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解放の黒

「お言葉ですが」


私は、カレンを見た。


「それは本当に——あの奥方たちが、望んでいることでしょうか」


「なんですって?」


カレンの目が、正面から私を捉える。


「私はかつて、この国で、貴族夫人をしておりました」


カレンの表情が、わずかに動いた。


「ですから、これは机上の話ではありません。あの中にいた女の、実体験です。——私なりの、この商品の勝ち筋を、お聞かせしてもよろしいですか」


カレンは、しばらく私を見ていた。それから、ゆっくりと、腕を解く。


「……いいでしょう。聞かせてもらいます」


エレナが、パージが、ミシェルが、ナタリーが、手を止めて、こちらを見ている。壁際のニッキーも、静かにこちらへ、向き直った。


——ニッキー一人を頷かせても、足りない。この部屋ごと、味方につける。


ひとつ、息を吸った。


「夜会には」


私の声が、静かな店内に落ちる。


「色とりどりのドレスを着た、美しい奥方たちが、並んでいました。コルセットでぎりぎりまで腰を締めて、ありったけの宝石をまとって、鳥の羽を載せた帽子で、頭を重たげにして」


指先に、あの締めつけの感覚が、まだ残っている。


「皆、笑っていました。でも、私にはわかるんです。あれは、楽しんでいたんじゃない。——耐えていたんです」


カレンの眉が、動いた。


「夫の権威を、財力を、身にまとって見せる。貴族の女は、そういう“道具”でした。重くて、苦しくて、それでも、誰も脱ぐとは言えなかった。脱ぎ方を、誰も知らなかったからです」


私は、続けた。


「夜会から外され、自分で食べていくために働き出したとき——私は初めて、その重しを下ろしました。シンプルで、軽くて、動ける服。たったそれだけのことが、信じられないほど、心地よかった」


窓から差した光が、床に白い四角を落としている。


「そのとき、確信したんです。あの夜会の奥方たちも、本当はみんな、この“軽さ”を欲しがっている、と。——なのに、誰ひとり、彼女たちにそれを売ろうとしてこなかった。派手で、豪華で、重いものばかりを、競って売りつけてきた」


一歩、前へ出る。


「つまり、ここには、まだ誰も手をつけていないお客様がいるんです。“解放”には、まだ——値段が、ついていない」


声に、力がこもるのがわかった。それは、作った熱ではなかった。ずっと自分の中にあったものが、初めて言葉になった瞬間の、熱さだった。


「女に生まれたというだけで背負わされてきた、あらゆる重し。私はこの商売で、それを下ろして差し上げたい。美しいまま、軽くなれる。そういう自由を、売りたいんです」


壁際に吊るした、黒い一着へ、手を伸ばす。


「そして今日、宣言します。このシンプルで、着心地のいい黒いドレスこそが、その象徴になると」


両手にドレスを掲げ、まっすぐカレンを見た。


「私たちはこれを、こう名付けました。——『解放の黒』、と」




◇ ◇ ◇




「それでは、カレンさんに一着。試着室へ、どうぞ」


「え、私が?」


エレナとナタリーが、両脇から、ごく自然に寄り添う。カレンは戸惑いながら、試着室へ連れていかれた。


ニッキーが、こちらを見ていた。何も言わない。ただ、その目に、何かが宿っている。


しばらくして、カーテンが、開いた。


まず、黒い靴の先が見えた。それから、裾。そして、全体が。


さっきまでのカレンと、同じ人のはずだった。なのに、纏う空気が、まるで違う。肩の線が、首の角度が、立ち方そのものが、変わって見えた。


パージが、頬に手を当てる。ミシェルが、口を結んだ。


カレンは、しばらく、鏡の中の自分を見ていた。


それから、ゆっくりと、息を吸った。


胸が、広がる。


ゆっくりと、吐く。


「……家の外で、こんなに大きく息をしたのは、いつぶりかしら」


誰も、何も言わなかった。


「これを知ってしまうと、もう——コルセットなんて、つけられないわね」


その声は、少しだけ、震えていた。


そして、鏡越しに、カレンが私を見た。その目に、悔しさと、それを上回る何かが、同時に浮かんでいる。


「ずるいわ、あなた」


「……?」


「私はこの服を、潰しに来たのよ。貴族の女が黒なんて受け入れるものか、と。——なのに。いちばん最初に欲しくなっているのが、この私だなんて」


カレンが、自嘲するように、ふっと笑った。


「私が欲しいと思うのなら……この国じゅうの奥方が、いずれ、同じ顔をするでしょうね」


——通じた。


「着心地が、いいだけじゃありませんよ」


私は、カレンの後ろに立ち、二人で鏡を覗いた。


「黒は、余計なものをすべて消して——女性そのものを、いちばん美しく見せるんです」


カレンが、鏡の中で、一度だけ、まぶたを閉じた。


そして、開いたときには、もう、あのストッパーの顔に戻っていた。ただ、向いている方向だけが、正反対になっていた。


「ニッキー」


「なんだい?」


「追加融資を、検討しましょう」


私が口を開くより、先だった。ニッキーが、もっともだ、という顔で頷く。


「応援するわ、ガブリエル」


カレンが、裾をさばいて、振り返る。


「手始めに、お披露目のパーティと、新聞広告。——派手にいくわよ。この“軽さ”を、王都じゅうに、見せつけてやりましょう」


「……はい!」


こうして、私たちの店は、王都に、産声を上げた。


『解放の黒』という名前と、カートライト商会という後ろ盾を、引っさげて。


ただ——ひとつだけ、まだ手に入れていないものが、あった。


この黒を、いちばん最初に着てくれる、お客様だ。

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