・パンの聖女、魔界に降り立つ
目覚めると狭苦しかったベッドが広々ふわふわに変わっていた。それに自由を奪う猿ぐつわと縄が消えていて、勇者様の姿もなかった。
寝ぼけ頭で辺りを見回す。そこは見知らぬ部屋だった。赤を基調にした立派な内装で、棚に置かれた大理石の猫の置物がかわいかった。
シーツも枕カバーも滑らかな絹で気持ちいい……。
よくわかんないけど、もうちょっとだけ二度寝――
「はっ、いやいやいやっ、ここどこっっ?!!」
二度寝しかけたところでハッとベッドから飛び起きた。
「はわっっ?!」
そしたら女の子の声がした。あたしの声にその子がソファーから転げ落ちて、よたよたとした動きで立ち上がった。
「あ、おはようございます、パーンの聖女さま」
「パーン……?」
「ソフィーは宰相様から見張りをお任せされたソフィーともうしますです」
大きな魔女帽子をかぶったその子はペコリとお辞儀をして、落っこちそうな帽子を抱えた。
髪はピンク色。あたしよりだいぶ年下、12歳くらいに見える。
「あ、これはご丁寧に……。あたしはコムギッ、粉挽きをしたり、パン屋さんをしていた者です!」
「ふぇ……パーンって買える物なんですかー?」
「へ? もしかして、パンのこと知らないの?」
「ごめんなさい、知らないのです。パーンは攻撃魔法ですか?」
「全然違うよーっ!? パンは食べ物だよーっ!」
食べ物と答えるとソフィーちゃんの顔が明るくなった。
パンを知らないなんてすごいカルチャーショック……。パンがなかったら何を食べればいいのか逆にあたしは聞きたい。
「あ、宰相さまに、ご案内するように言われてます」
「案内……? それに宰相さまって誰?」
「ロベールさまのことです。ふふふ、いいですねいいですねっ、恋愛小説みたいですねっ!」
「えーーーっっ、ルーベルさんって宰相様だったのっ!?」
え、ということは、まさか、ここって……。
「コムギさまが羨ましいです……。修行中の身ですが私も、宰相さまのようなカッコイイお兄さんに誘拐されてみたいです……っ、キャーッ♪」
「ソフィーちゃん、あの……ここってもしかして……魔界、なのかな……?」
「はいですっ! ここは魔王さまがおわします魔界の魔王城なのですよーっ!!」
「う、嘘……っ!? 魔界ってすごく遠いんじゃないのっ!?」
ちょっと待って、混乱して頭が回らない。
まだ寝ぼけているのかなと顔を叩いて見ても、普通に痛いだけの現実だった。
「お城をご案内します! ソフィーに付いてきて下さい!」
「う、うん……じゃあ、お願いする! とにかく見ればわかるよねっ、見れば!」
同意するとソフィーちゃんがあたしの手を取って引っ張った。お客様に対して普通に手を繋いで案内してくれるところがかわいくて、なんか細かいこととかどうでもよくなりかけた。
「なんですかー、コムギさま?」
ニヤニヤしてしまった。それをソフィーちゃんは不思議そうな顔で首をかしげた。
「あたし、そんな立派な人間じゃないし、コムギでいいよっ!」
「それは宰相さまに怒られるです……」
「じゃあお姉ちゃんでっ!」
この子は普通の人間にしか見えない。魔界って怪物だらけの世界じゃなかったんだ。
「わ、わかりました……。コ、コムギお姉ちゃんさま……」
「ふぉぉぉぉーっっ、いいっっ、それいいっっ!!」
「へ、変な人なのです……」
かわいいソフィーちゃんに引っ張られてあたしは部屋を出た。部屋の外は廊下になっていて、あたしは廊下のガラス窓に駆け寄った。
庭木と芝生と薄紫色の空が見えた。
「えっと、今何時?」
「お昼ちょっと前くらいだと思いますよー」
「わー……変なお天気……」
「それは、大気に魔力が混じっているせいなのですよー」
「へーっ、ソフィーちゃんって頭いいんだねっ!?」
「えっへんっ、お師匠様に教わったのですっ!」
あたしはソフィーちゃんの隣に戻って、お姉ちゃんさまとしての当然の権利として手を繋いだ。
「まずは玉座にご案内するです」
「えっ、いきなり!?」
「魔王様はいないですから大丈夫なのです」
「ほ……っ、それなら見てみたい!」
「魔王の玉座に一名様ご案内なのでーすっ!」
ソフィーちゃんに釣られれて魔王城を散策した。
玉座はすごい大きかった。それは黒曜石で作られた荒々しい玉座で、肘掛けの尖ったところで果物が切れるとソフィーちゃんが教えてくれた。
「危ないよっ!?」
「はいです……。でもこれに座るような人たちは、皮膚も頑丈なのです……」
「うーん、世界が違う……。魔王様ってこれに座るくらいに大きいの?」
「本気のときは大きいです」
玉座を離れて、次は魔王軍の兵隊さんたちの詰め所を訪ねた。いったいどんな怖い人が待っているのかとあたしはおっかなびっくりだった。
「兄貴っ、パーンだ! 聖女パーンがきたワフよ、兄貴!」
「パーンってわりに弱そうだワン!」
だけどそこにいた人たちは――ワンコたちはモフモフだった!
直立歩行をする大きなワンコたちがカウンターに腰掛けてドリンクを飲んでいた!
後ろ足で頭をかいているワンコもいた!
「こちら、ワンコさんたちなのですよ~」
「コボルトだ、間違えんじゃねぇ……」
えっ、聞いていた姿と全然違う!
魔族のコボルトってこんなにふかふかでかわいいの!?
「お前がロベールのお気に入りか。任務を放棄して突然舞い戻ってきたかと思えば、へっ、まさか女がらみとはな……」
その中で一人、クールで大柄でカッコイイコボルトさんがいた。この人が狼なら他のコボルトさんたちはコーギーやチワワだ。
「こちら、コボルトさんたちの親分さんなのです。口はちょっと悪いですけど、やさしくてふわふわなのですよ~♪」
「ふわふわじゃなきゃ、女にモテねぇからな……」
「よ、よろしくお願いしますっ、親分さんっ!」
「はっ、ロベールが何を考えてるのか知らねぇが、きちまったもんはしょうがねぇ。何かあったら言いな、宰相よりは暇してるぜ」
雰囲気は少し怖いけど、面倒見がよさそうでワイルドなコボルトさんだった。
魔界ってもしかしてこういうかわいい魔族さんがいっぱいいるのかな……!? そうなのかなっ!?
「ロベール様には報告したワン?」
「ソフィーちゃん抜けてるから心配だワフ……」
「はいですっ、すっかり忘れていたのですっ!」
「ダメだこりゃ……。おいお前、ひとっ走りしてこいっ!」
あたしは別に困らない。もっとソフィーちゃんと魔王城観光をしたい。
「ソフィーちゃんっ、そろそろ次いこ! あたしもっと見て回りたい!」
「へへへー、ではエントランスホールにご案内するですよ~」
ソフィーちゃんとまた手を繋いで魔王城を歩いた。
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