・新しい世界の扉を開きかけた気まずい朝
昨日は危なかった。気まずかった。不可抗力だったとはいえ、あと一歩でリスティスちゃんとチューしちゃうところだった。
ファーストキスってどこからどこまでがノーカウントなのかなって、いっぱい考えさせられた。
あの後ソフィーちゃんはあたしを警戒してソファーで寝ちゃうし、レキちゃんたちも豹変したあたしに恐れをなして一緒に寝てくれなくなった。
あたしは一人では大きすぎる寂しいベッドで、ソフィーちゃんと鑑定魔法の偉大さを噛みしめながら眠った。
そんな昨日の大騒動はさておき、今日は水の日。休息日に次ぐ売り上げが期待できる休み明けの日。いつも通りならリスティスちゃんが手伝いにきてくれる日だ。
「ぁ……っ。きてくれたんだ……リスティスちゃん……」
3人分の朝食の支度が済むと、準備を待ちかまえていたかのように窓が鳴ってリスティスちゃんが三階のリビングに飛び込んできた。
「か、顔を合わせるなり何その反応……っ!? い、意識っ、勝手にしてこないでよ……っ!」
「だ、だってっ、昨日あんなことがあったら……っっ」
リスティスちゃんと目が合うと顔が熱くなった。恐ろしいことにあのバタースティックの惚れ薬としての力は本物で、あの時のあたしは本気でリスティスちゃんを世界で一番美しい理想のパートナーだと思っていた。
「う……っ、思い出させるせるなぁーっ!! 言っとくけどっ、アンタなんか出会った瞬間からずっと大嫌いなんだからっ!!」
「へ、へへへ……とにかくきてくれて嬉しい……」
きてくれないかなって思っていた。でもちゃんときてくれた。嬉しくてあたしはリスティスちゃんに笑いかけていた。
「ほわぁ……ラブラブなのです……」
「そこ勘違いするなぁーっ! あれは惚れ薬のせいって説明したでしょーっ!」
「そんなに否定されると逆に怪しいのです。本当は前からずっと、コムギお姉さまのことが大好きだったのではないですか!?」
え、そうだったの!?
「はぁっ、喧嘩売ってるっ!? 苦いキノコとか虫ばかり食べさせられる夢、見せてやってもいいんだけどぉーっ!?」
「ぴぃっ!? それだけは勘弁してほしいのです……っ!! だ……だけどぉ……」
あのスティックパイは惚れ薬としては失敗だ。すぐに効果が切れてしまうんだから。だけど意識し合っている男女のきっかけにはなるかもしれない。
「だけど何さぁーっ!?」
「あのパイの効果時間は……う、ううん、やっぱり、なんでもないです……」
ソフィーちゃんが言葉を引っ込めると場が落ち着いた。あれは惚れ薬のせい。そういうことにして、あたしたちはその日も一日バリバリと働いた。
リスティスちゃんにはとても言えなかった。あのパイの効果時間がたった1分しかなかっただなんて。
それから働いて、昼食を食べて、また働いて、一日の業務が終わるとデルフィちゃんが魚の下半身をピチピチ跳ねさせながらお店にやってきた。
そして選んでもらった。どのパンを使って男の子にアプローチをかけるかを。
「あるいは全部使わないでコムギが作り直すってのもありだと思うけどねー」
「そ、そんなお手間はかけさせられません……っ!」
あたしは作り直しのプランに賛成だったけど、デルフィちゃんは人に迷惑をかけられない気遣い屋さんだった。
「あっそ。じゃこん中から選んで。声が大きくなりすぎるワカメパンかー、気が強くなりすぎて超ヤバいことになるチョコツイストパンかー、効果が短すぎてきっかけにしかならない惚れ薬効果のスティックパイ」
デルフィーちゃんは悩んだ。スティックパイに手を伸ばしかけて引っ込めた。
「これと、これにします……」
デルフィーちゃんは惚れ薬の力を選ばなかった。
「はぁー? アンタがそれでいいならいいけどー……効果短いとはいえさ、惚れ薬でその気にさせちゃえば100%成功すると思うよー?」
「騙したくありません……」
「じゃあ当たって砕ければー」
デルフィーちゃんは声を大きくするパンと、気を強くするパンを選んだ。
「勇気がない私のために、ありがとう……。す、好き……って、言ってきます……あの子に……」
自分を実験台にしてよかった。自分で試さなかったら適切な用量なんてわからなかった。
あたしは声が大きくなり過ぎるワカメパンを8分の1に分けて、気が強くなり過ぎるチョコツイストパンも4分の1にして渡した。
「効果が短いから直前に食べて。上手くいくといいねっ、がんばってっ!」
「は、はい……っ、いってきます……っ!!」
だけどこのスティックパイどうしよう……。
処分を迷っていると、リスティスちゃんに袖を引かれた。
「へ……?」
「何ボーッと突っ立ってるしー。ほら、後追うよ」
「そうなのですよっ、お姉さまっ!」
「……え?」
「いいもの見れるかもしんないじゃーん♪」
「ふんすふんすっ! ソフィーが空からいいのぞきポイント見つけておくですっ!」
人の告白の現場をのぞくなんて趣味が悪いような。興味はあるけど、もし告白のタイミングで邪魔してしまったらどうするつもりなのだろう。
そんなあたしの意見はリスティスちゃんに引っ張り出される形で無視されて、お店のドアがリスティスちゃんの手で施錠されていた。
「な、なんでうちの鍵っ、リスティスちゃんが持ってるの……っ!? あ、あれ……ある……」
あたしの内ポケットにはお店の鍵がちゃんとあった。
「アンタさー、鍵はちゃんと管理しなよー? 複製なんて簡単なんだからさー」
「わぁぁぁ……リスティスちゃん、すごーい……」
「ほら行こ行こっ、美味しいとこ見逃すよーっ!」
空に浮かんだリスティスちゃんはあたしの背中をぐいぐい押した。あたしは押されるがままにリスティスちゃんに操縦されて、都の人混みを分け入った。
行き先は川だった。ソフィーちゃんが待つ茂みの陰に入ると、その向こうにはゴンドラ乗りとネレイド族さんたちの姿があった。
「ネレイドが船の下からゴンドラを押して、ゴンドラの御者が客引きをしたり舵を切るの。あの子がこれから告白するのは、ペアを組んでる仕事の同僚」
なんだかそれって素敵だ。人魚さんと人間が力を合わせてお仕事をしているだなんて、まるで絵本の世界のようだった。




