・語り部:導きの女神と徘徊老人 2/2
仕事はまだまだ残っている。そろそろそこのソファーで仮眠でも取ろうか。
「ロォォベェェェールゥゥッッ!!」
そう思いかけたところで政務室の扉がノックもなしに乱暴に開かれた。やってきたのは魔王ヨブだった。
「これはこれは魔王様、いかがされましたか?」
またヒューマンへの怒りがぶり返したのだろうか。ロベールは様子をうかがいながら席を立つ。最強の徘徊老人が城や人を吹っ飛ばす前にこちらにやってきてくれて助かった、と思いながら。
「何をやっているのですか、ロベールッッ!! いたずらに隣国に戦火を放つなど、いくら敵が憎くともやってよいことと悪いことがあるでしょう!!」
「……その件ですか。まことに申し訳ございません、魔王様」
しかし今宵の魔王様は正気だった。
「私もいささかやり過ぎかと思い、既に手を引かせておりますので、何とぞご容赦を」
敬愛する賢王の姿に戻った魔王様に『お命じになられたのは貴方です』などと言えなかった。
「な……なんじゃと……?」
「担当の夢魔族は既に現場から退かせてあります」
「にゃにぃ……? も、もう手を引いてしもうたんかぁ……?」
「ええ、それが何か?」
魔王ヨブは目に見えてガッカリしていた。内政干渉を行う甥を叱りにきたはずなのに、祭りに乗り遅れてしまったような寂しい気分になった。もっと早く言ってくれたら悪巧みに加われたのに。
「ロベール、私は言ったはずですよ。やるからには最後までやり通しなさいと」
「ご安心を、確実に貴方のご命令を遂行いたしました」
ロベールはバインダーにまとめた報告書を魔王様に差し出して明かりの魔法で部屋を照らした。
魔王ヨブはメガネを取り出し、それをかけて報告書を読み上げる。1分も待たずして矛盾する魔王は、1分も待たずして速読を終えた。
「お、おお……」
魔王は涙を浮かべて鼻をすすった。
「マーサや……わしらのロベールがやっておくれおったぞ……。ここまで反乱の炎が高々と上がれば、もはやユーパトリウムもただでは済むまい……」
かつて故郷を奪った敵国で、政府が存続するかもわからない大反乱が勃発している。憎しみを抑え込んで秩序を築いた賢王ヨブには、胸の晴れる報告書だった。
魔王ヨブはユーパトリウム王国を倒せなかったのではない。倒さなかったのだ。一国を滅ぼせるだけの力を持ちながら、彼はその力を行使しなかった。憎しみを抑え込む道を選んだ。
「魔王様、私はただの宰相。ご意向があればそのお気持ちをくみますが、何かご命令は?」
「ふむ……」
魔王ヨブは再び賢王の顔となって思慮した。賢く聡明な彼の決断は早かった。
「では宰相ロベールよ、そなたに新たな命令を下します」
「はっ」
ロベールは主君の足下にひざまずいた。
「私からの命令は――もはや無い。私の導きがなくともそなたは上手くやってゆけるでしょう」
「そんなことはありません、私は今でも未熟者です」
「ほっほっほっ、謙遜することはないぞい。はぁ、これならいつ死んでも安心じゃの……」
「死なれては困ります」
敬愛する王に認められて感激する一方で、ロベールは無性に寂しさを覚えた。
「今のワシは生きているだけで厄介者じゃ、そろそろ自らの手で始末を付ける機会じゃろうて……。ワシを殺せるのは、ワシだけじゃからのぅ……」
あの日死ぬはずだった魔王の運命をコムギのパンが変えた。再び魔王ヨブは力を取り戻し、再び魔界最強のボケ老人となった。
彼の中に宿る賢王の理性は、制御不能の力で何かを壊してしまう前に、自決するべきだと決断した。
理性的で賢い見解だ。しかしロベールは理性や論理だけが正義ではないことを友や恋人から学んでいた。
「では、コムギさんの米粉アンコパンにはご興味がないと?」
「な、なぬぅっ!?」
「素晴らしいどころか、感動的な味わいでした。なじみ深い米粉入りのパンのやさしい味わいの中に、どっしりしたアンコの甘みが広がって……。ああ、あれを食べずに死ぬなんて、もったいない……」
魔界の老人はアンコが好きだ。魔王ヨブはパンもアンコもコムギちゃんも全て大好きだ。
「ぬ、ぬぬ、ぬぬぬぬ……っっ」
「あ、死なれますか? では、魔王様が召された後にも生まれるであろう甘美なるパンは、私が全て独り占め――」
「ぬぉぉぉぉーっっ、この叔父不幸者めがぁぁーっっ!!」
甥の政務室を吹っ飛ばしかけたところで、魔王ヨブはどうにか暴走する力を押し込めた。
「ふむ、アンコパンですか」
「はい、いかがいたしましょう魔王様」
「それは至急、試食をする必要がありますね。美味しすぎてパニックが起きる前に、私たちで制御する必要があります」
「では兵に手配させましょう。コムギさんのお店に明日アンコパンが並ぶよう、朝一番に材料をかき集めさせます」
「では遅くとも朝おやつ時には店頭に並ぶということですね、ロベール?」
「はっ、貴方様がそうお望みになられるならば、いかなる犠牲を強いてでも実現させてみせましょう」
ロベールは部下を呼び、朝一番で問屋に押し掛けてアンコを確保するよう命じた。部下はあきれていたが、ロベールと魔王は本気も本気だった。
そこにまたノックが響き、今度は勇者キュルクレインがやってきた。
「ああ、ちょうどいいところに。魔王様は死にたいそうです。討って下さいませんか、勇者として」
「なんちゅぅこと言うんじゃこの叔父不幸者めぇっ!!」
「あ、いや……君の依頼ならやぶさかでもないが、あいにく先に受けた依頼があってね」
「老人虐待反対じゃーっっ!!」
キュルクレインの依頼人は魔王親衛隊だった。彼らが青い顔をして城をかけずり回っていたので、手伝うことにしたという。
「貴方はどれだけお人好しなのですか……」
「なんじゃそういうことじゃったか。一声かけておけばよかったのぅ……」
「そういうわけだから俺がお部屋に連れて行くよ。さあ魔王様、お手をどうぞ」
「正気ですか……」
魔王と手を繋ぎたがる者などこの城にはいない。指を握りつぶされたり、腕を引っこ抜かれる可能性がないこともないからだ。
だが勇者は恐れることなく魔王の手を引いた。
「ほっほっほっ、勇者に老人介護される日がこようとはのぅ……。よければ寝床で、そなたの武勇伝を聞かせてくれんか?」
「そう言うなら喜んで。ロベール、徹夜仕事はほどほどにな」
それは無理な忠告だ。ロベールは両手を広げて態度で返すと、政務室を出て行く二人を見送った。
キュルクレインにはただただ感謝だった。彼へのますますの信頼の情をロベールは覚えた。
「徹夜はほどほどと言われましてもね、そればかりは無理な話です」
心地よい友情を胸にロベールは政務に戻った。崩しても崩しても減らない膨大な仕事量だったが、この代償を支払うだけの価値があの旅行にはあった。
旅行に行かなければ至高の甘味、アンコパンも生まれなかったのだから。




