・エピローグ パン屋と宰相と元勇者 2/2
「あ、危なかった……ギリギリセーフ、かな……。もーっ、ロベールさんのせいで台無しにするところだったじゃないですかーっ!」
「これはこれで美味しそうです」
「そういう問題じゃありませんっ!! 調理中にこういうことするのはもう禁止です!!」
「つまり別のタイミングならば、またしてもよいということですね?」
「う……っ?! うぅぅぅーーっっ!!」
癖になってしまいそうだった。今日まで品性ある生き方をしてきたというのに、衝動任せの行為にロベールは味を占めてしまった。
「ああそうそう。不公平ですので、先ほど私がしたことと同じ行為をクレインにもしてやって下さいね」
「えっっ!?」
「公平。それは私たちが関係を続ける上で最も大切なものですから。両方を選んだ以上は、覚悟していただきましょう」
「ええー……ええええーーー…………」
店はまだ営業中。これ以上仕事の邪魔をすると、リスティスに嫌みを言われてしまうだろう。
「では私も仕事がありますので失礼」
「うーーっっ!!」
人の仕事の邪魔をしておいてよくもまあ言えるものだ。ロベールは自分でそう思いながらパン工房を出てレジにお代を払った。
「ヤバ、なんかメチャクチャ面白いことなってんじゃん♪」
「ええ、私もそう思います」
「は、はわわ……っ、み、見てしまったのです……っ」
ロベールはパン屋を出ると城に戻った。また政務室のイスに座って書類仕事を片付けることになる。コムギががんばっているのだから、ロベールも負けられなかった。
「大変です、ロベール様! ま、魔王様がまた発作を!」
「またですか、ありがとう、すぐに向かいます」
予定が少し変わり、ロベールはなりふり構わない全力疾走で寝室に急行した。
「許さぬ……許さぬぞ、ニンゲンどもめえええええっっ!!!」
ぶり返してきた怒りに魔王は巨大化していた。寝室は既にボロボロで、ガルムレックとアムリスが魔王をなだめてくれていた。
「ぬっ!?」
「いいタイミングで帰ってきてしまったようですね」
「おお、ロベール!! そなたにユーパトリウム侵攻作戦を命じる!! 無念に散った仲間たちの仇を討つ時がきたのだ!!」
「その話は朝おやつの後でよろしいでしょうか?」
ロベールはこれ見よがしにアンコパンを出し、注目を浴びながらそれはもう美味しそうに食べた。
アムリスもガルムレックもコムギの甘いパンが大好きだ。彼らはこれでもかと釣られた。
「う、美味そうじゃねぇか……っ」
「そんな新作、あったんですの……?」
「ふがぁ……!? ア、アンコ……パン……」
「アンコ入りのパンだって!? ずるいぜ、そりゃぁよぉっ!?」
結果、魔王の中にある怒りが食欲にすり替わった。鬼のような魔王の形相は羨望の形相へと化していった。
「魔王様、貴方の大好きなコムギさんはニンゲンです」
「し、しっとるわいっ、そんなことっ!!」
「そのニンゲンのコムギさんが焼いたこちらのアンコパンは要らない。そうおっしゃるなら、残りはそちらのガルムレックとアムリスさんに差し上げましょう」
この素晴らしい味わいを二人にも知ってもらいたい。ロベールは最強の痴呆老人を無視して、ガルムレックとアムリスにアンコパンを手渡した。
「うう……っ、ロベールが、ワシをいぢめる……。要らないなんって言っておらんわい……」
魔王様はシュン……と元のサイズに戻った。ガルムレックはアンコパンに目を輝かせて高い鳴き声を上げ、アムリスは泣きつく魔王をなぐさめた。
「マーサ……いや、コムギちゃんは悪くないぞい。コムギちゃんだけじゃない、アムリスちゃんも気配り屋のやさしい娘じゃ……」
「まあ嬉しいですわ、魔王様」
「はぁぁっ、落ち着いてくれてよかったぜ……」
「そういえばワシ、勇者と買いに行ったんじゃった。ワシの分のアンコパンも皆でわけるとしようかの、ほっほっほっ」
魔王は元の少しひょうきんなお爺さんに戻った。寝室からテーブルのあるリビングへと移動することになった。
「ロベール様のお世話と、コムギお姉様のパンに、わたくしたちは守られているのですね……」
「へっ、あのお嬢ちゃんのパンは魔王様が憎しみを忘れるくれぇ、おいちぃ……♪ からな」
その後、コムギのアンコパンをお茶菓子にしたお茶会が開かれた。そこでロベールは温泉旅行の話を聞かれたので、彼は包み隠さずに事実を伝えた。
「マジ、かよ……」
「やるのぉぉぉぉ……さすがコムギちゃんじゃぁぁ」
「お姉様は魔性の女ですの!」
コムギが浮気性の女性だと誤解される前に、語っておくべきことだった。
驚かれもしたが、納得もされた。勇者と魔界の宰相。そのどちらかを選ばなければならないことになった時、果たして世の女性は片方だけを選べるのだろうか。
関係を壊すことなく両方の愛情が欲しいと思ったところで、そこに少しの異常性も感じない。ロベールはそう答えた。
「私は勇者キュルクレインが好きです。コムギさんが彼の馬の背に乗っていると、無性に邪魔をしてやりたくなりますが、同時にお似合いのカップルだと感じます。クレインならば、コムギさんを任せてもかまわないと」
友を称えるのは快感だった。その場の誰もがキュルクレインの人となりを知っていた。
「そもそも恋人、夫婦という画一的な価値観で人と人を結び付けることになんの意味があるのでしょうか。私も、クレインも、コムギさんも、私たちは何一つ互いの想いを裏切ってなどいません」
過去の私はともかく、今は。相談することなくコムギをさらったあの一件は軽率だった。ちゃんと相談すればキュルクレインもわかってくれたはずなのに。
「後ろ指指されることもありましょう。しかしその時は胸を張ってこう答えます。この関係こそが私たちにとって最良にして理想なのです。凝り固まった貴方の価値観で私たちを見るのはご自由ですが、こちらはそれに付き合う気は端からありません」
自分でも語り過ぎと思うものの、ロベールの舌は止まらなかった。親しいこの人たちには特に知って欲しいと思った。
「私は勇者キュルクレインを信頼しています。コムギさんが人を裏切り、騙す人物ではないことを知っています。私たちの間には愛情以前の友情があります。私たちはその友情を裏切る気などありません」
だいたいこんなところだろうか。全てを吐き出すとロベールはアンコパンに染まった舌をグリーンティーで流した。
彼に主張に対するガルムレック兵士長の反応は――
「お、おぅ……」
アムリスの反応は――
「お姉様、恐ろしい人……」
魔王ヨブの反応は――
「ワ、ワシもあと200歳若ければのぅ……ワシも間にはさまったんじゃがのぅ……っ。はぁぁーっ、羨ましいのぅ……」
少なくともロベールから見た限りでは概ね良好だった。
ご理解いただけたところでロベールはアムリスに魔王を任せて政務に戻った。それから店が閉まるの夕方前まで仕事に没頭すると、はたと思い出して席を立つ。
ロベールは政務室を飛び出し、コムギの店を訪ねた。
「あ、いらっしゃいませ、ロベールさん! 言われた通り取り置いてますよ、ロベールさんの分!」
「ありがとうございます。これをやらないと一日が終わった気がしないのです」
彼はコムギから一本のバケットを受け取った。そしてそれをかかげ、顔を上げ、口を開く。
「いただきます」
「旅行前より美味しく焼けるようになった気がします! めしあがれーっ!」
香ばしき甘美なるバゲットを、彼はガツガツと我ながら頑丈な顎と歯を鳴らして一本丸ごとを平らげた。
「どうですかっ!?」
「美味しいです。今ならサジタリウスの目まで飛んで行けそうです」
「えへへ……ありがとうござ――わぁっ?!」
食が満たされると別のものが欲しくなった。参考文献によると、女性はちょっとした強引な行いに胸ときめかせる傾向があるという。ただしイケメンに限ると書かれていたが、文献を元に練習を重ねた壁ドンは無事に成功した。
「あ、あの……っ、あたし、まだ……心の準備が……」
「さて、ここからは、確か……」
「ロベール、さん……?」
首をかしげるロベールにコムギもまたかしげた。
「すみません、ここから先はどうするべきなのですか?」
「こ、ここまでやっておいてっ、それをあたしに聞くんですかぁーっ!?」
「参考にした文献にはここから先が書かれていなかったのです」
「ピャッッ?!」
不意打ちで唇を奪うとロベールはコムギを壁際から解放した。それからクレインのことを思い出す。
「昼間と同じことを言いますが、このままでは不公平ですので、クレインが帰ってきたら同じことをしてやって下さい」
「出来るわけないじゃないですかぁぁーっっ!!」
「困りましたね」
明るい返しに楽しい気持ちが胸にこみ上げてきた。恥じらう彼女も、抗議に声を彼女もどちらも愛らしかった。
「う、ううっ、うぅぅぅーっっ!!」
「すみません、恋人になれたのが嬉しくて、やりすぎました」
「ちょ、ちょっとずつでお願いします……。あたし、こういうの全然慣れてなくて……ぅぅぅぅ……」
仕事の合間を見て勉強をしておこう。より具体的な事の運び方を、マニュアルを確認しなければ、これ以上の適切な愛情表現の方法がロベールはわからない。
「あの、よければ出かけませんか……?」
コムギのその誘いにロベールは応えられなかった。仕事が山のように残っていた。
「ぜひお付き合いしましょう」
「やったぁーっ!!」
あくまでスケジュール上は。
コムギ・ブランウィード。彼女を魔界にさらうというあの決断は、己の生涯において最も正しい判断だった。あの日決断しなかったらこうはなっていないのだから。
ロベールはコムギを魔界にさらった誇りある事実を胸に、照れくさそうな彼女に手を引かれて、栄えるサジタリウス=ハレーの往来へと飛び出した。
憎しみを捨て共存を選んだ偉大なる魔王ヨブにより栄えたサジタリウス=ハレーの町並みは、華やかで、かつ無秩序で、多くの種族と文化が行き交う真実の理想郷だった。
若き宰相と元勇者と奇跡を起こすパン屋は青い月が照らすその理想郷で、いつまでもいつまでも仕事を大切にして暮らしたという。
自分が好きな要素を全部詰め込んで書きました。
これからもどんどん新作を公開してゆきますので追って下さい、応援して下さい。




