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王都での日々

王都アルデンシュタットの駅前広場は、人と声と馬の匂いで満ちていた。


「いやー、今日も王都はすごい賑わいね」


大きな荷物を両手に抱えて、私は広場を見渡した。石畳の上を人が流れ、辻馬車が行き交い、物売りの声があちこちで弾ける。ブレンナールの目抜き通りを、まるごと十も二十も束ねて放り込んだような密度だった。


「今日はお祭りなの?」


ナタリーが、目を丸くした。


「王都はいつもこうだよ、ナタリー」


ミシェルが苦笑する。


「やだ、私ったら。都会、初めてで」


「大丈夫。すぐに慣れる」


パージがスーツ姿で親指を立て、通りかかった辻馬車を片手で止めた。


私は、その賑わいを、ナタリーとは少し違う目で見ていたと思う。


これだけの人がいる。これだけの金が、毎日この石畳の上を流れている。——この街のどこかに、いつか「ガブリエル商店」の看板を掲げる一区画が、きっとある。まだ顔も知らないその場所を探しに、私はここまで来たのだ。


「場所は覚えてるの?」


「当然じゃ。辻馬車で二十分ってところかの」




馬車が動き出すと、窓の外を王都の景色が流れ始めた。


仕立ての良い服をまとった紳士。山のような包みを抱えた従者。すれ違う貴婦人たちは、色とりどりのドレスをこれでもかと宝石で飾り、鳥の羽を載せた帽子で頭を重たげにして、馬車の窓から外を眺めている。みな、美しい。美しいけれど、どこか、窮屈そうにも見えた。


私はその一人ひとりを、まるで商品見本でも眺めるように見ていた。あの人たちが何を着て、何に金を使い、そして何に飽いているのか。それを知ることが、たぶん、私の仕事の入り口になる。


──今日からいよいよ、王都での生活が始まる。


王都の中心から少し外れ、有名なカレン大聖堂のちょうど真裏。私たちの新しい根城は、そこにあった。




小ぶりな三階建てのビルの前で、馬車が止まった。


「よう、戦友! よく来たな」


がっしりした体格の男が、建物の前で腕を組んで立っていた。


「会えて嬉しいぜ、戦友!」


パージが歩み寄り、その手を力強く握る。旧友同士の再会は、言葉より先に手が動くものらしい。


「こちらがオーナーのガブリエルだ」


「レオンさん、お世話になります」


「レオンだ。こちらこそ」


彼は、建物の方へ顎をしゃくった。


「中を案内するぜ。ついてきな」


一階は倉庫だった。そこそこの広さがある。二階は炊事場で、手を入れれば工房にも使えそうだ。三階には部屋がいくつか並び、四人で住んでもまだ余裕があった。


倉庫を見て、工房を見ながら、私は頭の中で算盤を弾いていた。ここで作って、どこで売るか。作る場所は、これで足りる。問題は——売る場所のほうだ。


階段を上り切ると、屋上へ続く扉があった。


「屋上だ」


レオンが、それを開けた。




光が、一度に広がった。


王都の屋根が、どこまでも続いていた。尖塔、煙突、街路樹の緑。遠くにカレン大聖堂の丸屋根が見え、その向こうに空が続く。風が頬を撫で、髪をわずかに持ち上げた。


私は、しばらく言葉を失っていた。


きれいだから、ではない。この屋根の海のどこかに、私が獲りにいく場所がある。そう思うと、足の裏がむずむずするような心地がした。これは眺めじゃない。戦場だ。


「どうだい、気に入ったかい?」


私は、息を吸った。


「決めたわ」


「ガブリエルさん?」


「ここにしましょう。ね、みんな!」


「はい!」




荷物を運び込み、部屋を掃除し、棚を拭き、床を磨いた。パージの戦友であるレオンの口利きで、私たちは王都での拠点を手に入れた。倉庫兼、工房兼、みんなの住まいだ。


当然、私もみんなと住む。


自分の部屋にベッドを入れ、シーツを広げる。皺を伸ばしながら、室内を見回した。ベッドと、小さな棚がひとつ。窓から夕方の光が差し込んでいる。


「寝るだけなんだから、これで十分よね」


立派な屋敷も、ふかふかの寝台も、今はいらない。そういうものは、店が当たってから、いくらでも手に入れればいい。


夜になると、みんなで屋上に上がった。レオンが差し入れてくれたパンと、ナタリーが温めたスープ。風は穏やかで、王都の灯りが、足元に広がる闇のあちこちで小さく揺れていた。


あの灯りの、ひとつひとつが、いつか客になる。


そう考えると、共同生活の窮屈ささえ、不思議と心が躍った。


部屋に戻り、ベッドに身を沈める。明日から頑張るぞ——そう思った瞬間には、もう眠っていた。




朝の工房に、私の声が響いた。


「おはようございます! 今日から商品の生産を始めます。皆さん、よろしくお願いします」


「はい!」


「じゃあ、私は出かけるから、あとはよろしくね」


「ガブリエルさん、頑張ってください」


ナタリーの声を背中に受けて、私は日傘を開いた。


——正直に言えば、これから向かう先のことを思うと、少しだけ胃のあたりが重い。


王都に出てくるにあたって、私たちには元手がなかった。その金を出してくれたのが、ニッキーだ。そして対価として求められたのが、カートライト商会への出向——つまり私はしばらくのあいだ、あの人の会社の軒先を借りて働くことになる。


離縁したばかりだというのに、また誰かの屋根の下か、と苦笑したくもなる。


でも、今度のこれは、敷かれたレールじゃない。私が、自分で選んだ道だ。


王都の商いの作法も、誰がどの糸を握っているのかも、土地の事情も、私はまだ何ひとつ知らない。それを、いちばん速く、いちばん近くで学べる場所が、カートライト商会だった。だから私は、自分から飛び込むことにした。あの会社は、私が自分の店を持つための——いちばん大きな手がかりなのだ。




王都の通りを歩く。石畳の目地が規則正しく続き、馬車の音が遠くで重なる。ブレンナールとは、空気の密度が違う。人も、建物も、音も、何もかもが一回り大きい。


立派なビルの前で、足が止まった。


——本当に、ご立派なこと。


「やあ、ガブリエルさん」


声に振り返ると、見知った顔があった。


「ご無沙汰しています、マルコスさん」


「支社長がお待ちです。中へどうぞ」


マルコス・ガレア。カートライト商会の貿易部門を預かる人だ。思えばあの夜、汽車の中で偶然隣り合ったのが、この人との始まりだった。


「まさか、列車で乗り合わせただけのあなたと、働く日が来るとはな」


「私も、驚いています」


廊下を歩きながら、あの夜を思い出した。暗い車窓、揺れる灯り、そしてニッキーの「これは運命ですね」という、あの歯の浮くような台詞。馬鹿馬鹿しいと思いながら、つい吹き出してしまった、あの夜のことを。




通された部屋には、見知らぬ顔がいくつかあった。


ニッキーが、扉の前に立っている。


「ようこそ、カートライト商会へ。お待ちしておりました」


「本日から、よろしくお願いいたします」


私は頭を下げた。下げながら、上目で、部屋の中をひと通り検分する。


経営戦略部長、カレン・ローズウッド。貿易部門部長、マルコス・ガレア。流通部部長、ジュリアン・フェリクス。——戦略に、貿易に、流通。店を一軒立ち上げるのに、これから私が喉から手が出るほど欲しくなるものが、この一部屋に、わざわざ肩書きをつけて並んで座っている。


なんて、宝の山だろう。


頭を上げると、いくつかの視線が、私を値踏みしていた。愛想の良さの裏に、品定めとも、警戒ともつかない色がある。平民あがりの女が、支社長の口利きで転がり込んできた——そう値踏みするのは、当然だ。


けれど、こちらだって、同じだけあなた方を値踏みさせてもらう。どうぞ、お互い様で。私はその視線を一つひとつ、静かに受け止め返した。


「実は」


ニッキーが、微笑んだ。


「ぜひご参加いただきたい会議が、明日あります」


「会議、ですか」


「ええ」


彼は、一拍、置いた。


「我々がこの国に来た、本当の目的をお話しする場です」


本当の目的。


その言葉に、胸の奥が、ことりと鳴った。引っかかり、ではない。もっと前のめりな、食欲に近い何かだ。


カートライト商会が、海を渡ってまでこの国でやろうとしていること。それが何であれ、私の店への扉になるか——さもなくば、立ちはだかる壁になる。どちらにせよ、私が探している手がかりは、きっとその部屋にある。


気がつけば私は、明日が待ちきれなくなっていた。

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