↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嫌いな上司と、婚活パーティーで会いました  作者: 雨宮 弦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/18

第16話 瀬戸さんは、ちゃんと素敵な人

 瀬戸が選んだ店は、窓から小さな庭が見えた。


「今日は、少しゆっくり話したくて」


 席に着いてから、彼はそう言った。


 汐乃はメニューを閉じ、うなずいた。出張から三日後の土曜日だった。瀬戸とは週に何度か連絡を取り、次に会う日も無理なく決まるようになっていた。


 注文を済ませると、彼は水のグラスを両手で持った。


「この前、仕事を続けたいと話してましたよね」


「はい」


「僕も、続けてほしいと思っています。ただ、僕のほうで、先に話しておきたいことがあって」


 汐乃は姿勢を正した。


 瀬戸の実家は、岐阜県の山間部で小さな建築会社を営んでいた。父親が年齢を重ね、今の仕事の区切りがつけば、地元へ戻って事業に関わろうと考えているという。


「すぐではありません。今の案件もあるので。でも、一、二年のうちには」


「そうなんですね」


「前にも実家の話はしましたけど、時期はまだ曖昧で。汐乃さんと、これからも会いたいと思ったので、曖昧なままにはしたくなくて」


 初めて、下の名前で呼ばれた。


 彼は言ったあとで「呼び方、大丈夫ですか」と確かめた。汐乃は、はい、と答えた。


 きちんとしている。


 自分を急がせず、でも大事な話は先延ばしにしない。


「戻ったら、どんなお仕事をされるんですか」


「設計だけでなく、現場の調整も増えると思います。今より規模は小さくなりますけど、使う人と長く関われるので」


 瀬戸の顔が少し明るくなった。


 汐乃はその変化を見ていた。彼が地元へ帰るのは、家族の都合だけではない。そこでやりたい仕事があるのだ。


「楽しみなんですね」


「不安もあります。昔の知り合いばかりだから、やりづらいこともあるでしょうし。でも、やってみたいです」


 汐乃は、地元の仕事で好きなところを、もう少し聞いた。


 瀬戸は、昔からある家を直す仕事のことを話した。図面が残っていない家もあり、住んでいる人に、いつどこを変えたか聞きながら進めるのだという。


「効率がいい仕事ばかりではないです。でも、その家で暮らしてきた人の話を聞くのが好きで」


「新しくするより、残すほうが難しそうです」


「そうなんです。何を残したいかも、人によって違うので」


 彼の話を聞いていると、地元へ戻りたい理由がよくわかった。


 家族に頼まれたからだけではない。自分で、そこを選んでいる。


「静岡で、その仕事を続けるのは難しいんですか」


 聞いてから、汐乃は言葉を補った。


「戻るのをやめてほしい、ということではなくて。私、選び方を知りたくて」


「仕事だけなら、似たことはできます。でも、知っている人が暮らしている場所で、長く関わりたいんです」


 瀬戸は少し考え、続けた。


「ここでの仕事も好きです。ただ、五年後を考えると、向こうにいる自分を想像します」


 汐乃はその言葉を、自分にも問い直した。


 五年後。


 今より責任のある仕事をしているだろうか。相変わらず資料を直し、現場へ行っているのか。誰かと暮らしているなら、夕飯を食べながら何を話しているのだろう。


 浮かんだ食卓の向かいに、橘が座りかけた。


 汐乃は水を飲んだ。


 それを、今ここで考えていいはずがない。瀬戸が話している未来を、別の人で埋めてしまったことが、胸に残った。


 料理が運ばれてきた。二人は少し間を置き、食べ始めた。


 汐乃は煮込まれた肉をフォークでほぐした。簡単に崩れるはずなのに、指に力が入っていた。


「汐乃さんは、今の会社で続けたいですか。それとも、仕事そのものが続けられたら」


 瀬戸は静かに聞いた。


 汐乃はすぐに答えられなかった。


 仕事を続けたい。それはいつでも言えた。


 今の会社、今の部署、今の街。どこまでが自分にとって大事なのかを、切り分けて考えたことがなかった。


「今の仕事は、好きです」


「うん」


「でも、別の場所で同じような仕事ができないとは、思っていません。ただ、すぐに移ることを考えると……」


「まだ、決められないですよね」


「はい」


 瀬戸はうなずいた。


「僕も、今日決めてほしいわけではありません。遠距離の期間を作るのか、別の方法があるのかも、一緒に考えたいです」


 一緒に考える。


 前の恋人と話していたとき、欲しかった言葉だった。


 なのに、今それを言ってもらっても、胸の中の緊張は解けなかった。


「私、今の仕事を辞めることが、まだ想像できないんです」


 汐乃はゆっくり言った。


「途中の案件もありますし、これからやりたいこともあって」


「辞めてほしい、とは思っていません。ただ、僕の地元から静岡へ毎日通うのは難しいです」


「そうですね」


 現実の距離が、テーブルの上に置かれた。


 自分は、瀬戸が話す暮らしの、どこへ座りたいのだろう。


「帰ったら、僕の生活は今より地元中心になると思います。親とも近くなります。そこも、仕事だけとは分けて考えたほうがいいですよね」


 瀬戸は続けた。


「僕は慣れているので、簡単に大丈夫と言ってしまいそうです。でも、汐乃さんには初めての場所だから」


 汐乃は彼の言葉を聞いた。


 相手の負担を考えてくれる人だった。だから、自分も曖昧な笑顔だけで返したくなかった。


「少し、考える時間をもらえますか」


「もちろんです。僕のほうも、どこまで変えられるのか考えます」


 汐乃は礼を言った。


 答えを出せなかったことに、彼は落胆を隠そうとも、取り繕おうともしなかった。少し寂しそうな顔で、それでも次の料理の話題へ移ってくれた。


     *


 食事のあと、二人は駅まで歩いた。


 展示の話も、最近読んだ本の話も、いつもどおりできた。ただ、汐乃の中には、さっきの言葉が残っていた。


 改札の手前で、瀬戸が言った。


「今日話したこと、負担だったらすみません」


「いえ。話してくださって、よかったです」


「僕も、ちゃんと話せてよかったです」


 次の約束は、その場では決めなかった。後日連絡することにして、二人は別れた。


 帰りの電車で、汐乃は条件表を開いた。


 勤務地、転勤の可能性。


 空欄に答えが入った。地元へ戻る予定。一、二年以内。


 それだけを見れば、自分の希望とは合わない。


 けれど、目の前で「一緒に考えたい」と言った彼を、ひとつの項目だけで閉じるのも違う気がした。


 汐乃は入力した文の下に「自分は、どこで、何を続けたい?」と書いた。


 その先は、すぐに埋まらなかった。


     *


 月曜日、修正した点検表の確認をしていると、小野寺が覗き込んだ。


「向こうの担当さん、すごく使いやすくなったって」


「まだ試してもらってるところだけどね」


「白石さん、次の導入先でも、この手順を使いたいです」


 汐乃はうなずき、画面を二人の間へ寄せた。


 自分が作ったものが、誰かの役に立つ。次はもっとよくできると思える。


 その時間を、手放したくない。


 ふと橘を見ると、電話をしながら資料へ書き込みをしていた。汐乃の視線に気づくと、何か用かというように眉を上げる。


 汐乃は首を振った。


 ここで働きたい理由に、彼が混ざっているのか。


 考えかけて、いったん仕事へ戻った。


 瀬戸は、ちゃんと素敵な人だ。そのことと、彼の望む未来を自分も選べるかどうかは、同じではない。


 画面には、次の導入先へ送る資料が開いていた。


 汐乃は、今の仕事を続けたい理由を、橘以外でも三つ挙げてみた。現場の話を形にしたい。作った手順を、継続して直したい。小野寺が自分で提案できるところを、もっと見たい。


 どれも、彼がいなくても残る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。