・語り部:嘘じゃわしゃ食っとらん!!
しかしこの話には続きがある。ユーパトリウム王都より遙か東方、大長城を越え、深い森を越え、サジタリウス=ハレーをさらに東に越えた先にあるひなびた温泉宿に、今回の顛末を伝えるレポートが届いた。
「王太子は国の安定のために妥協しましたか……。残念です……」
「そう責めてやるな、若。王太子に決定権など始めからなかったであろう」
レポートを届けたのは鷹の姿をした鳥人族。それを受け取ったのは他でもない、やり手の宰相のロベール・サマエルだった。
「特権階級の自己保身のために民を切り捨てることは、正しいことだと?」
ロベールは深く嫌悪した。民を守らない支配者は詐欺師であり裏切り者だ。そんな詐欺師が貴族王族としてふんぞり返っている社会に、彼は嫌悪を隠そうともしなかった。
「フッ、若の口からその言葉が出ることを喜ばしく思う」
「答えになっていませんよ。醜い、あまりにも醜い……」
ロベールは報酬に大粒の宝石を投げた。鷹の鳥人はくちばしでそれを加えると、くちばしでそれを懐に押し込んだ。
「秩序の維持と正義は両立しない。難しい話であるな」
「正義なき秩序になんの価値があるのです。……それはそうと、彼の様子は?」
「うむ、彼か。好ましい男であるな。城の牢獄で寝泊まりをしながら、辺境の民のためにモンスターを狩っているそうだ」
「はい……?」
「牢獄で寝泊まりしている。牢屋の中でコボルト族の兵士と鍋を突ついたりな」
「ハ……ハハハハハハッッ!!」
ロベールらしからぬ大笑いに鳥人は翼を広げて驚いた。
「ブレませんね、クレインは」
「うむ、私もあの男が気に入ったぞ。聖剣を質に入れて魔剣を腰に差すところが実にクールだ」
「私が一目置いた男です、当然でしょう。……さて、それでは魔王様、お話はお聞きになられておりましたね?」
その場にはもう一人の役者がいた。現魔王だ。鳥人と宰相は魔王に振り返り、床に平伏した。
「偉大なる賢王よ、どうかご命令を」
最強にして賢き魔王ヨブは彼らの前にやってきて、平伏する臣下を見下ろした。
「ふむ…………」
魔王は息を漏らすだけで何も答えなかった。しかし賢王の思慮を乱すことなど許されない。ロベールたちは冷たいフローリングの床の上で主の言葉を待った。
「飯…………飯は……まだかいのぉ……?」
「はっ、魔王様は1時間ほど前に、スーシをお食べになられたばかりかと」
「なん、じゃと……? ぅ、ぅぅぅぅ……嘘じゃ! 嘘じゃ嘘じゃ……っ! わしゃ食っとらん……スーシじゃスーシじゃっ!」
「はい、ではすぐに用意させます」
長い外遊からようやく引き返し、帰路にある温泉宿に戻ってきた頃には、もはやそこに賢王はいなかった。
「わ、若……」
「何も言わないで下さい、始めからわかっていたことではないですか」
残念ながら、魔王ヨブは元の最強の痴呆魔王に戻ってしまっていた。
「旅はもう疲れたわい……。早くマーサに会いたいのぅ……」
「私もです」
「ほっほっほっ、ぞっこんじゃのぉ……。おお、そうそう、そりゃそうとさっきの話じゃがのぅ……」
魔王ヨブは考えるようによだれまみれのあごを撫でた。
「はっ、何か知恵をお貸しいただけるのでしょうか?」
「うむ、お前は物事を難しく考えすぎるところがいかん。逆もいかんが考えすぎもいかん」
呼ばれてやってきた近衛兵を背に、魔王ヨブは突然戻ってきた知恵の光で目を輝かせた。
「おっしゃることはわかりますが、これが私の性分。性分は直そうとしたところで直りませんよ」
「はぁ、かわいげがないのぅ……」
「私にかわいげは必要ありません。それよりも魔王様、頭のもやが晴れているうちに、お知恵をお貸しいただきたいのですが……」
「ほっほっほっ、もうだいぶふわふわしとるわい。まあ、要するに、じゃな……?」
恐らく何を言いたいのか忘れてしまったのだろう。魔王ヨブは1分近くの思考停止の後に――ただこう言った。
「あれじゃ、あれ、つまりじゃなぁ……。バラしちゃえばいいんでないのぉー?」
ロベールはあまりにもシンプルすぎる魔王の言を、真面目すぎる性分そのままに熟考した。
「おお、なるほど……あえて逆の逆の手を打つということですね、魔王様」
「いや今の魔王様はそこまで考えておられぬと思うが……」
小声で鳥人族の諜報員はつぶやいた。
「ワシ、人間嫌い……。じゃって、やつら、やつらはワシとマーサの家を……楽しかった……あの頃を……」
「先の侵略戦争の件ですね。戦禍に巻き込まれた魔王様ご一家はさぞおつらかったでしょう」
ロベールは平伏する鳥人族の諜報員を下がらせ、魔王の死角から近衛兵に素早く手招きした。
「わかりました。他でもない魔王様がそうおっしゃるのならば、全てバラしてしまいましょう」
「許せん……。ワシらに……あんなことをしておいて、今度は病の民を騙すじゃと……? 何度同じことを繰り返す……何度、何度……っ」
「落ち着いて下さい魔王様、このままではこの離れの間が――」
「許さん……そんなことは絶対に許さんっっ!! 許さんぞ人間どもがぁぁぁっっ!!!!」
「く……っっ?!!」
その瞬間、魔王ヨブより超高密度の魔力が放たれた。ロベールが魔法の障壁を生み出し、その背後に庇わなければ、諜報員と近衛兵は死傷することになっていただろう。
客室は屋根ごと吹っ飛んだ。幸いそこは離れの戸建てだったので被害者の心配はなかった。巨大化し、膝や肩からトゲを生やした魔王様がそこに君臨していた。
「近衛っ、急ぎ魔王様にスーシを!! スーシを食べさせないとこの温泉街ごと我々が滅びますっっ!!」
「人間……滅ぼす……一人残らず……生かしてはおかぬぅぅっっ!!」
「私が魔王様を止めている間に、早くっ!!」
ロベールは魔王の進路に立ちはだかった。こんな時のために用意してあった飴ちゃんや乾燥ゼリー、温泉まんじゅうを取り出して魔王をなだめた。
「ほーら魔王様、ゼリーですよっ、飴ちゃんですよ!! よもぎの入った草温泉まんじゅうもありますよっ!!」
「ワシをバカにするかロベールゥゥッッ!! 仲間の仇を討たずしてっ、美味しく飴ちゃんが食べられるかぁぁぁっっよこせぇぇっっ!!」
一見シュールに見えて命がけである。魔王の本気の一撃を受ければいかにロベールと言えど生き残れるかもわからない。常人であれば一瞬で肉塊や消し炭にされてしまうだろう。
「か、神の救いだ若っ、あそこにっ、旅のスーシ職人らしき男が!!」
「なんと!? お聞きになられましたか、魔王様っ! スーシですよ、スーシッ、スーシが食べられますよ!」
「ス、スー……シ……? 玉子……玉子のスーシもあるかの……?」
「え、ええ……恐らくは……。ないと言われたら、そこの鷹人の鳥人に卵を生ませても作らせましょう」
「ま、任せていただこうっ!」
魔王の巨体が萎んだ。トゲが引っ込み、もとの温厚で小柄な老人に戻っていった。
てんやわんやの大騒ぎの後に、たまたま通りがかったスーシ職人により温泉街の滅亡は避けられたのだった。
ちなみに余談ではあるが、その鷹人は雄だ。始めから卵など産めるわけがなかった。
「で……どうするのであるか、若……?」
「魔王様はバラしてしまえとおおせです」
「なんと、それはまた……ご正気ですかな?」
それでマナ鉱石の毒で病となった患者や遺族は救われるかもしれない。しかし引き替えに、ユーパトリウム王国に政情不安の暗雲が立ちこめるだろう。
「グルフィン、貴方は魔王様の正気を疑われるのですか?」
「今はおボケになられておられよう……」
「関係ありません、魔王様の決定は絶対です。計画を立てますので、小一時間魔王様をよろしくお願いいたします」
鷹人グルフィンは渋い顔をした。暴動が内乱に発展すれば、さらに多くの者が苦しむことになる。
「今はそなたが宰相だ、決定に従おう。しかし私には貴殿が、コムギ殿に危害を加えられかけて、相当怒っているように見えなくもないがな」
東方の貴婦人が扇で口を覆うように、その鷹は翼で口を覆った。
「その話は絶対に魔王様の前でしないで下さい」
「……何ゆえに?」
「コムギさんが矢の嵐に串刺しにされかけたと聞いたら、怒りにかられてユーパトリウムに攻め込みかねません」
「はっはっはっ、愛されておられるな、我らの魔王代理補佐殿は」
「冗談ではありませんよ。両国の秩序は老人介護によって守られているのです」
最強の痴呆魔王(叔父)の存在はいつだってロベールの悩みの種だった。通常ならば頭と同時に肉体も衰えるが、魔王ヨブの場合は逆だった。
理性により押さえ込んでいた力と怒りがボケにより解放され、今では破壊神も同然の存在となっていた。
ロベールは荒廃した離れで熱狂的にペンを動かして[『バラしちゃえばいいんでないのぉー?』計画]を組み立てていった。
「キュルクレインの動向が気になる……。愛……愛……? コムギさんと一緒に、買い物……? あれは、あれは私のサンドイッチだ……」
気付くとロベールは命令書を二枚書き上げていた。一枚は、愚かにも隠蔽を選んだユーパトリウムの支配階級を糾弾しつつ、彼が一目置いていたフランクリン王太子を支援するためのもの。
そしてもう一枚は、『コムギとキュルクレインの動向をどんなにレポートが長くなっても構わないので逐一報告するように。1日あたりレポートは20枚を下限として上限は設けないものとする』と要求する無茶ぶりの命令書だった。
「プティング入りの、コムギさんのクリームパン……。それを3つ半も、彼が……? 曜日限定……いつだ、いつ限定になるのです……!?」
「はっはっはっ、若にも遅咲きの思春期が訪れたようですな」
後日、コムギを監視する屋根裏のローパー族の元に、混沌とした命令書が届くことになるのはまた別の話となる。
「私が思春期? 見当違いの推理ですね。それよりもこの手紙を[諜報員]と[監視]に届けて下さい」
「それは失礼。ですが若、うかうかしているとあの明るいお嬢さんを横取りされてしまいますよ」
「黙りなさい……全身の毛をむしって筆ペンにして差し上げてもいいのですよ」
「若のためならローストチキンにだってなりましょう」
コムギのパン屋にときおり訪れる紳士な鳥人族グルフィンは、あまりにも鈍い宰相に大きな翼を使ってお辞儀をして、窓の役割をなしてない窓から天へと舞い上がっていった。
「クリームパン、クレイン、コムギさん……。クリームパン、クレイン、コムギさん……。くっ……クリームパン……ッ」
ロベールは魔王ヨブの姿を探してガレキとなった離れを出ると、日当たりのいい湖の前に設営された屋台に向かった。その屋台でスーシを食べている魔王を見つけると、その隣に並んだ。
「クリームパン……!? なんじゃそりゃ、ワシも食べたいぞい!?」
「では明日からは強行軍でサジタリウス=ハレーに戻るということで」
当初はもっと寄り道を楽しむ計画だったが、どうしても報告にあったクリームパンとキュルクレインが気になった。
「早く会いたいのぅ……マーサ……じゃなかったの、コムギちゃんに。ワシ、コムギちゃんが好きじゃぁぁ……」
「ええ、私も早く食べたい――いえ、違いました、早く会いたいです」
「ほっほっほっ、鈍いやつじゃのぅ……」
ロベールはコムギのクリームパンを食べるために、魔王ヨブを説得し、帰郷の予定を2日も早めた。胸に渦巻くどうしても落ち着かない感情に戸惑いながら。
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