・聖女が焼いたまずいパン
それからあたしはパン屋さんでがんばった。たくさん生地をこねて、できる力仕事は全部あたしがご夫婦の代わりにやった。
やりがいのある毎日だった。
パンを焼けば焼いただけパンが売れる有名店で働けるなんて、やっぱりあたしはついていた。
お店の棚にパンが補充されるたびに、それがあっという間に消えてゆくのがとても楽しかった。口々にお客さんは美味しかったと、あたしたちのパンを褒めてくれた。
勇者様とルーベルさんもよく買いにきてくれる。勇者様はがっつり系、ルーベルさんは加えて菓子パン系も好物だ。
二人がきてくれたらあたしの出番だ。取り置きを店の奥から持ってきて、助けてもらったお礼にパンを差し出す。
特にルーベルさんは食いしん坊で、バゲット1本をペロッと食べてしまうすごい人だった。
そんなある日――
「ふむ……」
「ど、どうですか……?」
「なるほど」
「え、今日のは美味しくないですか……っ!?」
いつも涼しい顔で黙々とがっついてくれるルーベルさんが小食になった。それに表情もどことなく難しかった。
「誰もそんなことは言っていません。美味しいです」
「よ、よかったぁぁ……っ」
「だがこれは……」
「こ、これは……?」
「少し、まずいですね……」
「ええええーーーっっ?!!」
まずいと言いながらルーベルさんはガーリックバターバゲットをガツガツ食べた。
まずい……まずい……まずいと言われたのはすごくショックだった……。
「その後、不便はしていませんか?」
「いえ全然、ここは天国です」
まずいと言うわりにすごい食べてくれていた。ルーベルさんはバゲット1本分を平らげると、指先をハンカチで拭った。勇者様ならペロッと舐めちゃうところだった。
「何かあればすぐに私かキュルクレインに言って下さい」
「はいっ! でも……あの、どうしてここまで親切にしてくれるんですか……?」
「そのことですか。そうですね、初めはそれとは気付きませんでしたが、こうして接していると……感じるのです」
「え、何をですか……?」
ルーベルさんはデザートの蒸しパンを口に運んだ。ルーベルさんがこなかったらそれ、あたしが食べれたのに。
「貴女からは祖母と同じ匂いがします。人間嫌いの私を引き付ける何かが貴女にあるようです」
「か、加齢臭ですかっ!?」
あたしまだ18歳なのに、そんな……っ!?
自分の胸元の匂いを嗅いでみた。ああ、こんがりしたいい匂い……。
「体臭の話ではありません」
「あ、なんだ……っ、よかったぁぁ……」
ルーベルさんは甘くて美味しくてふわっふわの蒸しパンを飲み物のように食べ切った。
「しかし、まずいです」
「全部食べ切ってから言わないで下さいよぉーっ!!」
手を振り回してあたしは毒舌なイケメンに抗議した。
「パンの話ではありません。貴方の立場の話です」
「あ…………なんだ、よかったぁぁ……」
「全くよくありません。貴方はこの店が今、都でどれほどの評判を得ているかご存じですか?」
「はいっ、大人気です!!」
元気に答えるとまた難しい顔をされてしまった。
「この店は聖女が働く至高のパン屋と評されています」
「へ…………?」
「聖女コムギ作るパンは絶品。もしや真の聖女はコムギ・ブランウィードの方なのではないか? と、噂が立っています」
「え、うちのお客さんたち、あたしの正体知ってたの!?」
お客さんがどんどん増えているのはそのせいだろうか。でも美味しいパンを作っているだけで真の聖女だなんて大げさだ。
「貴方のご実家は[製粉ギルド]を運営しています。この店の小麦粉も[製粉ギルド]を経由して仕入れています」
「えっと……つまり、うちの実家を怒らせない方がいい、ってこと?」
「はい。ですが貴女には到底無理なことです」
「えーっ、そんなことないですよーっ!?」
「いえ、無理です。事実、貴女は自分がどれほど強大な力を持っているのか、まるで理解されておられません」
白い小麦粉が作れたり、なぜか素人なのに美味しいパンが作れるだけなのに大げさな話だった。
「こちらで手を打ちますから、それまではくれぐれもご実家を刺激することなきようお願いします」
「はい……。あたしのせいでいつもすみません……」
「貴女は何も悪くありません。貴女のパンは人を助け、人を幸せにする力を持っている」
ルーベルさんは懐中時計を取り出した。この動作をすると決まって彼は話を打ち切って立ち去る。いつもそうだった。
「とにかく、気を付けて」
そう言い残してルーベルさんは帰った。
気を付けろと言われても、ブランウィード家を怒らせるなと言われても、どうすればいいのか全くわからない。
ただこれだけはわかった。
ブランウィード家を怒らせたら、小麦粉がこのお店に入ってこなくなって、やさしい夫婦にご迷惑をかけることになる。
単純なあたしだってそれくらいはわかった。
・
そんな話を聞かされた翌日の昼過ぎ。働きすぎだと言われて軒先のベンチで道行く人を眺めていたら、見覚えのある馬車が店の前に止まった。
「あ、アムリスちゃんっ、久しぶり!」
「お姉様……」
よく見たらそれはブランウィード家の馬車で、現れたのは暗い顔をしたアムリスちゃんだった。
「元気だった? 王子様とは仲良くできてる? あたし、二人の恋路の迷惑かけてごめんね……っ!」
気が合わないところはあるけどあたしたちは姉妹だ。仲良くしたかった。
「はぁ……どうして男って、お姉様みたいに頭の軽い女にチヤホヤするのかしら……」
でもやっぱり難しいのかも……。あたしたちは何もかもが正反対だった。
「ええっと……そう、パンッ! うちのパン食べていく!?」
「絶対にお断りですわ!!」
「ええーっ、そんなこと言わないで食べてみてほしいなぁ……? わっ!?」
突き飛ばそうと伸びてきた手からあたしは飛び退いた。
どうしてあたしたちは仲良くできないのだろう。アムリスちゃんは女の子なのに歯ぎしりを鳴らすほどに怒っている。
「お願い、怒らないで。姉妹でケンカなんてもうしたくないよっ!」
「最近、王子様があたしと距離を置くようになりましたの……」
「え……なんで……っっ!?」
アムリスちゃんはすごく悲しそうな顔をしていた。
「お姉様がパンを作ったせいですのっっ!!」
「えーーーっっ!?」
それから一転してすごく恐い顔になった!
「貴女が目立つとわたくしの聖女としての立場が危うくなりますのっ!! さっさと都を出て行かないとただでは済ませませんわよっ!!」
パン屋さんのお手伝いをしているだけでそんな理不尽な……。
せっかくご夫婦とも仲良くなれたのに……。
「ごめん、アムリスちゃん……。みんなが楽しみにしてくれてるのに、パンを焼くのを止めるなんてできないよ」
「それは宣戦布告にございますね、お姉様……?」
「えーっっ、なんでそうなるのぉーっ!?」
「お姉様が目立つとわたくしがまた王子様に捨てられますのっ!! その上また、父が手のひらを返したら、わたくしは……わたくしは……どうすればいいんですのよっ!!?」
聖女を名乗れる力を持つ者が二人いる。それがアムリスちゃんの不幸の始まりだった。
アムリスちゃんは長女だった。そこにあたしが現れて、アムリスちゃんの人生を壊してしまった。
「これ以上、わたくしより聖女らしい立ち振る舞いをしたら許しません!! どんな手を使ってでもお姉様を排除させていただきますからご了承を!!」
アムリスちゃんは逃げるように馬車に戻って窓のカーテンを締めた。あたしの目の前で馬車が出発して遠くなっていった。
パン屋のお仕事をしばらく自粛するべきなのだろうか。都に戻ったのは間違いだったのだろうか。
あたしは妹とこれ以上ケンカしたくない。でもパンも焼きたい。みんなに食べてもらいたい。
「どうしたんだ、コムギ……?」
「ぁ……勇者様……」
「何があった?」
「う、うん……」
あたしは勇者様に相談した。このままではお店にご迷惑をかけることになってしまうと。
いったいどうすれば誰も傷つけずに問題を解決できるのか、あたしにはわからなかった。
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