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新開店

「こちらが、エレナ・ヴォーンさんよ」


エレナが、一歩前に出た。


「皆様、よろしくお願いします」


にこっと笑うと、場の空気が、ひとつ柔らかくなる。


「よろしく〜!!」


パージ、ミシェル、ナタリーの声が、揃った。


こうして私たちは、王都に店舗を借りることができた。大家であるエレナとはすっかり意気投合し、彼女は、ガブリエル商会の五人目の仲間になった。


「エレナさん、その服、素敵ですね。黒だなんて、珍しい」


ミシェルが、目を細めた。


「ああ、これ。喪服を、仕立て直したの」


「喪服を!?」


「私、喪服しか持っていないでしょう。でも、そのままお店でお客様の前に立つのは、さすがに気が引けて……だから少し詰めて、襟まわりだけ、変えてみたの」


エレナが、照れたように肩をすくめた。


私は、その姿から、目が離せなくなっていた。


——あの夜から、ずっとだ。


エレナの黒が、頭の隅に小石のように引っかかって、離れなかった。喪の色のはずなのに、どうしてあんなに凛として見えたのか。考えても、言葉にならなかった。


それが今、目の前で——一着の形に、なっている。


詰めた身頃が、彼女の背筋をまっすぐに見せている。重たい飾りは、何もない。襟元に、細い線が一本あるだけ。なのに、いや、だからこそ、エレナという人そのものが、くっきりと立ち上がって見えた。


黒。


それは、沈んだ色なんかじゃない。余計なものを、ぜんぶ削ぎ落とした先に残る——いちばん、強い色だ。


——ああ。


胸の奥で、ずっとくすぶっていた炭に、いま、はっきりと火が点いた。


宝石も、羽根も、色とりどりの布もいらない。むしろ、無いほうがいい。私が貴族の暮らしを脱ぎ捨てたとき、体じゅうで感じた、あの身軽さ。あれを、一着の服に閉じ込められるとしたら——。


「私も」


気づけば、声が出ていた。


「私も、作ってみたい。それを」


「!」


三人が、こちらを見た。エレナも、目を丸くしている。


「せっかく新しいお店を出すんだもの。うちにしか作れない、新しい商品を作りましょう」


言葉が口から出るより先に、頭の中では、もう完成していた。


「黒い帽子。黒い靴。そして——黒いドレス」


「おいおい」パージが、眉を上げた。「貴族の奥方が黒を着てるなんざ、見たことねえぞ」


「だから、いいの」


私は、前を向いた。


「誰も着ていないなら、それが、私たちの色になる。よそにない色を、私たちが、いちばん最初に掲げるのよ」


こうして、私たちの新しい試みは、火を点けた。




◇ ◇ ◇




店作りが、始まった。


内装に、たいした予算はない。だから、エレナの家のアートを、ふんだんに借りることにした。家具はパージとミシェルの手作りで、色は白に統一する。余計なものは置かず、絵と商品だけが、ぽっと浮かび上がるように。


問題は、服だった。


帽子も靴も、私たちの本職だ。けれど、ドレスは——初めての挑戦だった。手の込んだ仕立ての技術なんて、私たちにはない。


だから、逆を行くことにした。手を込ませない服。飾りを足すのではなく、削る服。シンプルで、動きやすくて、毎日着られる、黒い一着。


最初の一着が作業台の上で形になった日のことを、私はたぶん、ずっと忘れない。


裾を縫い終えて、トルソーに着せる。みんなが、手を止めた。


飾りはない。色もない。黒い布が、すとんと落ちているだけ。


「……地味、じゃねえか?」


パージが、おそるおそる言った。


「そう見える?」


私はそれをトルソーから外して、自分で羽織ってみた。鏡の前に、立つ。


——違う。


地味なんかじゃ、ない。余計なものが何もないぶん、布の落ち方も、体の線も、全部がまっすぐに伝わってくる。飾りで誤魔化さない服は、着る人そのものを、堂々と見せるのだ。


「ねえパージ。これ、まだ地味だと思う?」


振り返ると、パージも、ミシェルも、ナタリーも、エレナも、ぽかんと私を見ていた。


「……いや」パージが、首を振る。「なんつーか……別人みてえだ」


「でしょう」


私は、笑った。これが、私たちの色だ。


そこからは、夢中だった。作っては直し、並べては入れ替え、エレナの黒を基準に、私たちの黒を、一着ずつ増やしていった。




◇ ◇ ◇




ある日の午後、見覚えのある馬車が、店の前に止まった。


「こんな貴族の住宅街に、店を……?」


降りてきたニッキーが、物珍しそうに通りを見回す。カレンと、マルコスも続いた。


「ニッキーさん。マルコスさん、カレンさん」


私は、黒いドレスで彼らを出迎えた。帽子も、靴も、黒。スタッフ全員が、店の前に並んでいる。


「ようこそ、ガブリエル商店へ」


店内に入ったニッキーたちが、ふと足を止めた。


白い壁、白い家具。その間に絵が掛かり、帽子台が並び、靴が床に整列している。窓辺の日傘が光を受け、壁際には、黒いドレスが一着、吊るされていた。賑やかではない。けれど、目が、次から次へと引き寄せられる部屋だった。


「帽子と靴に加えて、服も。——しかも、黒ですか」


ニッキーが、感心したように室内を巡る。


「帽子も靴も、型から変えました」


「既存の価値観を、塗り替えにきたわけだ。いいですね。実に、いい」


予想どおりの反応だった。ニッキーは、新しいものに目がない。——でも、本当に超えなければいけない壁は、こっちじゃない。


私は、さっきからひと言も発さず、店内を検分している女性に目をやった。


眼鏡の奥の目が、帽子を、靴を、ドレスを、値踏みするように撫でていく。経営戦略部長、カレン・ローズウッド。この商会で、ニッキーの企画に唯一「否」を突きつけられる人。彼女が頷かなければ、何ひとつ前に進まない。


「——ありえません」


静かな店内に、カレンの声が、はっきりと落ちた。


「こんな服、貴族の奥方たちが受け入れるはずがありません。帽子も、傘も、こんなに飾り気がなくては……地味すぎます」


カレンが、棚の前で腕を組んだ。


「あの方たちが好むのは、もっと華やかで、豪華で、色とりどりのもの。これでは、誰の目も引けはしません」


スタッフの誰かが、息を呑む音がした。


私は、まっすぐカレンを見た。


「お言葉ですが、カレンさん」


「……なに?」


「それは本当に——あの奥方たちが、望んでいることですか?」


カレンの眉が、ぴくりと動く。


「なんですって?」

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