・従業員不足とまん丸ドーナッツ
不安と期待を胸に始めたパン屋さんだけど、なんだか今のところ上手くいっている。毎日金貨80枚くらいの黒字が出て、今日はロベールさんに金貨200枚のお金を返すことができた。
このまま順調にいけば金貨728枚と銀貨8枚の改装費と、運転資金として借りた金貨50枚を全額返すのも夢ではない。さすがに一等地の土地代はすぐには無理だけど、将来的にはロベールさんの投資に報いることも夢ではなかった。
「投資のリターンをいただけるのは嬉しいのですが、魔王様の頭を治せるパンはまだですか?」
「それはまだまだかかりそうです、ごめんなさい……」
「そうですか……」
忙しさに追われてそちらの方はあまり進んでいなかった。ロベールさんはすごく残念そうに政務室の机に視線を落として書類に[非承認]の印を押した。
「あ、ところで相談したいことがあるんですけど、いいですか? 実は、リスティスちゃんが……」
「あのたちの悪い夢魔ですか。そろそろ排除いたしますか?」
「いえそうじゃないんですっ! そうじゃなくて、あたしの方が逃げられちゃったんですよっ!」
経営3日目の夕方。全品欠品で『close』の看板をかけた店内でリスティスちゃんはあたしにこう言った。
『無理無理無理無理ッ、4連勤とか絶対無理ッッ!! 3連勤でも無理ッ、できれば1日働いて1日休む生活がいいっっ、こんな生活ずっとは無理ーっ!!』
明日は絶対休むと言ってリスティスちゃんはお店を出て行ってしまった。それに困ってしまったあたしは売上金を手みやげに、魔王城にあるロベール宰相の政務室を押し掛けた。
「ああ、そんなことですか」
「そんなことってなんですかーっ、一大事ですよっ、ソフィーちゃんと二人だけじゃお店が回らないですよぉーっ!?」
「夢魔族を頼るのがそもそもの間違いです。いえ、夢魔族が3連勤を耐え抜いただけでも奇跡というものでしょう」
「え、そういうもの……?」
そう返すとロベールさんは唐突にあたしへ拍手を送ってきた。感心にうなずきながらの力強い拍手だった。
夢魔族の事情はあたしにはわからないけど、リスティスちゃんは夢魔族なりにすごくがんばってくれていたみたいだった。
「労働者が欲しいですか?」
「はいっ、どうにかなりませんかっ!?」
「では明日は休みにして、私とモンスターをテイムしにいきましょうか」
「…………へ? テイ、ム……?」
突然の話にあたしは首をかしげた。店の従業員とモンスターがイコールで全く繋がらなかった。
「はい、この聖女特製[まんまるドーナッツ]を使って」
「え……っ?」
「こちらの[まんまるドーナッツ]、魔王様の痴呆を治す力はございませんでしたが、驚愕の力を秘めていることがソフィーの鑑定により判明いたしました」
[まんまるドーナッツ]はうちの新作だ。甘いパンを小さいまんまるにして、焼いた後にそれを油で揚げたものだった。
「貴女が聖女の力をふんだんにそそぎ込んだこのドーナッツ……なんとモンスターに与えると、そのモンスターを使役することができるようです」
「ええええーーっっ?!」
知らない、そんな力があったなんてあたし知らない。とんでもないドーナッツをあたしはお客さんに売ってしまっていた。
「本来は上位の召喚魔法使いにしか使えないテイム魔法を、超高レベルで発動する力があるようです。これがあれば大半のモンスターはドラニャーコロリでしょう」
「ドラニャー、コロリ……??」
「ドラゴンもニャーと言ってコロリと懐くという意味の言葉です」
「さすがにドラゴンは無理だと思いますけど……」
赤毛の立派な貴公子様が首を静かに横へ振った。
「いいえ、貴方のパンは不可能はありません」
「え、えぇぇぇ…………」
ロベールさんは本気だった。本気であたしのまん丸ドーナッツでモンスターをテイムして、その子をお店の従業員にするつもりだった。
「まん丸ドーナッツ、これは味もまた素晴らしい……。甘いパン生地を焼いてさらに揚げるという冒涜的な調理法には目をむきましたが、油脂を含んだ甘美なる生地の味わいに意識が飛びかけました」
「あ、あの……っ、モンスターを支配しちゃうようなドーナッツを、自分で食べたんですか!?」
「何か問題でも?」
「そんなの食べて、大丈夫なんですか……?」
「対象はモンスターだけのようです。仮に我々に効果があったところで、自分で自分に食べさせる分には何も問題ないでしょう」
「だからって食べようって気にはならないと思うんですけど……」
「フ……これも魔王様のためですよ」
違うと思う。ロベールさんはきっと、我慢できなかっただけだ。
「ちなみにこれをソフィーの口元に差し出すと、彼女は無防備にも私から与えられた[まんまるドーナッツ]を食べてしまいました」
「何やってるのソフィーちゃん……っ!?」
「結果として、ソフィーのテイムはできませんでした」
「ソフィーちゃんを実験台にしないで下さいっ!!」
あたしのソフィーちゃんで試すだなんて不届きなロベールさんだ! ……自分で鑑定しておいて食べちゃうソフィーちゃんもソフィーちゃんだけど……。
「結果は見えていましたから。それに、実験台にされたことにすら彼女は気づいておりません」
とにかくこのドーナッツがあればモンスターをテイムできる。テイムすると――具体的にどうなるのだろう……?
「モンスターって、従業員の代わりになるんですか……?」
「個体次第ですが可能です。そういうわけで明日は私と一緒に、郊外の森に行きませんか?」
どっちにしろリスティスちゃんがいないと、開店しても明日は厳しいことになる。だから森に従業員を捕まえにいくというのがわからないけど、なんだか少し楽しそうな感じがしてきた。
「つまり、ピクニックですか? サンドイッチとかが必要になりますよねっ!?」
「ピクニックのつもりではありませんでしたが、サンドイッチは必須と言ってもよいでしょう」
「ロベールさんならそう言ってくれると思ってました! じゃあ明日のためにたくさん用意しておきますねっ!」
「素晴らしい……。もはや、モンスターのテイムなどどうでもよくなってきましたね。明日が楽しみです」
そういうわけで明日は従業員を捕まえに森に行く。サジタリウス=ハレーの外に出るのは初めてなので、不安と期待でわくわくだった。
ちなみにその夜――
「コムギお姉さま、お口開けて下さいなのです」
「んーー?」
「どうぞなのですっ!!」
「はむ……っ。あ、これ、あたしの……」
ソフィーちゃんに[まんまるドーナッツ]をもらった。あたしはそれを食べ切ってから、ソフィーちゃんと同じ失敗に気づいた。
「やったのですっ、これでお姉さまはソフィーのものなのですっ!」
「あ……う、うん……」
「えへへへ……お姉さま、ソフィーをギューッとするです! 命令なのです!」
「えっ、いいのっ!? やったぁーっ!」
その晩はソフィーちゃんのわがままをいっぱい聞いた。さすがに背中におぶるのはちょっと重かったけど、[まんまるドーナッツ]を使ってまでして甘えたい気持ちが伝わってきて、なんでもしてあげたくなった。
「命令なのです。ずっとソフィーのお姉さまでいて下さいなのです」
「うんっ、ずっとソフィーちゃんのお姉ちゃんでいる! おやすみ、ソフィーちゃん!」
「わ、悪いことなのはわかってるですけどっ、これ最高なのですぅーっっ」
ソフィーちゃん最後まで、モンスターにしか効果がないことに気付かなかったけど、真実は明かさないでおくことにした。
明日は休暇。明日はロベールさんとピクニック。早起きをして、手作りバゲットでサンドイッチを作らないと……。




