・真実の目で私を見て - 事の始まり -
これは遡ること今から半月前。お店にドラゴンとスライムを迎えたあの日から1週間ほど経ったある日のことだった。
あたしはその日も夜明け前に起き出して、レッドドラゴンのレキちゃんを抱いて眠るソフィーちゃんを起こさないようにひっそりとベッドを抜け出す。
レモン色にぼんやりと光るスライムをお腹の上で抱いて、足音をひそめて1階のパン工房に下りると、顔だけ洗ってからお仕事に入る。
「よーしっ、今日もがんばろーねっ、レモンちゃんっ!」
「ぷゅ……!」
厨房のサポートはゴールデンバウムスライムのレモンちゃんにお願いしている。あたしはレモンちゃんをレモンちゃん専用の木臼に乗せて、小麦粉と塩と水を混ぜ合わせたバゲット生地を渡した。
「じゃ、お願いね!」
「ぷゅっ!」
ぽよんと跳ねて上がってレモンちゃんは木臼の大きさまで膨れ上がると、淡く光る大きな身体でぽよんぽよんと生地を捏ね始めた。
その木臼はライスをお餅っていうのに加工するための道具だそうで、ロベールさんが打ち粉まみれになったパン工房を見るに見かねて用意してくれた。
「へへへー、レモンちゃんがきてくれてホント助かっちゃった。あ、でも疲れたら言ってね?」
「ぷゅゅ……っ!」
がんばってくれるレモンちゃんに感謝して、あたしも手を動かした。小麦粉を製粉して、それを使って次のパン生地を配合して、レモンちゃんがまとめてくれた生地に最後の仕上げをした。
「これでおっしまい! いつものとこで休憩しよ!」
この子たちがくる前は朝のゆとりなんてなかった。朝食の時間まで働き通しの毎日だった。それはそれでよかったけど、今はもっとハッピー。
だってこうしてバゲット生地をパン焼き窯に入れたら、夜明けのティータイムを楽しめるんだから。
あたしはロベールさんがくれた南方産の紅茶を入れて、レモンちゃんにはモンスターが好むという魔石っていうのを用意して、2階フードコートの窓辺から夜明けを迎えた街を眺めた。
夜を青い光で照らす[サジタリウスの目]が少しずつ暗くなってゆく。東の空に現れていた赤い太陽が少しずつ空の青を飲み込んでゆく。
この時間になるとサジタリウス・ハレーの人々が起き出して、慌ただしく朝の支度を始める。
あるいは夜行性の魔族さんが自分の寝床に帰ってゆく姿を眺めたりもできる。
お城の前の広場には野宿が許されている場所があって、そこで一晩を明かした地方の人たちが荷台を引いて朝市に向かう姿を見れたり。
そういうのを眺めていると『あたしも負けずにがんばらなきゃ!』って気分になる。
レモンちゃんが色とりどりの魔石を吸収してゆくのを見るのも楽しい。街やレモンちゃんを眺めながらお茶を3杯飲むと、そのくらいで30分の砂時計が落ち切る。
あたしはティーセットをトレイに乗せてパン工房に戻り、窯から熱々のバゲットを取り出してジャムパンやスコーンの生地に入れ替える。
そして焼きたてのバゲットを使って朝ご飯を作って、でき上がったら料理を3階に運んで、ソフィーちゃんのお腹で眠るレキちゃんを揺すり起こす。
「ぴぇぇぇぇーーっっ?!!」
「ぎゃぅぅーっ♪」
「ぴぃぃーっ、ごめんなさい食べないで欲しいのですぅぅーっっ!!」
「かぷっ♪」
「ギャーーッッ!!」
今日のソフィーちゃんは抱き枕にしていたレキちゃんに驚いてベッドから落っこちちゃった上に、甘噛みにまた悲鳴を上げていた。
「またやってるしぃー……、はよ~~」
「あ、おはよっ、リスティスちゃん!」
「アンタの声頭に響くからさー、朝から大きな声出さないでくれるー……?」
3階の窓が外から開かれて、そこからリスティスちゃんが入り込んでくるのもいつものこと。リスティスちゃんはだるそうに目をこすりながら食卓についた。
聖女の力を込めた特別なパン。それがソフィーちゃんとリスティスちゃんと約束した報酬の一つだから。
「がぅ」
「ダ、ダメなのですっ、これはソフィーのためにお姉さまが作ってくれたパンなのです……っ」
「がるる……」
「ぴぃぃ……っ!? ちょっとだけあげるから許してほしいのですっ!」
「ぷりゅ……」
「あげるですっ、あげるですからどうかお許し下さいなのです……っ!!」
レキちゃんもレモンちゃんも、ソフィーちゃんにすり寄ればご飯がもらえると学習してしまっていた。
最近やっと慣れてきたように見えたけど、まだまだ怖いみたい。
「あ、あたしお店開いてくるね! みんなは食べ終わるまでゆっくりしてて!」
朝の鐘が街に響き渡ると開店だ。サジタリウス=ハレーの人たちはこの鐘に合わせて仕事に向かう。
お店に下りて、棚にパンを並べて、入り口の施錠を開いて、看板を『open』にする。
「いらっしゃいませ!」
「きゅぅぅーん……へっ、待ちわびたぜ」
「いつもきてくれてありがとうございます、親分さん!」
「へっ、舎弟どもがどうしてもって言うからな……。よう森の主、今日も元気そうじゃねぇか」
焼き上がったパンをお店に並べるのがレキちゃんのお手伝いの一つだ。翼を羽ばたかせて、レキちゃんは小さな身体でパンが入った籠を棚に運ぶ。
「ごめん、小麦袋運んでおいてくれる?」
「ぎゃぅ!」
この子はこう見えてすごく力持ちだ。地下の保管庫から材料を運んだり、搬送されてきた材料を保管庫に運ぶ仕事をしてくれる。
フードコートが散らかっていたらゴミを片付けてくれたり、あたしがお願いしなくてもなんでもやってくれるやり手のドラゴンちゃんだ。
「ららら~、パンクズ~、下さいな~♪」
「あ、はい、取り置いてますよ」
ネレイド族さんの好物はパンクズと、味の付いていないバゲット。バゲットよりもパンクズの方が好きだと言っていた。
朝ご飯を食べ終わったみんなが下りてきた。さあここからが本番だ。ソフィーちゃんとリスティスちゃんに接客をお願いして、今日も一日をがんばる。
閉店時間はパンがなくなり次第。だいたいいつも3時頃には全部なくなってしまう。
その日も一生懸命働いて、最後のパンを売り切って、満足を胸にまだ明るい空を見上げながら看板を『close』にした。
それから物足りなさを胸に、こう思う。
「最近ロベールさんこないなぁ……。お仕事、忙しいのかなぁ……」
今日もロベールさんのバゲット一気食いを見られなかった。もしかしてお店が軌道に乗ったから、うちに興味を失ってしまったのだろうか。
忙しい人だから遊びにきて下さいとも言えない。
「宰相さまですかー?」
「わっ、今の聞いてたのソフィーちゃんっ?!」
「宰相さまは今、お城にいないですよー」
「え、そうなの!?」
それもっと早く教えてほしかった……。
「魔界中を飛び回ってるってお師匠さまが言ってたです」
「そうなんだ……なんかすごく忙しそう……」
そういえば5日前、ロベールさんがあたしにこう言っていた。
『貴方のおかげで、長年の頭痛の種を取り除けるかもしれません。わたしも貴方に負けないようにがんばります』
どういうことかわからないけど、ロベールさんは同じ空の下のどこかでがんばっている。あたしもパン屋さんの経営をがんばろう。
でも都を離れるなら言ってくれてもいいのに、どうして教えてくれなかったんだろう……。
「じゃ、おっつー。へへへ、今日はどいつにイタズラしてやろうかなー」
「あ、お疲れさま! って人に迷惑かけたらダメだよぉーっ!?」
「息するなって言われても困るしー、まったねー♪」
お店を閉めるとリスティスちゃんは今日もイタズラしに空の彼方に飛んでいった。
それを見てソフィーちゃんもお店のホウキに駆け寄った。
「ソフィーもお師匠さまのところに行ってくるのです! 早く一人前になって、お姉さまのお手伝いをするのですよーっ!」
「うんっ、また夜にね!」
あのホウキは今日中に戻ってくるのかなと思いながらソフィーちゃんを見送って、あたしは買い物に出かけることにした。
留守番はレモンちゃんに任せて、小さいけど頼れる荷物持ちのレキちゃんを連れてゆくのが習慣になっていた。
ところが戸締まりをしようとすると、閉店準備中のお店にお客さんがやってきた。それはすごく大きな身体をしたお客さんだった。
「ごめんなさい、パンはもう売り切れなん――わぁっ!?」
その人が振り返るとあたしは驚いて転びかけた。その人がイノシシの顔を持つイノシシ人間だったから。
「お、おぉ……驚かせて、ごめん……」
「あ、いえ、勝手に驚いてこちらこそごめんなさい!」
「オレ、店長のコムギさんに会いにきた……取り次いで、もらえないか……?」
荒々しい見た目とは正反対の、少し気の弱そうな声だった。
「あたしがコムギです、何かご用ですか?」
「おお……」
見上げるほどに大きな人なので、あたしはお店のレジカウンターに回り込みつつ距離を取った。でないと首が疲れるくらいに高い背丈だった。




