第37話 甲の下
灰の鬼はゆっくり歩いて近付いてくる。
私もソルラも、肉体を強化させる術の効力はまだ続いている。
不意打ちにも対応できるだろう。
「いやはや、あれだけいた鬼共が一掃されるとは、勇ましい者達だ」
灰の鬼は続ける。
その声はどこか高貴な響きをもっている。
いや、高貴な雰囲気なのは、声の響きだけではない。
その顔も装いも、である。
顔は細面を通り越して女性と見まがうほどである。
もちろんその双眸はオークそのもので、闇のように黒く、瞳が金ではあるが。
着物にしても、異様である。
オークの類で、衣をまとう者がいないわけではない。
ヨシトウルネ公やブーエンケインのような例外を除いても、それなりに衣をまとっていた者は見てきた。
しかし、眼前にいる灰の鬼の格好は、これまでに見たどれとも違う。
例えて言えば、世にもののふが現れるよりも前の時代、宮廷で権勢をふるっていた貴族たちのような、華美、豪奢、そういった言葉が似合う姿だ。
そういう意味では、これまでに見た鬼の様相と違う、というよりは、これまでに自分が見てきたどんな者と比べても違う姿だと言えた。
「さてもさてもどうしたものか。人語を解する鬼を見て臆したか」
灰鬼が言う。
「そうではない」
ソルラが言う。
「ほう」
笑ってから、灰鬼は腰から扇を引き抜き、広げて口元を隠した。
そして、肩を揺らして言う。
「であれば、私の美麗なる有様に見惚れていたのか。
時代が変わっても、あいや種族が違っても、人を虜にする美しさ。
これはもはや罪といっても過言ではないかもしれぬなぁ」
ソルラが何事か言おうとしたが、私はそれを制した。
「名のある人物だったと見受けたが、いかに」
私が言うと、灰鬼はぴたりと動きをとめ、こちらを見た。
射貫くような眼光である。
「我が名を問うか。
聞けばおののき、己が身の卑しさを恥ずことになろうものを」
同じような問答を、ヨシトウルネ公としたことを思い出す。
彼は武人らしく、勇ましかった。
この鬼は、やはりどこか、聞いて知ったような貴族のような物言いだ。
自分が上位の存在であることに確信がある雰囲気で言う。
「よかろう、下賤の者に、わが高貴なる名を聞かせて進ぜよう。
我は、光の君。あまねく恋物語を紡いだ、過ぎ去りし日々の貴公子である」
「光の君だと。では、そなたが笠島の将その人だというのか」
私の問いに、彼はいかにもと答えた。
「笠島の将とは艶の無い呼び名よ。
後に語り継がれた光の君という名こそ、美しい私にふさわしい」
灰鬼は恍惚とした表情で語った。
「問いを変えよう。
オークどもがこの村を蹂躙し、跋扈したのは、そなたの命か」
「いかにも。男と女が、恋をし、愛し合い、体を求めるのは、世の真実だ。
姿形が変わろうが、真実の有り様は変わりはしないと言うことだよ。
我ら鬼の身にも、女を求める欲はたぎってしまうものなのだ」
ソルラが歯を噛む音が聞こえた。
「男はどうした」
「男に用は無い」
にらみ合う両者に、緊張感が高まる。
「人と鬼とは分かり合えぬもの。
この数ヶ月ほどで、この国を旅して回ったが、やはりそれは真実だなぁ」
幾分の怒気をはらんだ声に変わり、灰鬼が言う。
「旅、とな」
「いかにも。私が一度死に、この世に二度目の生を受けておよそ半年。
私はこの国の姿を歩いて見て回っている。
イェド、ニツコ、クロバンヌ……他にもあちこち回った。
この村は、その中で得た憩いの場のひとつであったのだが、惜しいものだ」
怒りの視線が私にも注がれる。
「そして、知っているぞ。お前が、マッツォとかいう術者だな。
方々で、鬼を駆逐する旅人の話は聞き及んだ。
ゆえに、力もたぬ哀れな鬼どもは私にすがり、傘下に入ったのだがな」
「なんと……私が鬼を屠ったことと、そなたが鬼を集め党を組んだことが繋がると。
そして、そなたが訪れた所とは、まさに季節の乱れがあった場所ではないか」
灰鬼は頷く。
「はは、皮肉なものよな。
人を助けんと我らがはらからを殺めた先に、ひとつの村の滅亡があろうとは。
季節の乱れとやらは私のあずかり知らぬところだが、私の気に当てられたのだろう」
よもや、旅の中で見えていた点と点が、こうして一人の鬼に収斂するとは。
「光の君よ、よくぞ聞かせてくれたな。
であれば、ここでそなたを討ち滅ぼせば、旅のオークも季節の乱れも、
おおよそが解決すると言うことではないか」
私が言葉を紡ぐと、光の君は高らかに笑い声をあげた。
そして、落ち着きを取り戻して、静かに語り出した。
「なぜここまで語り聞かせたか、分からぬか。
今の時代にも残っている言葉であろう、これは、冥土の土産だ。
黄泉の国へ赴き、こちらに戻ってきたら、仲間にしてやろうぞ」
光の君は扇を閉じ、腰から刀を抜いた。
私はとっさに術を編む。
「しほらしき名や小松吹萩すゝき」
無数の不可視の矢が、光の君に向かって飛び交う。
だが、鬼はそれを察知し、飛び上がって避ける。
私は続けて、さらに句を詠む。
「むざんやな甲の下のきりぎりす」
強い衝撃が光の君に飛ぶ。
しかし、光の君は大きくのけぞり、それを避けた。
「旅の中でも、術士どもには幾度も会った。
どれも、術が見える鬼とは対峙したことがなかった様子だったが、
さて、マッツォ、そなたはどうかな」
作者の成井です。
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