・旅行の終わりとアンコパン 1/2
長くて短い四泊五日の滞在が終わる朝、あたしは4日ぶりにパンを焼いた。あれから毎日通った甘味屋さんで、焼き菓子用のオーブンを借りて甘いパンを作らせてもらった。
試食をしてみたけど傑作だ。甘味屋さんの女店長さんも褒めてくれた。店長さんはたれた狐耳が特徴の綺麗なお姉さんで、自分のことをお婆ちゃんと称していた。
「これ、うちで出してもいいかしら?」
「え、このお店でですか!? むしろ、いいんですかっ!?」
「米粉と小麦粉、それにアンコ。うちの店の人たちもきっと気に入るわ」
「どうぞどうぞ! こちらこそお菓子用のオーブンを貸してくれてありがとうございます!」
あたしは焼き上がったパンを袋に入れて温泉宿に帰った。宿のロビーではユカタから普段着に着替えた勇者様とロベールさんが待っていて、ロベールさんが鼻を鳴らしてあたしに気付いた。
「帰ってきたようです。オカミに声をかけてきますので、貴方はコムギさんを」
「あ、ああ……イヌヒト並みの嗅覚だな……」
「ええ、ただしコムギさんのパンに限りますが」
ロベールさんは振り向かずにパンの匂いだけであたしの帰りに気付いて、颯爽とこちらを一瞥してからソファー席を離れた。
「お帰り、上手くいったみたいだな」
「はいっ、アンコやお団子の作り方も教わっちゃいました!」
「はは、それはいいな。俺もロベールも君の社交力には敵いそうもない」
「えっへっへーっ。わわっ!?」
打ち粉が袖に付いていたみたいだ。勇者様があたしの右手を取ってはたいてくれた。右が終わったら左手も取って同じようにしてくれた。
「君の荷物はまとめておいたが忘れ物があるといけない。一応、部屋を見てくるといい」
「う、うん……ありがとう……」
あの晩を契機にあたしたちの距離感は大きく変わった。勇者様もロベールさんもちょっと積極的になった。
「待ってくれ、腰にも打ち粉が」
「い、いいですっ、自分でどうにかしますっ!!」
あたしは勇者様から逃げた。それから九頭竜の間に戻って、忘れ物がないことを確かめると、ちょっとだけ掃除をしてからロビーに戻った。
「クレイン、宿の皆さんにパンを」
「ああ、さあ皆さんこちらをどうぞ」
ロビーにはオカミさんを中心に、宿の従業員の人たちが集まっていた。どの人も狐耳の魔人族さんで人数は数えて13人もいた。
あたしが手配せずとも勇者様とロベールさんがそのみんなに新作のパンを回してくれた。
「えっと、忙しい中すみませんっ! あの、あたし、楽しい時間をくれた皆さんにお礼がしたくてっ、パンっていう食べ物を焼いてきました!」
そのパンは丸いブール型のパンで、小麦粉と米粉を混ぜ合わせた生地で出来ている。
「米粉と小麦粉を混ぜ合わせた生地に、アンコを入れて焼きました!」
あたしのリサーチによると、ユーガの人たちはアンコとお団子が大好きだ。そこであたしは思い付いた。そのアンコとお団子を材料にすればきっと受け入れてもらえるはず、と。
名付けてアンコパン! そのアンコパンをオカミさんが口にすると、キモノ姿の従業員の人たちもそれに続いてくれた。
「まあ、美味しい……っ」
オカミさんが美味しそうに微笑んでそう言ってくれた。
「よ、よかったぁぁぁ……」
「本当、美味しいね」
「いけるいける!」
ジョチュウと呼ばれる若々しいお姉さんたちも喜んでくれた。
「おいお前たち、お客様の前だぞ」
「観光客をもてなすのには慣れているが、こうしてもてなされたのは初めてだ……」
男の人たちにも好評だった。最初は戸惑う人もいたけど、アンコの力か、みんなのお腹にあたしのアンコパンが消えていった。
中には家族に食べさせたいと言って懐に入れちゃう人もいて二重に嬉しかった。
「離れの改築予算をお出しいただいた上に、こんなに素敵なおもてなしをいただけるなんて……皆様は当館最高のお客様でございます」
「へへへ……だってすごく楽しい滞在でしたから、このまま何もお返ししないで帰るのも忍びなくて!」
あたしがそう伝えると、宿の人たちはさらに明るい笑顔になった。ちょっと大変だったけどがんばってみてよかった。
「またきてね、モテモテ魔王様」
「おいコラッ!」
「確かに、女性として羨ましくてたまらなくなるお客様でもございますね……」
「オカミまで何を言っている……」
つい先日前ではこういうことを言われても意味がわからなかった。でも今はわかる。あたしはロベールさんと勇者様をはべらせている。
「あ、こっちは夜勤の人たちの分です! 余分に作ってありますので皆さんでどうぞ!」
「まあっ!? 重ね重ねありがとうございます!」
オカミさんも甘い物に目がないみたいだ。こんなに喜んでくれるとは思わなかった。あたしはアンコパンをオカミさんに引き渡した。
「待った! 私はまだ食べていません!」
「ロベール、落ち着け……」
「ですが!」
もちろんロベールさんと勇者様の分は取り置いてある。ロベールさんは我を忘れるほどにアンコパンに目を奪われていた。
バックからアンコパンの取り置きを出してみせると、ロベールさんの険しい表情が穏やかなものに変わった。
「さて、宿の皆さんにも仕事があることです、そろそろ行きましょうか」
早く出発して自分の分を食べたい。そんなロベールさんの本心が聞こえてくるようなセリフだった。
「確かにあまり拘束しては迷惑だ。帰ろうか、コムギ」
「う、うん……」
帰る。都に帰る。宿を出て元の生活に帰る。そう考えたら急に寂しい気持ちになった。
うちの店がどうなっているか気になってたまらない一方で、もう一日だけ滞在を延長したくなった。でもロベールさんも勇者様もお仕事が大好きな人だ。あたしも例外じゃない。
「このたびは当宿にご宿泊下さりありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
「はいっ、次はもっと大勢連れてきます!」
「ふふ……従業員一同、楽しみにしておりますね。接客の初心は真心だと、考えさせられるおもてなしでございました」
もっと話したいけど潮時だ。あたしたちは宿を出た。宿の人たちは軒先まで出て、出発しようとするあたしたちをお見送りしてくれた。
ユーパトリウムの貴族社会では息苦しいと感じた接待も、別の土地では心地よく感じるのだから不思議なものだった。
あたしは黒い牝馬シャイアさんの背に乗った。ロベールさんの腰に手をかけて、遠くなってゆくユーガ温泉郷を眺めた。
お土産もいっぱい、思い出もいっぱい。あたしはこの滞在のことを一生忘れないだろう。
「どうしたロベール?」
「え? ああ……別になんでもありません」
「アンコパンが気になるのか?」
「いえそれはもう少し後のお楽しみにします」
時々ロベールさんが後ろのあたしを見る。何か言いたそうだけど何も言わなかった。勇者様もそれに気付いていた。
「だったらどうした?」
「……違和感が」
「違和感、ですか?」
勇者様は馬上で腕を組んであたしたちを見た。しばらくすると勇者様は何かに気付いてうなずいた。
「確かに、行きと帰りでは感じが違うな。特に二人の位置関係が」
行きのあたしは平気でロベールさんの背中に抱き付いていた。胸とかを押し当てちゃったりして、かなり二人を惑わしていたと思う。
「クレイン、言葉はもう少し慎重に選んで下さい」
「そ、そうですよーっ!」
でも今はそういうことをする勇気が出ない。好きって気付いたら、恥ずかしいって気持ちまで強くなってしまった。
あたしだってロベールさんの背中にくっつきたい。でもそれは恥ずかしくて無理。
「やれやれ」
勇者様はそれ以上何も言わなかった。ただ正面を向いて彼方を眺めていた。それっきり会話も途絶えてしまった。
急に話題も見つからなくなった。あたしは遠くなってゆくユーガ温泉郷に視線を戻して、くっつくことを諦めた。
「その、コムギさん……何か、気分を害するようなことをしましたでしょうか……?」
「へ……? 別にそんなことないですけど……?」
「ではなぜ……。いえ、なんでもありません……」
どうしたのだろう、ロベールさんが急に落ち込み始めた。こちらをしきりに盗み見ては表情を曇らせた。
「どうしたんですか?」
「いえ別に」
「世話の焼けるやつだ……」
その時、勇者様が急に馬を減速させた。




