・本日正式オープン! - 魔女と夢魔と宰相と聖女のいる店 -
「わぁぁ~、スベスベ……。あのっ、どんなハンドクリーム使ってるんですかっ!?」
「な、撫でないで下さい……っ、そんな物使っていませんよ……っ」
あたしの方から触りにいくとロベールさんはビックリして生地を抱えて逃げてしまった。普段のロベールさんらしくない、ちょっと変な感じがした。
「すみません、こちらも色々とありまして……」
「色々?」
「詳しくは言えませんが先日の晩、店の接客をしているあの夢魔族にやり返されてしまいましてね……」
窓から逃げてゆくリスティスちゃんを追いかけていったあの夜のことだろうか。リスティスちゃんが得意なことと言えば――
「あ。ああ~~……」
「な、なんですか……?」
接客と、イタズラと、夢を見せる魔法だ。
「なんかわかるかも……」
もしかしたらだけど、ロベールさんはあたしが出てくる夢を見せられたのかもしれない。
それを確かめたくてあたしはロベールさんの隣に忍び寄って、彼からパン生地を受け取った。
「う……っっ?!」
その際にわざとロベールさんの手に触れた。すると普段の彼とは思えない余裕のない声が上がった。
「リスティスちゃんってもしかして、夢魔族の中でもすごい人……?」
「油断していただけです……。弱みにつけ込まれたとも言えるかもしれません……」
あれだけ立派な魔界の宰相ロベールさんが恥ずかしがりの男の子みたいになるのが面白かった。
きっとそうだ、彼はあたしの夢を見せられたんだ。
「まさか……貴女も、あの女に……?」
「ううん、リスティスちゃんはいい子だよ」
「く……っ、人にあんな夢を見せる女がいい子なわけがないでしょう……っっ」
どんな夢を見せられたのやらロベールさんの顔が真っ赤になった。リスティスちゃんって困ったところはあるけど、すごい!
「は、話は変わりますが、一介のパン屋というのも、悪くありませんね……。宰相を止めて気ままにパン屋の手伝いというのも、あながち悪くない……」
「ええーっ!? それってうちはすごい助かるけど、それだと魔界のみんなが困らない……?」
「ええ、現状引退は難しいでしょうね。1つだけ、引退の奥の手がないこともないのですが」
「奥の手……? え……っ?」
ロベールさんが手を止めてこちらに振り返り、あたしの顔を指さした。
「あ、あたし……?」
「現在の魔界にはびこる全ての問題は、魔王ヨブの痴呆と老衰が根底にあります」
「えっと、え……? つまり……?」
「新しい奇跡のパンで、魔王様の痴呆症を治療して下されば、すぐにでも私は宰相を引退し、この店の専属従業員となりましょう」
何かと思えば無理な話だった。
「あの……さすがにそれは無理だと思うんですけど……」
「いいえ貴女ならば可能でしょう。期待していますよ、宰相を引退できる日を」
「そんなの無理ですってばぁーーっっ?!」
「そうですか……では私は一生、ボケた魔王様のお世話をして過ごすのですね……」
ふいにロベールさんがすごく疲れた顔をした。魔界最強のボケ老人の介護は大変なんて言葉で言い尽くせるものではないだろう。
「そんな顔しないで下さい! あたしなりにがんばってみますから! その……ダメ元で……」
「貴女ならば必ずできます。これ以上魔王様のボケが進行したら、サジタリウス=ハレーも無事では済みませんので……」
「そ、それはすごく切実な問題かも……」
受け答えしながら仕込んだ生地をパレットに寝かせた。今焼いているのは甘い蜂蜜入りスコーン。焼けたらロベールさんに食べさせてあげたい。
ともかくこれで手が少し開いた。ロベールさんに窯の番をしてもらって、あたしは軒先の掃除でもしようかな。
そう決めて生地作りの疲労に腕を振るロベールさんに振り返ると、お店の方からリスティスちゃんが飛んできた。
「あのさー、もう在庫ないんだけど、次焼き上がるのいつー?」
「えっ、売り切れーっ!?」
「しゅごいのですっ、さっきので完売なのですよー!」
店舗側からソフィーちゃんが顔を出して喜びの笑顔を浮かべた。あたしはパン工房から店舗に駆け込んで、あれだけ並べたはずのパンが棚から綺麗さっぱり消えている光景に驚いた。棚にはパンクズすら残っていなかった。
「ええええーーーっっ!? こ、これ、ここの全部売れちゃったのーっ!?」
「だからそーいってんじゃん……はー疲れたー……」
「おめでとうなのです、お姉さま!」
「アンタってお人好しで無駄にポジティブでうざいけどさー、焼いたパンの味だけは本物だよねー」
嬉しい反面、開店初日に完売は困った。せっかくきてくれたお客さんに申し訳ない。
早く焼けないかなとパン工房の方に振り返ると、背中の後ろで鈴が鳴った。
「たのもーっっ、だワンッ!」
「約束通りきたヒャンッ! 甘いパン下さいヒャンッ!」
親分さんの舎弟のコボルトさんたちだった。
「あれ、甘いパンなら親分さんが買っていったけど、もう全部食べちゃったの?」
「ワフ……? 僕たち甘いのは食べてないワン。甘いのだけなかったから、甘いの買いにきたワン」
親分さんが言っていたこととアベコベだった。親分さんはあれだけ甘い食べ物が苦手と言っていたのに、甘いパンを自分だけで全部食べちゃったのだろうか……?
「えーっと、もうちょっとで[蜂蜜入りスコーン]が焼き上がるから、少し待ってくれたら用意できるよ?」
「スコーンって何ワン?」
「蜂蜜は親分も好きだヒャンッ! 親分のために買ってくヒャンッ!」
あ、やっぱり親分さんって甘党なんだ……。
「この前の[青林檎のジャムパン]より甘い、もっとお菓子寄りのパンだよ!」
「それ、絶対食べるワンッ!」
「コムギのパンはすごいヒャンッ! 食べると元気があふれてきて、シャキッとお仕事がんばれるヒャンッ!」
さらにコボルトさんに続いてネコヒトさん、魔人族さん、今朝のネレイド族さんがやってきた。みんなスコーンの甘い匂いに釣られていた。
賑わうけれど売り物のない店内で少し待ってもらって、やがて時間がやってくると窯から出して焼き立てをお店に並べた。
そのスコーンも30分もしないうちに店頭から消えて、また次のパンがお店に並ぶのをお客さんに待ってもらうことになった。
コボルトさんは甘い味わいに小躍りして、親分さんに食べてもらうために店を駆け出してゆき、ネコヒトさんはフードコートのテーブルの上で丸くなった。
だけどネレイド族さんはバゲットの方がお好みのようだった。体が半分お魚さんだから、素朴な味が好きなのかな……?
「ごめんなさいっ、材料切れでもう作れませんっ! またお願いしますっ!」
おやつ時になるとジャム、ニンニク、砂糖、卵がなくなった。
これではバゲットくらいしか作れないので、少し早いけど店を閉めることになった。
「今日1日ありがとう、みんなお疲れさま!」
「はーー超疲れたーー……」
「大変だけど楽しかったのです!」
「これ、今日のお礼。本当にありがとう」
お礼は聖女の力をふんだんにかけて作った[青林檎のジャムパン]と、日当と、臨時ボーナス。
「こ、こんなにですかーっ!?」
「へへへ、わかってんじゃん」
ロベールさんに言われるがままに支払っただけだけど、結構大きなお金だったみたい。
「忌々しい女性ですが、今辞められては困りますからね」
「あたし2日連続で働かないポリシーなんだけどー、しょーがないしー、明日も手伝ったげるー」
ロベールさんグッジョブだった。リスティスちゃんに明日休まれたらあたしたちが死んじゃう。
どうにかして人手を増やさなきゃいけなかった。
「コムギのパンで魔力が高まったところで、へへへ~、あたしちょっとイタズラしてくる~♪」
「ダ、ダメだよぉ、リスティスちゃんっ!?」
悪い顔をして出て行こうとするリスティスちゃんを追いかけた。
「じゃああたしに心をさらけ出しなよ。宰相とのいい夢見せたげるからさー……くふふっ♪」
「それは次の日に顔見れなくなるから困るよぉーっ!」
「それが面白いんじゃん♪ へへへー、じゃあ今夜ねー♪」
空を飛べるリスティスちゃんを止めることなんてできなかった。あたしが魔力を高めるパンをあげちゃったせいで、どこかの誰かがイタズラされてしまうことになった。
「大丈夫です、お姉さまはソフィーが守るですよー」
「ああ、ソフィーちゃん……! ありがとうっ、ホント助かるっ!」
その晩、またあたしは変な夢をリスティスちゃんに見せられた。人にはとても説明できないすごい夢を。
「すぅすぅ……すぴー……すぅすぅ……」
頼みの綱のソフィーちゃんは眠くなるのが早くて頼りにならなかった。
それどころからお菓子に囲まれた幸せな夢を見たと、翌朝あたしに報告してくれる始末だった。
ずるい。あたしもそっちの夢がよかったのに……。




