第11話 部長が初めて謝った日
月曜の会議で、橘は汐乃の説明を遮った。
「その試験導入先では、件数が足りません。二社追加してください」
汐乃はスライドを送る手を止めた。
金曜の洋食店が、急に遠くなった。
「追加する場合、訪問担当と点検担当の調整が必要です」
「それも含めて、今週中に」
「今週中というのは、試験までですか。それとも調整の完了までですか」
「まず、できる方法を考えてください」
汐乃は息を吸った。会議室の端で、小野寺が持っていた紙を机へ下ろす。
また同じになる。
自分が強く言い返し、部長が結論を急ぎ、ほかの人が黙る。
「方法を考えるために、条件を確認しています」
汐乃は声を低くした。落ち着いているつもりでも、指先に力が入っていた。
「このあと、担当できる件数を説明する予定でした。三分、最後まで聞いていただけますか」
橘が腕時計を見た。
その仕草だけで、喉が詰まりそうになった。三分も長いのだろうか。
「……お願いします」
橘はペンを置いた。
汐乃は次のページを出した。
今週動ける点検員は二人。そのうち一人は既存の契約先を回る。試験導入を二社増やすなら、来週以降に分けるか、別の地域の応援が必要だった。
小野寺が、訪問日をまとめた表を示した。
「先方は、こちらの週でも大丈夫と言っています。日程をずらす案なら、今日中に確認できます」
橘は表を読み、営業担当者へ質問した。今度は誰の答えも途中で止めなかった。
最終的に、最初の二社で手順を確認し、一週間遅らせて追加することになった。
会議は八分延びた。
汐乃は資料を片づけながら、その八分の分だけ自分が悪かったような気持ちになるのを、どうにか押し返していた。
*
昼前、橘が汐乃の席へ来た。
「少し、話せますか。会議の進め方についてです」
汐乃は画面を保存した。
空いている打ち合わせ室へ入ると、橘は扉を閉めず、通路側の席に座った。汐乃も向かいへ座る。
「先ほどは、説明を遮ってすみませんでした」
汐乃は彼の顔を見た。
指摘されると思っていた。口調のことか、会議時間のことか。
「私が先に条件を確認すべきでした。追加を急いで、担当できる範囲を聞かずに指示を出しました」
「……はい」
「小野寺くんにも、同じことを伝えます」
謝罪のあとに、ただし、と続かなかった。
汐乃は膝の上で手を開いた。
「三分ほしいと言ったとき、時計をご覧になったので、まずいことを言ったかと思いました」
「残り時間を確認しました。ですが、そう見えますね」
「時間が押していたのは、わかります」
「時間を配分するのも、私の役割です」
橘の言い方は、いつもより少し遅かった。
「金曜日には聞いてくださったので、今日は……余計に、こたえました」
私生活の話を会社へ持ち込んでしまった。
汐乃はすぐに後悔したが、橘は眉をひそめなかった。
「聞き方を変えるのは、私生活だけでいいわけではありませんね」
汐乃はうなずいた。
すぐに全部うまくなるとは思っていない。けれど、せっかく聞いてもらえたと思ったあとで同じことをされると、期待した自分が馬鹿だったように感じる。
そのことを、今日初めて本人に伝えられた。
「次の会議から、提案者の説明時間を先に確保します。途中の確認が必要なら、説明が止まっている時間は別に取る」
「質問を全部あとにすると、わかりづらいこともあります」
「では、事実確認は途中で。提案の可否は、一度最後まで聞いてからにしましょう」
汐乃は手帳へ書いた。具体的な形になると、ようやく仕事の話として考えられる。
「それと、修正をお願いするときは、期限と目的を一緒に伝えます。今日の二社追加は、実施件数を月末の報告に載せたいという理由でした」
「先にそれがわかっていたら、試験完了と途中経過を分けて提案できました」
「はい。そこも、説明が足りませんでした」
何に対して謝っているかが、曖昧ではなかった。
汐乃は少しだけ息を吐いた。
「私も、質問するとき、責めるような言い方になっていました」
「気になることがあれば、それは別に話します。今日、説明を遮ったことと、相殺はできません」
汐乃は返事を探し、結局「わかりました」と言った。
橘が立ち上がる。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
感謝するのも少し違う気がしたが、ほかの言葉が出なかった。
*
午後、小野寺が汐乃の机へ来た。
「部長から、さっき説明がありました。次回、僕の説明時間も入れてもらってます」
「よかった」
「あと、白石さんにもお願いがあって」
汐乃は彼を見た。
「さっき、途中で質問しようと思ったんですけど、お二人とも、ちょっと……入りづらくて」
「うん」
「僕も言えばよかったんですけど」
「そこは、私も気をつける。言ってくれてありがとう」
小野寺はほっとしたようにうなずいた。
彼が戻ったあと、汐乃は次回会議の予定表を開いた。「白石・試験手順の提案、七分」「小野寺・訪問日程、四分」と書かれている。
橘の謝罪は、もう予定表の中に反映されていた。
次の会議の前日、汐乃は小野寺と説明の順番を確認した。
「私が全部話すより、日程は小野寺くんからのほうがわかりやすい」
「じゃあ、この図、使ってもいいですか」
「もちろん。作った本人が説明したほうが、間違えないし」
彼が笑い、二人で画面を開いた。
前の会議では、汐乃も、自分が部長へ反論しなければと考えていた。小野寺が口を挟む場所まで、奪っていたのかもしれない。
「私の説明が長かったら、途中で言ってね」
「え、僕が?」
「先に決めておけば、言いやすいかなと思って」
「じゃあ、三分で一度、時間を見ます」
「ありがとう」
汐乃は説明用のメモを一枚にした。小野寺の図と同じことを繰り返す部分を削り、判断してほしい点を二つに絞る。
資料を共有すると、橘から「この二点を、会議の結論にします」と返ってきた。
何のための七分かが、全員に見える。
汐乃は画面を閉じる前に、日程変更を担当する点検員へ確認を送った。自分たちの説明が通ることだけでなく、その先の人が動けるかまで、見ておきたかった。
返事は翌朝だったが、必要な確認事項は一つ増えた。
次の会議で、汐乃はその項目を最後に加えた。途中、小野寺が手元の時計を示し、汐乃はうなずいて次へ進む。
時間を見られても、責められているとは感じなかった。
先に何をするか決めてあるだけで、同じ仕草の意味が変わる。
説明が終わると、橘は判断が必要な二点を読み上げた。汐乃はそれを聞き、自分が話したかったことが、きちんと届いていると確かめられた。
夕方、私用の連絡先に、彼からメッセージが届いた。
『今週の反省会は、予定がありますか。難しければ、また別のときに』
汐乃は画面を見つめた。
先日の謝罪を受け入れたのだから、誘いも受けるべきだとは思いたくない。別々に考える必要があった。
金曜日は、彩乃と食事の約束をしている。
『今週は予定があります。来週なら、木曜が空いています』
送信すると、すぐに返事が来た。
『では、来週にしましょう』
それだけだった。
機嫌を悪くされることも、理由を聞かれることもない。
汐乃はスマートフォンを伏せた。会議の予定表をもう一度確認し、今日決まった日程を点検担当へ送る。




