・語り部:アケロン川を渡りかけた公爵令嬢の小さな幸せ 2/2
アムリスは倒れてからの一通りの出来事をガルムレックに語った。語りながら城の者の善意にあらためて感謝した。
「そうか、魔王様が……」
「またたくさんの方に、返しきれないほどの恩が出来てしまいましたわ」
「そういうのは病気に治してから考えりゃいい。……ところで、お嬢ちゃんは?」
「お姉様ですか? お姉様はわたくしが倒れたことを存じ上げておりませんわ」
事前にそういった取り決めになっていた。自分の病状が悪化するたびに店を休業にされたら、ますます姉に迷惑をかけてしまう。だから病気が悪化しても姉の耳に届かないようにしてほしいと、アムリスは城の者にお願いしていた。
「本当にそれでいいのか?」
「いいの、わたくしはずっと悪い妹だったから、これ以上は迷惑をかけられない」
「けどよ、あのお嬢ちゃんの辞書に迷惑なんて言葉はないぜ」
「ですけど、わたくしが血を吐いて死にかけたなんて知ったら、楽しい旅行が台無しになってしまいますのよ?」
知れば旅行の予定が白紙になるだろう。それどころか、コムギは仕事そっちのけで看病にくるようになる。
「そりゃわからんでもねぇが……葬式で恨み言を言われても知らんぞ?」
「かまいません。どんなに殿方がアプローチをかけても、その本心に気付きもしないお姉様に、やっと春がやってきたのですのよ?」
「ま、今だけは邪魔したかねぇか。ロベールの野郎もモテるくせに誰にもなびかなくて、魔王様がえらく心配してやがった」
「ふふ……うっかり死んでしまって台無しにするところでしたわ」
「笑えねぇっての!」
ガルムレックはベッドサイドのイスに腰掛け、大柄な身体を折り曲げてアムリスの顔色を観察した。初対面の頃と比べればずいぶん健康を取り戻したと嬉しく思っていたのに、まさか倒れるだなんて。
「ガルムレック様、遠征は……?」
「抜けてきた。1日くらいなら舎弟どもがごまかし通してくれるだろう」
「そんなご無理を……? わたくしのせいでごめんなさい……」
「俺が勝手に軍規を破っただけだ。明日までに戻りゃまあどうにかなる」
ガルムレックは毛むくじゃらの手でアムリスの手を握った。その手に血が通っていることに安堵して不器用に笑った。
「俺はアンタと違って貧乏な家の生まれでな、実家は国境荒らしだった」
「まあ……」
「要するに強盗一家だ。一家で旅人を襲っては生活費をいただいてたんだが、ある日、親父がヒューマンの警備隊に捕まってな、それっきり親父は行方知れずになっちまった」
何を思ったのかガルムレックは身の上話を始めた。父親の捕縛による一家離散。その後各地を転々とし、ここサジタリウス・ハレーに若い彼はやってきた。
「ヒューマンどもを憎んでいたよ。悪いのはどう考えたって、国境荒らしをやってた自分たちだってのにな」
「仕方ありませんわ。家族の代わりはおりませんもの」
アムリスはもはや父や兄などどうでもよかった。自分を守ろうとした姉の幸せだけを願っていた。
「そんな俺の前に魔王ヨブが現れた。城で盗みを働いた俺はあの爺さんにはっ倒されたんだ」
「そ、それはよくご無事でございましたね……?」
「ハハハッ、昔の魔王様は頭がハッキリしててたからな。でな、俺はこう言ったんだ」
それは唐突な身の上話だった。だがこれまでガルムレックが一度も語ろうともしなかった過去を、自分に語ってくれたことがアムリスは嬉しかった。
「『ざけんなクソジジィ、俺はヒューマンからしか盗まねぇ!』ってよぉ、怒りに任せて叫んだらあのジジィ、大笑いしやがった」
ガルムレックは身を乗り出してアムリスに顔を近付けると、楽しませようとしてかまた笑った。
「魔王様とはその日からの付き合いだ。恩赦をチラ付かせるあの爺さんの頼みを聞いているうちに、いつの間にかヒューマンへの恨みを忘れちまっていた」
「……丸め込まれてしまいましたの?」
「逆恨みの俺と違って、あの爺さんには本気でヒューマンを恨む権利があった。なのに爺さんはヒューマンの移民を受け入れ、恨みを胸の奥に押し込んだ。そんなやつには敵わねぇよ」
「わたくしも先ほど魔王様に慰めていただきました。ヨブ様はとても素敵な方です」
「いや昔はもっと立派だったんだぜ……? ああ、まあ、要するにだな……?」
アムリスは思った。ガルムレック様が大好きな姉のクリームパンをいただいたことは黙っておこう、と。
「本当に俺が憎かったのは、ヒューマンじゃなかった。汚い仕事をしないと生きられない自分たちだったんだ」
「……致し方ありませんわ。誰もがお姉様のように清く正しく真っ直ぐでいられるわけではありませんもの……」
「俺は今でこそ慕われてるけどよ、昔はクズだった。それを知っておいてくれや」
初めはガルムレックの意図がわからなかった。けれどアムリスは自分の胸が少し軽くなっていることに気付いた。
姉を人攫いにさらわせた妹と、非道な国境荒らし。ここにいる二人は人に語れない過去を持っていた。
「ところで話を戻すが、旅行に行くんだってな、あいつら?」
「ええ、もどかしい関係がやっと進展しそうな予感がしますの」
その気になった殿方二人に囲まれて旅行ともなれば、いくら鈍感な姉でも気付くはずだ。こうなっては姉から報告を聞くまで死ぬに死ねなかった。
「誘われたけど断ったそうだな?」
「当然ですのよ」
「けど本当は一緒に行きたかったんじゃねぇのか?」
そう聞かれてアムリスは寂しそうに微笑んだ。いつ死ぬかも知れない我が身。出来ることならば一緒に行きたかった。
「……ええ。誘われて、お邪魔なことに気付くまでは、無邪気にはしゃぐ子供に戻ったかのような気分でしたわ」
純粋だった頃のコルネル王子と離宮でバカンスを過ごした頃のことをアムリスは思い出した。あの頃は幸せだった。自分も王子もまだ狂っていなかった。
「この遠征が終わって、アンタの体調も戻ったら、俺たちもどこか旅行に行かないか?」
「え……!?」
アムリスは驚きに顔を上げた。自分もガルムレック様に旅行へ誘ってもらえたらどんなにいいだろうなと、そう心に描かないわけがなかった。
「ダメか?」
「行きますっっ!! ぜひお供させて下さいっっ!!」
「おお、ありがてぇ! んじゃ約束だぜ、アムリス! 旅行行けるようによ、身体よくしておけよ?」
「はいっ、わたくし、健康になりますっ!」
いつ死んでもいいと思っていたのに、アムリスは死ぬのが怖くなってしまった。せめて死ぬ前に旅行に行きたい。楽しい思い出さえ作れたらもう死んでもいい。
「……ところでさっきから微かに、クリームパンの匂いがするんだが……」
ガルムレックはアムリスの唇を見た。顔に鼻を近付けて匂いを嗅いだ。
「ごめんなさい、ガルムレック様……。実は先ほど、魔王様からクリームパンを半分――ひゃぁぁっっ?!!」
ガルムレックは食欲に負けてアムリスの口元を舐めた。毛皮のない者たちのしょっぱい肌の味わいに、クリームパンの甘い香りが残っていた。
「キュゥゥン……ちょっとだけおいちぃ……♪ はっ?!」
「わ、わたくし、恥ずかしいですわ、ガルムレック様……」
「あ、あんなに美味いパンを曜日限定にするなんて間違ってる!! ずるいぞ、アムリス!!」
「キャァッッ?!」
ガルムレックは絶望した。遠征から帰るまで、あのおいちぃクリームパンを食べられないなんて。今回の遠征先は遠方で、以前のように舎弟に届けさせることもできない。
「わたくしからお姉様にお願いしてみますわ。お姉様はわたくしにわがままを言ってもらいたいそうですから……」
「お、おお……頼む!! あのクリームパンを食べずに戦いに戻るなど、無理だ!!」
あの黒い丸薬はアムリスの命を奪わなかった。彼女の聖女の力を封じることで、病の進行を遅らせた。
昼になるとアムリスはガルムレックに付き添われて姉が働くパン屋を訪ねると、わがままを言った。
「ソフィーは大賛成なのです!!」
「いいじゃん、作ってやんなよー? こういうのって、ワガママ言ってくれるうちが華って言うじゃん?」
「そんなの言われるまでもないしっ! ありがとうアムリスちゃんっ、お願いしてくれて嬉しい! これからも遠慮しないでなんでも言ってねっ!!」
わがままなんて言えるはずないと思っていたのに、いざ口にしてしまえば簡単だった。
クリームパン。それは公爵である父にわがままを言って買ってもらったどんなドレスよりも光り輝いて見えた。




