いい。


がっちゃん、がっちゃん。一定の音に頭を預けていると、何も考えずに済む。布の目だけを、追っていればいい。


そうしていないと、すぐに、あの人の顔が——ニッキーの、あのまっすぐな目が、浮かんでくるから。


ぶんぶん、と頭を振って、私はそれを追い払った。


「ガブリエルさん!」


シャルロッテが、工房に駆け込んできた。


「どうしたの、シャルロッテ」


「表に……」


その先を聞く前に、私の心臓が、嫌な予感に、ひとつ跳ねた。


「ニッキーさんが、いらしてます」


——どくん。


私は、平静を装って、針を置いた。けれど、膝の上に置いた手だけが、自分でも気づかぬうちに、きゅっと握り込まれていた。




◇ ◇ ◇




工房に現れたニッキーを、若い女工たちが、頬を染めて、横目で盗み見ている。仕立てのいい上着に、誠実そうな面立ち。まあ、無理もない。


「どうぞ、こちらに」


私は、工房の隅のテーブルへ、彼を案内した。


「ありがとうございます」


向かい合って、座る。


「きょ、今日は、なんの御用でしょう」


「……ずっと、お目にかかっていなかったので」ニッキーが、少し気まずそうに、横を見た。「エレナさんに、あなたのことを聞いてみたら——体調を崩している、と」


「はい?」


「それで、エレナさんから、見舞いに行くべきだと、勧められたんですが……」


——もう!


私は、心の中で、頭を抱えた。今、ニッキーとどう接していいか分からないから、エレナに相談したのに。あの人ったら。


意地悪く笑うエレナの顔が、ありありと浮かぶ。


——エレナ。あなた、絶対、面白がってるわね!?


「ガブリエルさん」


ニッキーの声が、ふいに、低く、真剣になった。


「!」


「私の気持ちは、あのときから、何も変わっていません」


ぴし、と空気が、張りつめる。


「どうか——ガブリエルさんの、お気持ちを、聞かせてくれませんか」


工房中の手が、止まった。女工たちが、息を呑んで、こちらを見ている。


「ちょ……っ」


私は、かあっと、赤くなった。


「しょ、職場で、そんなお話は、困ります……!」


「す、すみません」ニッキーも、はっと我に返る。「そ、外に、行きますか」


「いえ、業務時間中ですので」


それも違う。私は、ほとんど反射で、口走っていた。


「う……上の、私の部屋で、お話、しましょう」




◇ ◇ ◇




「おお。景色がよくて、素敵なお部屋ですね」


私の部屋に通すと、ニッキーは、窓の外を見て、そう言った。


「何も、なくて……お恥ずかしいんですけど」


寝台と、机と、衣装箱。相変わらず、がらんとした部屋だ。私は椅子を勧め、自分は寝台の端に、浅く腰掛けた。


向かい合うと、急に、言葉が出てこなくなる。


「あの」先に口を開いたのは、ニッキーだった。「今の、お気持ちは……いかがですか」


「は、はい。あの、ですね」


私は、膝の上で、指を絡めた。


「いろいろ、考えたんですけど……私には、本当に、もったいないお話で」


「そんなことは、ありません」


ニッキーが、ぐっと身を乗り出した。


「ガブリエルさんは、本当に、素晴らしい女性だ。むしろ——今の私のほうが、あなたに、もったいない」


「……っ」


「だから、こうして」彼は、まっすぐに私を見た。「懇願している、のです」


——ああ、もう。


このままだと、ニッキーのペースに、巻き込まれてしまう。私は、必死に、最後の砦にしがみついた。


「で、でも。ニッキーさんが、よくても……ご家族は、反対なさるんじゃ」


「父が」


ニッキーの声が、少しだけ、硬くなった。


「来週、この、ベルリアに、やってきます」


「え。来週……?」


「僕が、見合いの話を、断り続けているから。剛を煮やしたんでしょう」


「そ、そんなに、断り続けてるんですか」


「ええ」


ニッキーは、ためらいもなく、言った。


「私が、妻にしたいのは——ガブリエルさんだけ、ですから」


かあっ、と、また、頬が燃える。


「どうか」


彼は、深く、頭を下げた。


「父に、ガブリエルさんを、紹介させてください」


そして、顔を上げて——まっすぐに。


「私が、心から愛している、女性だと」


心から、愛している。


その一言が、私の胸の真ん中に、まっすぐ刺さって——抜けなくなった。


来週。父が、来る。


そのとき私は、いったい、どんな顔をして、その人の前に、立てばいいのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ