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怪物

「あんたが、私たちの店のオーナー?」


マリアの声が、ひっくり返った。


「あんた、何言ってんだよ!?」


奥から、ロザリーが出てきた。


「一体何の騒ぎだい?」


私を見て、ロザリーが固まった。


「ガブリエル!」


「こんばんは、ロザリーさん」


室内で、トーマスが目を細めながら立ち上がった。その後ろから、ヴィンセントがゆっくりと身を起こす。山が動くような気配だった。


「なんだなんだ?」


トーマスが軽い調子で言った。ヴィンセントは何も言わなかった。


ジャックは座ったままだった。


──ガブリエル?


私の前に、ロザリー、マリア、トーマス、ヴィンセントが並んだ。




「ちょうどあなた方全員揃っててよかったわ」


私はゆっくり、四人を見渡した。


「トーマスさんとヴィンセントさんね。これからよろしく」


「は? あっしらの名前をなぜ……」


トーマスが眉を上げた。ヴィンセントは無表情で私を見下ろしていた。


「おい!」


マリアが声を荒げた。


「アンタさっきから何を言ってるんだい!? 気でもおかしくなったのかい?」


「私、あなた方の兄弟姉妹になったの」


私は微笑んだ。


「つまり、あたしもミランダお母さまの養子になったのよ」


「何言ってるんだい!」


ロザリーが叫んだ。


「ママがそんな事するわけがない。アンタは商売敵じゃないか!?」


「あら、お母様はそう思ってなかったわよ」


私は鞄から手紙を取り出した。


「はい、お母様からの手紙」


ロザリーは手紙を受け取った。だが、その視線が紙の上で迷った。少し躊躇いがちに、マリアの方を向く。


「……マリア、読んでおくれ」


──字が読めないのね。


マリアが手紙を広げた。


「……ママの字だわ」


ロザリーが小さく呟いた。


私は、ただ静かに立って、四人がそれを理解するのを待っていた。




「え、嘘でしょ?」


マリアが目を見開いた。


「本当にママはガブリエルを養子にしたみたい」


「はあ?」


トーマスが横から覗き込んだ。ヴィンセントもその背後から、無言で文字を追っていた。


「ほ、本当にそう書いてありやすね」


ヴィンセントの口元が、わずかに動いた。何かを言いかけて、結局飲み込んだ。


ロザリーは、言葉を失っていた。


養子になったと言っても、「相続は血縁者に限る」という価値観があるベルリア王国には、法的な養子縁組は存在しない。あくまでもミランダとガブリエルが結んだのは、互いの財産の移譲契約を中心としたミランダとガブリエルの金銭契約である。すなわち、ガブリエルが死亡した場合の財産はクレシェントが受け取り、ミランダが死亡した場合のミランダの財産を養子で分割で相続する。


だが、これらの契約はマリア、ロザリー、トーマス、ヴィンセント——彼らも同様にクレシェント夫人と結んだものであり、この契約こそがクレシェントファミリーの一員となった証である。


そしてクレシェントファミリーの鉄の掟。


それはすなわち、兄弟姉妹間の争いの禁止。


ただし、金銭契約は厳密に行う。


これらが、ガブリエルに対しても適応されるのだ。


四人が、唖然と私を見ていた。




「あんた、どうやってあのママをそそのかしたんだい?」


ロザリーが、ようやく口を開いた。声が、わずかに掠れていた。


「誠実に話して、私たち分かり合ったの」


「は?」


「私もお母様が気に入ったし、お母様も私が気に入った。それだけよ」


それだけ、と私は言った。


本当はそれだけではない。私はあの謁見の間で、命を賭けて契約書にサインした。だが、それを言う必要はない。結果だけがすべてだ。結果だけが、人を黙らせる。


「……あんたが店のオーナーってのは、どういうことだい!?」


マリアが詰め寄った。


「私がママの、あなた達への債権を買い取ったのよ」


「!!」


「要するに、あなた方の借金の肩代わりをしたわけ」


ロザリーとマリアが、それぞれ硬直した。トーマスの口の端が、初めて引きつる。


「もちろん返済期限は少し先だけど」


私は、ゆっくり言った。


「あんな金利、あなた方には一生かけても払えないでしょう?」


その一言で、四人の表情が変わった。


──彼らは今、気づいたのだ。自分たちの首には、もう縄がかかっている。そしてその縄の端を握っているのが、目の前で微笑んでいるこの女だということに。


「で、でも」


マリアが、何かを言いかけた。逃げ道を探す目だった。


「生産を絞れば、利子だけなら……」


「無理よ」


私は、優しく遮った。


「あなた、さっき帳簿を見て言ってたでしょう。庶民相手は単価が低すぎる、って。だから生産を絞りたい、って」


マリアの顔が、こわばった。


「どうして、それを……」


「分かるわ。私も同じ商売をしているもの」


私は微笑んだまま続けた。


「でも、生産を絞ったら、一括で仕入れた布地の支払いが滞る。トーマスさんが返品を渋ったのも、メンツの問題じゃない。返品したら仕入れ先との信用が崩れて、次の仕入れができなくなるからでしょう? だから、あなた方は生産を絞ることも、続けることも、どちらもできない」


トーマスの顔から、軽薄な笑みが消えた。


「ついでに言えば、ロザリーさんの工場は債務者の労働力で回している。賃金を払わずに済むのは強みだけど、彼らが借金を返し終えたら、一斉に辞めるわ。あなた方の経営は、来年の今頃には、確実に行き詰まる」


私は、まるで天気の話でもするように、それを言った。


部屋が、しん、と静まった。


私が今しゃべったことは、すべて、ついさっきこの家に入ってから——彼らの会話を扉の外で聞き、帳簿を覗き、顔色を見て——組み立てたものだった。


私は、彼らの破滅を、彼らより先に見ていた。




「私、決めてたのよ」


私はロザリーの目を見た。


「あの店は、絶対に取り返す」


一歩、踏み込む。


「そしてマリアさん。あなたを絶対に、うちの店に引き入れる」


マリアの肩が、跳ねた。


「あなたの商才は、本物よ。見様見真似で分業制を組み上げて、品質のばらつきまで抑えた。私には、それができる人間が必要なの」


「そしてロザリーさん」


私は、彼女に顔を向けた。


「あなた方が作った工場も、頂くわ。あれも欲しくなっちゃって」


最後の言葉だけ、私は少女みたいに、無邪気に言った。


それが、いけなかったのかもしれない。


ロザリーの背筋が、ぞくりと震えた。




──この女は、私たちを憎んでいない。


ロザリーは、それに気づいて、恐怖した。


復讐に来たのではない。怒りに来たのでもない。もしそうなら、まだ理解できた。憎しみは、人間の感情だ。


だが、目の前のこの女は、ただ「欲しい」と言っている。


私の店も、私の妹も、私の工場も、私たちの人生そのものを、まるで棚の商品を選ぶように、笑顔で、一つずつ、自分のものにしていく。そこに悪意はない。あるのは、底のない食欲だけだ。


──ママは、怖い人だった。


クレシェント夫人を思い出す。あの人は、恐怖で人を縛る。逆らえば殺される。だから従う。それは、わかりやすい支配だった。


だが、この女は違う。


この女は、笑いながら近づいてきて、気づいた時には、もう全部を飲み込んでいる。逃げ場を塞ぎ、退路を断ち、それでいて手を差し伸べるような顔で「一緒に来て」と言う。


抵抗する隙すら、与えない。


──その時ロザリーは、目の前にいるガブリエルに、クレシェント夫人と同じ感覚を感じた。


──いや、それ以上の——。


ダイヤの義眼で人を怯えさせる女と、柔らかな笑顔で人を丸ごと飲み込む女。


どちらが、より恐ろしいか。


ロザリーは、答えを知ってしまった。


──怪物。


この女は、ママよりも、ずっと、たちの悪い怪物だ。

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