・語り部:業と代償 - アムリスの場合 -
鈍く刺すような痛みに胸を抱くたびに彼女は思った。いったいこれまでの人生はなんだったのだろうと。
あの時ガルムレックが自分を庇ってくれなかったら、自分は流れ矢に全身を突き刺されて死んでいた。
その斉射を命じた男の名はコルネル。彼女が全てを犠牲にしてまで取り戻そうとした男だ。コルネルに求められるがままに、彼女は聖女の力を酷使してきた。
……命に関わるとまで警告された、魔女の薬に手を出してまで。
命を削ってコルネル王子の願いを叶えたのに、彼がくれたのは上辺だけの愛の言葉と、用済みと言わんばかりに放たれた矢の嵐だけだった。
しかしコルネル王子を恨むことは出来ない。自分もまた貴族社会の闇に飲まれ、第二王子の伴侶という栄光に目がくらんでいたのだから。
確かに胸にあったはずの王子への純粋な恋心はとうに歪み、愛とすら呼べない執着だけが自分を突き動かしていた。
痛みを感じるたびにアムリスは思う。何にも執着しない自由な心を取り戻せた自分は幸せ者だ。これからは自分を救い出してくれた人たちのために生きよう、と。
「おはようございます、お姉様、お使いに参りました」
朝、アムリスは開店前のパン屋に並ぶ。
「あ、いらっしゃい! 今日も用意してあるよっ!」
「お手間をおかけします……」
店が開くと姉からパンの取り置きを受け取る。
「いえいえ、こちらこそ親分さんのためにありがとう!」
「わたくしを本心から守ろうとして下さったのは、あの方だけですから……」
「あたしも隣にいたらかばってたよっ! だってアムリスちゃんはあたしの妹だもん!」
ガルムレック兵士長の代わりにパンを買って、彼とその取り巻きのコボルトに届ける。それが最近の彼女の日課だ。
「病気が治ったら一緒に暮らそうね」
「お姉様、わたくしは魔王城で暮らすと言っているではありませんか」
「えー、なんでー!? せっかく仲直りできたんだから一緒に暮らそうよーっ!?」
「いえ、申し訳ありませんが……わたくしはキュルクレイン様のように自立しとうございます」
かつてのアムリスは姉が妬ましかった。身勝手な男たちに振り回されることなく女の身でたくましく生きてゆく姉が、ただただ目障りでたまらなかった。
「では、ガルムレック様が舌なめずりをして待っておられますので、わたくしはこれで……」
「一緒に暮らそうよぉーっ!!」
コムギはアムリスとは正反対だった。父やコルネル王子を頼る他になかったアムリスとは正反対の、人を頼らずに生きていける強い女だった。姉が苦境を笑顔で跳ね返すたびに、自分の弱さを突き付けられた。
「お姉様には感謝しております。しかし申し訳ございませんが、共に暮らす気は全くないとあらためて申し上げておきます」
「えぇぇ……そんなぁぁ……っ」
そんな頃があったアムリスには姉はまぶしすぎる。近くにいれば目がくらんでしまいそうだった。
「目と鼻の先ではございませんか。幾度となくお姉様を陥れたわたくしを、こんなお側に置いていただけるだけでも嬉しく思っておりますわ」
納得しない姉にお辞儀をしてアムリスは店を出た。
「おはよー、アムリス! 後で私たちの歌を聴きにきて!」
「はい、体調に変化がなければ必ず」
魔王城に向かって広場を歩くと、ハーピー族と鳥人族の一団に声をかけられた。数日前に歌と演奏を褒めたらすっかり懐かれて、こうしてお呼ばれがかかるようになっていた。
「わーいっ、仲間に伝えておく!」
「ユーパトリウム王都の大劇場を探しても、皆様の歌声に敵う歌い手はおりませんわ。それを無償で聞かせていただけるなんて、サジタリウス=ハレーは地上の楽園と呼べるほどの都ですの」
「よくわかんないけど、仲間喜ぶ! 聞いてくれるだけで、私たちも嬉しい……!」
甘く香ばしいパンでいっぱいのバスケットを抱えて、アムリスは城門をくぐる。行き先はいつもの城の酒場。毎朝そこでガルムレックが待っている。
「おはようございます、ガルムレック様」
「おう、待ってたぜ。いつも買いに行かせちまって悪ぃな……。俺が甘い食いもんが好きだってこと、あまり知られたくなくてよ……」
「ガルムレック様には立場がございますものね」
「わかってくれて嬉しいぜ! てかそこんとこ、わかってくれるの、お前さんだけだ!」
かつてのアムリスは毎季のように新しい絹のドレスを父親にねだった。それと比べればなんとかわいらしい見栄だろう。
「お前さんの姉貴は気にするなって言うけどな、兵士長の俺が甘いパンをチュパチュパ食ってたら威厳ってもんがなくなっちまう!」
「ふふ……ガルムレック様はチュパチュパされていてもご立派ですわ」
ガルムレックの傷はまだ癒えていない。矢が肩の骨まで達していて、治癒魔法でもすぐには治らない休息が必要な負傷だった。
「アムリスちゃん、僕らからもありがとワン!」
「親分は気にしすぎヒャン!」
アムリスはコボルトたちにもパンを配って皆と一緒に食べた。
「キュゥーン……♪ はっ、ち、違うっ、今のは……っ、今のは…………屁だ!!」
「屁、でございますか……?」
すかしっ屁に聞こえなくもないが苦しい言い訳だった。
「無理しかないワン」
「黙れテメェら!! 俺が屁と言ったら屁なんだよっ!!」
ガルムレックは軍人から文官まで多くの者から尊敬されていた。見た目こそ怪物じみていたが面倒見がよく、フットワークも軽くて頼りになる男だった。
「へっ、お嬢め、日に日に腕を上げてやがる……。あの日初めて食った青林檎のジャムパンも美味かったが、今の方が明らかに美味ぇ……キュゥゥゥン……♪」
「わたくしもわかります。お姉様が故郷でパン屋の手伝いをしていた頃のパンよりも、遙かに美味しくなっておりますの」
パンを食べ終えると舎弟たちは食堂へ二度食いに行く。二人だけになるとアムリスはガルムレックの肩に寄り添い、手のひらを寄せた。
「おい、バカなことは止めろ、魔王病が悪化すんぞ」
恩人の傷を聖女の力で癒そうとした。
「少しくらいなら、大丈夫です……」
「医者に止められてんだろっ、下手すりゃ死ぬぞバカ野郎っ!」
アムリスは構わずに聖女の力で治療を行おうとした。それをガルムレックが腕をつかんで強引に止めた。
「いいんです。あの時かばってくれなかったら、死んでいたかもしれない命ですから……。それに、この病気は……」
「バカなこと言ってんじゃねぇ! 死ぬって決まったわけじゃねぇだろが!」
「お姉様もガルムレック様もおやさし過ぎます……」
「当然のことを言ってるだけだぜ、俺はよっ!」
姉にはとても言えなかった。『病状の悪化次第では死んでもおかしくない』と、医者に宣告されているとは。
「お姉様は赦して下さいますが、わたくしは罪人です……。だからせめて、貴方様に負わせてしまった傷を癒してから……」
「バカ野郎っっ!! そのお姉様が大泣きするようなことすんじゃねぇっ!!」
魔王病は魔王と聖女と勇者だけがかかる病だ。そのためとにかく症例が少ない。
医者が言うには聖女、魔王、勇者の力は根元は同じもの。分不相応な奇跡の力を使おうとした者がこの病気を患う。
医者の見解は『よくなるかもしれないし、ならずにこのまま悪化して死ぬかもわからない』だった。症例が少なすぎて断言ができないと言い、『とにかく覚悟だけはしておくように』と警告されていた。
「お嬢にはこのまま伝えないつもりか……?」
「ええ、よくなるかもしれませんし……」
「そう願いてぇところだな……。お嬢の笑顔のためにもよ……」
魔王病は聖女の奇跡の力ではよくならない。奇跡の力で悪くなったものなのだから、同じ力で治せるわけがない。
つまりコムギの奇跡のパンの力でも、アムリスの病は治せない。もしこの事実を伝えれば姉は、治せない病を治せない力で癒そうとして思い悩むことになるだろう。
「ったく声上げたら喉が乾いてきたぜ……。おい、いつもの赤ワインだっ!」
ガルムレックが注文すると、酒場のカウンターに赤ワイン――ではなく、ワイングラスに注がれたブドウジュースがバーテンの手により運ばれた。
彼はポケットに取っておいた蜂蜜入りスコーンを出すと、ブドウジュースを酒でも飲むように優雅に傾けてから、スコーンをかじる。
「はぁぁん……おいちぃぃ……♪ はっっ、な、何見てやがるっ!? 俺が甘いパンが好きで悪ぃかよぉっ!?」
「いえ全く。わたくしもお姉様の蜂蜜入りスコーンが大好きですから」
「……おう、そうか。ならちょっとだけ食うか?」
「いえ、たくさんいただきましたので……」
アムリスはガルムレックの隣に座ると、バーテンが入れてくれたグリーンティーを楽しんだ。
「疲れただろ、部屋まで送ってやるからそろそろ休め」
「ありがとうございます……」
魔女の薬を頼って無理をするようになってから、少しのことで疲れるようになっていた。もっとガルムレックと一緒にいたかったがそろそろ身体が休みたがる頃だった。
「午前の検診が終わったら午後は暇だろ? 今日は都の西の方を案内してやろうか?」
「行きます!」
「おうっ、いい返事だっ! そうやって笑ってりゃきっと良くなる。昔のことは全部忘れちまえ! 俺だって自慢できる過去は持っちゃいねぇ!」
アムリスは思った。国境の向こうにこんなやさしい世界があるなんて知らなかった。家と自分の未来のためとはいえ、表ではおべっかを言い合いながら裏で出し抜き合う貴族社会は、人を幸せにするようなものではなかった。
「王子様は……貴方みたいにやさしくなかった……」
「ハハハハッ、ありゃ至上最低の男だっ! 忘れろ忘れろっ!」
「はい……忘れます……。今ではなぜ、あんな人に夢中になっていたのか、わからなくなっています……」
今さら国に戻ったところで、魔王病――またの名を聖女病で死ぬかもしれない女とコルネル王子は結婚なんてしてくれない。
皮肉にもその事実がアムリスの心の呪縛を解いた。
「わたくしは……お姉様がいつか発症する可能性のある病の被験者として、魔王病と闘います……。それがわたくしのしたことの罪滅ぼしになるはずですから……」
未来は深い霧に包まれて見えない。もしこのまま死んでしまうのならば、未来の姉のために症例を残したかった。医者にはどんな試験薬も飲むと伝えてある。
「その覚悟、嫌いじゃねぇぜ。だが必ずよくなる、んな顔すんじゃねぇよ」
「わたくし、コボルト族に生まれたかったです……」
「ハハハッ、よく言われるぜ! お前らコボルト族はいつも幸せそうで羨ましいってな!」
そういった意味で言ったのではなかったが、ガルムレックの言うこともアムリスにはよくわかった。
「コボルト族の方々は心の自由をお持ちですの。見栄っ張りで軽薄なユーパトリウム貴族とは正反対ですのよ」
着飾り、財をひけらかし、心にもないおべっかを言い合いながら裏で騙し合う自分たちは醜い。それと比べて仲間同士で信頼し合うコボルト族のなんと美しいことか。
「そんなにひでぇのか、ヒューマンの貴族社会ってのはよ?」
「ええ、あのお姉様に『二度と戻りたくない』と言わせるほどには」
「へぇ……その話、部屋でもう少し聞かせてくれよ」
ガルムレックは立ち上がると、傷を負っていない左側でアムリスを抱えた。アムリスはそれを拒まなかった。硬さのあるガルムレックの毛皮にしがみつき、部屋まで荷物のように運ばれた。
生まれ変わったらコボルト族になりたい。ガルムレックのふかふかとした毛並みにしがみついていると、かつて荒んでいた心が癒えてゆくようだった。




