・夜のお茶会、商人ルベールの本性
ある麗らかな午後、ブランウィード公爵様がパン屋にやってきた。
「屋敷に戻ってこないかね?」
「い、いえ、あたしここが気に入っていますから……。ありがとうございます、お父さん」
公爵様は身なりの立派な人で、会うたびにあたしは臆してしまう。背が高くて、声がとても低くて、口ひげがあって、髪はブロンド。全身が引き締まっているイケオジだ。
「先日はアムリスが迷惑をかけたようだ。代わりにわびよう」
「そう思うなら、アムリスちゃんのことをもっと大事にしてあげて下さい」
軒先で対応するのも失礼なので居間にお通しして、奥さんのとっておきのお茶とお菓子をお出しした。……なのに、公爵様は手さえ付けなかった。
「評判になっているよ」
「へ……?」
「都の者が言うには、君は[パンの聖女]だそうだ」
「ええーっ、それは大げさなような……」
あたしはあまり店から遠くには行かない。『安全のためそうしなさい』とルーベルさんに言われていたのもある。
「君の力は次女アムリスの力になるだろう。当家に戻り、当家のために働きなさい。なぜならば君はブランウィード、私の娘なのだから」
「ごめんなさいっ、ここの生活が気に入っているんですっ! あたし、貴族の生活なんてもう無理ですっ!」
絶対に戻りたくない。アムリスちゃんとは仲直りしたいけど、距離が離れていた方がきっと上手くいく。いつかはきっと冷静になってくれる。
「考えてもみなさい、お前のような世間知らずでお人好しの娘が、どうやって外の世界で生きてゆくのだね?」
「そ、それは……」
「勇者キュルクレイン殿に、ホライズン商会の重役殿。あの二人の助けをいつまで借りてゆくつもりだね?」
「う……」
そこを突かれるとつらい。事実、今の生活はあの二人の善意で成り立っている。あたしは今でも、二人に守ってもらっている立場だ。
「勇者に嫁ぐというのなら悪くない。ぜひ私も応援しよう」
「え、ええーーっっ?!」
「それとも、あの高慢なルーベルという男の方が好みかね? あの男はいけ好かないな、裏で何を考えているかわからんぞ、警戒しろ」
「ルーベルさんは食いしん坊だけどいい人ですよっ!」
「ダメだ、公爵家の娘と商会の重役では釣り合わん、あの男は諦めなさい」
こ、この人って……。
前から思っていたけど、屋敷を離れてみるとことさらにこう思う。
自己中だ、この人!! いつも自分のことしか考えていない!!
「ごめんなさいっ、屋敷には戻りません!! アムリスちゃんとあたしは離れていた方がいいと思うんです!!」
「ふむ……己の力が欲しければアムリスを屋敷から追い出せ。そういうことだね?」
「違いますっっ!! あたしは独りで上手くやっていきますからっ、アムリスちゃんを大切にして下さいっっ!!」
自己中なお父さんにそう主張すると、驚いたような顔をされた。少し前までのあたしは公爵様の支配下にあった。
「その力はブランウィード家の物だ。勝手なことは許さん」
結局、公爵様はお茶にもお菓子にも手を付けずに帰って行った。
奥さんが出してくれた特別な物なのに失礼な人だ。公爵様への怒りを胸に、残されたお茶とお菓子をいただいた。
・
他にどうすればよかったのかわからないけど、あの日の対応は失敗だった。父が[パンの聖女]を取り戻すために、どんな行動に出るか考えるべきだった。
ある日、製粉ギルドが小麦粉を売ってくれなくなった。ルーベルさんが言うには公爵様の仕業らしい。
だからあたしはご夫婦のパン屋さんを離れた。勤め先のあてなんてどこにもないけど、ホライズン商会が所有する借家を借りて、今はそこでひっそりと暮らしている。
勇者様とルーベルさんは手を尽くすと言ってくれるけど、あたしは二人の手を借り過ぎだ。
少しくらい自分でどうにかしなきゃと悩んだ。
「どうも、夜分失礼します」
「あ、ルーベルさんっ、いらっしゃいっ!」
「訪ねてきておいてなんですが、こんな夜中に、安易に玄関を開けてなりませんよ」
「へへへ、大丈夫っ、足音でわかったから! 中へどうぞ!」
ルーベルさんを中に案内して手作りスコーンを振る舞うことにした。スコーンをバザーで売ったりしたらどうにか生計を立てられないか、模索中のところだった。
「実は、仕事の都合で都を離れることになりまして」
「えっ?!!」
「急な話で申し訳ありません。珍しい茶葉を手配いたしましたので、今夜はこちらを煎れて下さい」
「そ、そんな……ルーベルさんがいなくなっちゃうなんて……」
気が動転した。どれだけこの人に自分が依存しているか今さら気付いた。
いなくなったら寂しい……。
頼りになるルーベルさんがいなくなったら、それだけで不安だ……。
「うぅ~……寂しいです……」
「ありがとうございます、私のような跳ね返り者をそんなふうに思って下さって」
もらった茶葉でお茶を煎れて、スコーンと珍しい匂いのお茶をルーベルさんと囲んだ。
「ど、どうですか?」
「美味しいです。祖母が焼いてくれたお菓子にそっくりです」
「ルーベルさんってお婆ちゃんっ子だったんですね」
「祖母はとても美しい女性でした」
「へーっ、奇麗なお婆ちゃんですかーっ、いいなぁーっ!」
とっても華やかなお婆様だったのだろうなと、あたしは妄想の翼を広げた。
「祖母は250年前の生まれでしてね……」
「わぁ~そんなに……!? え、あれ……?」
「しかし50年ほど前に、肺の病で亡くなってしまいました……」
「そ、それはお悔やみを……。あ、あれぇ~……?」
その人、何歳……?
それとおかしな話だけど、どことなくルーベルさんの目が金色に光ってきているような、そんな気が……。
「祖母は強い女性でしてね、祖国の王すらも畏れさせる、それはもう圧倒的な人でした」
「あ、そういえばルーベルさんの生まれを聞いたことがないです。あ、あれ……っ?」
今、ルーベルさんの口元に、チラッと鋭い犬歯が生えているのを見たような……。
「私の祖国ですか。私はこの国の東、コラプサー共同体と呼ばれる国で生まれました」
「コラプサー……? ごめんなさい、聞いたことないです。どれくらい東にあるんですか?」
「この国の国境からすぐそこですよ」
「へ……? でもそこって……あ、あれれぇ……?」
おかしいな、ルーベルさんの肌って、こんなに白かったっけ?
それにこの国の東隣にある国って……。
「はい、人間たちは我々コラプサー共同体のことを[魔王軍]と呼びます。私は魔界で生まれました」
「えーーーーーっっ?!!!!」
「おや、今日の絶叫は大きいですね」
ルーベルさんの頭に山羊の角が生えていた。
ルーベルさんは勇者様の敵、魔王軍の方からきた人だった!
「つきましてはコムギさん、私と一緒にきませんか?」
「へっ!?」
一緒にってどこへ!?
まさか、魔界に!?
「わたしなりにこの国で貴女を幸せにする方法を模索しましたが……本日、それは不可能であると断定いたしました」
「し、幸せになれないんですか、あたしっ!?」
「たまたま耳に入ったのですが、貴女の妹は人身売買を生業とする闇ギルドに、貴女の誘拐を依頼したようです」
「う、嘘……アムリスちゃんがそんなことするわけないよ……?」
ルーベルさんは不快そうに目つきを鋭くして首を横に振った。
「このままでは、パン屋のご夫婦にもご迷惑がかかりますよ?」
「もう迷惑かけちゃってるよっっ!!」
「そう、問題はあの愚かな妹だけではありません。ブランウィード公爵はあの店への小麦粉の供給を脅しに、貴女を屋敷に連れ戻そうとするでしょう」
「う、うぅぅ~……やっぱり、そうなるの……?」
あれ、こうして見ると、あたしの人生って……結構、厳しい……?
ルーベルさんが言う通り、この国の中で幸せになるのって、無理なの……?
「貴女の力は歴代の聖女の中でも飛び抜けている。貴女がその気になれば、権力を握り、公爵すら倒すことができるでしょう」
「無理っ、そういう難しいの無理っ!!」
「そう、だから浚う他にないのです」
「へっっ?!!!」
ルーベルさんは無表情でお茶を口に運び、無表情のままソーサーにカップを戻した。
「この国に残ればいずれ貴女は破滅します」
「うぅ……そうなんですね……」
「仮に田舎に逃げようとも、どうあろうとも妹は貴女を排除し、公爵は貴女を手に入れようとするでしょう」
だから魔界に浚う。そうすればあたしの厄介な家族はあたしに手を出せなくなる。
でもあたしにはパンの師匠であるご夫婦や、勇者様との繋がりがある。それをいきなり断てと言われても難しい。
あ、だから強引に浚うのか……。
「それに何より、私はコラプサー共同体の皆に、貴女のパンを食べさせてやりたいのです」
「少し考えさせて下さい……」
「できれば急いでいただきたい。貴女が消えたことに気付かれる前に国境を越えたいのです」
ルーベルさんがお茶を注ぎ足してくれた。あたしはそれを疑いもせずに飲んだ。ちょうどいい温度だったから一気に全部。
「ふぅ……っ!」
「半分飲ませるつもりが、まさか全部飲んでしまうとは……」
「へ……? あ、あれ……なんか、ふわふわ……」
「キュルクレインとの友人関係もこれで終わりです。私は彼との友情よりも合理性……いや、貴女を独り占めする方を選んだ」
お客様の前なのに、大切な決断をしなきゃいけない状況なのに、なんか眠い……。
寝たら浚われちゃうのに、意識が……。




