・本日正式オープン! - パン屋[カペラとメンカリナン] -
またたく間に一日が過ぎ去って、今日が正式オープンの日! あたしは夜明け前に目を覚ますと、青白い月光が降り注ぐ広場を抜けて、鍵を開けてお店に入った。
「いたた……っ、足ぶつけたぁ……っ」
中は暗かった。足の親指の痛みに涙目になりながら、あたしは地下室から小麦袋をパン工房に運び込む。
今から仕込まないと朝ご飯に間に合わない。あたしは暗くなってきた月光を頼りに大きな石臼を引いて白い小麦粉を用意した。
無心でグルグル回していたら、いつの間にか夜が開けて空が赤くなっていた。
小麦粉は十分なので次はパン生地の仕込みだ。朝日が差し込むお店の中で、焼き時間の長いバゲットから仕込んでいった。
「へへへー、なんか、楽しー♪」
一昨日に魔界の人にパンを受け入れてもらえたのが嬉しくて、さっきから手が止まらなかった。
きっと今日もお客さんがきてくれると信じて、あたしは精一杯がんばった。
「やはり人を雇うべきではありませんか?」
「朝ご飯はお姉さまのパンがいいのです!」
突然の声に顔を上げると時間が飛んでいた。店の外がすっかり明るくなっていた。
ロベールさんが困り顔であたしを見ていて、ソフィーちゃんが幸せそうに仕込みの終わったパンの前に駆け込んだ。
「大丈夫、なんとかなるよ! 後はパン焼き窯に入れて焼くだけだから、もうだけ少し待ってね!」
「やったぁーっ、なのですっ! あ、それでそれでっ、宰相さまが!」
「店の看板がようやく完成いたしました。パン焼き窯に火を入れたら軒先に吊しに行きませんか?」
「あっ、看板っ! すっかり忘れてた!」
ソフィーちゃんがパン焼き窯の燃料室に魔法の炎を入れてくれた。魔法が使えないと料理もまともにできない。それが魔界の社会だった。
窯が温まってきたらバゲットを入れて、それから小鳥がチュンチュン歌うお店の軒先に出た。
「わっ、おっきい……っ!!」
「お姉さまが宰相さまに浚われてて面白いのです!」
横長の大きな看板には『馬車の御者』と『荷台に乗る女の子』が彫られている。前者がロベールさんて、後者があたしらしい。
お店の名前は[カペラとメンカリナン]。それは御者座の星の名前で、馬車であたしを浚ったロベールさんにあやかってこの名前にすることに決まった。
「そちらのロープは貴方にお任せします。我々の手で看板をかけましょう」
「はいっ、任せて下さいっ!」
「ソフィーは飛んで看板の固定をお願いします」
あたしたちが大きな看板を引き上げると、ソフィーちゃんがホウキにまたがって看板に留め金をはめてくれた。
ちなみにそのホウキ、うちの店の備品! 無事に帰ってきてくれた!
「完成なのですっ、カッコイイのですよーっ!」
「な、なんか立派過ぎる気もするけど……っ、いいっ、すごくいいっ!」
「己の所行を突きつけられた気分になりますが……甘んじて受け入れましょう」
あたしはわかりやすいと思った。人を浚ってまで開きたかったお店だって、見るだけでわかった。
……現実はこんなにロマンチックな誘拐じゃなかったけど。
「昼過ぎにはベッドが届く予定です。このまま城で暮らしていただいて別に構わないのですがね……」
「うーん……惹かれるお誘いだけど、独立するからにはやっぱり一人暮らしを始めないとっ!」
このままお城で暮らすのは中途半端だと思う。特別扱いが過ぎると思う。
せっかく魔界にきたんだから、あたしはサジタリウス=ハレーの一人の住民になりたい。
「お姉さまのことはソフィーに任せて下さいなのです。何かあったら『ピューンッ』ってすぐにお知らせするのですよ~」
「えへへへー……そういうことだから心配しないで」
従業員はあたしとソフィーちゃん。昨日ソフィーちゃんのお師匠様を説得して、ここの3階で住み込みで働いてもらうことになった。
ソフィーちゃんのお師匠様が言うには『パンを食べるだけで成長できるなら楽だしそれでいい』らしい……。
厳しい人かと思えば、かなり大ざっぱなお師匠様だった。
「いい匂いがしてきましたね……。冷えて硬くなった後も食べ応えがあっていいのですが、やわらかい焼き立ても捨てがたい」
「あ、そうだったっ、焦がしちゃう前にお店に戻ろう!」
「うぅぅ……お腹がキュゥキュゥするのです……」
他の従業員は未定。結局、信頼のおける人がいいということになって、しばらくは知り合いだけでゆっくりやってゆくことになった。
初日のヘルプは――
「遅いですね……。やはり気まぐれな夢魔族を頼りにするのは止めた方が……」
「手伝ってくれるんだから文句言ったらダメだよ。あ、きたきたっ!」
パン工房はあたし。接客は夢魔族のリスティスちゃん。ソフィーちゃんはその両方のサポート。とにかく最初はこれでやってみる!
「ふぁぁ~……こんな早起きしたの、10年ぶりくらいかもー……」
「おはよう、リスティスちゃん!」
「おはよーなのですっ、ちゃんと朝起きれて偉いのですっ!」
皮肉に聞こえてしまったのか、リスティスちゃんは少し気難しい顔をした。
「二度寝しよーかと思ったんだけどー……アンタのパンを朝ご飯にできるなら別に悪くないしぃー……」
「はい、かく言う私もそれが目当てでして。政務の前に焼き立てのパンに食らいついて鋭気を養うためにきました」
ロベールさんはリスティスちゃんに同意した。昨晩に追う者追われる者になった仲とはとても思えなかった。
頃合いを見てバゲットを取り出して、真ん中でカットをして、用意しておいたチーズとハムをはさんだ。
これはがんばってくれるみんなの分だから、聖女の力を意識的に込めて作った。
「お、美味しいのです……っ! やっぱりバゲットは焼き立てが香ばしくていいのですよーっ!」
「ふふふっ、いいじゃない! 野菜入ってないところが気に入ったし!」
「それは今だけだよーっ、野菜は鮮度管理が大変だし、入れるのはお店が安定してからで……」
「えー、いらないしー。一切野菜を使わない店にしたらさー、人気出ると思うけどなぁー?」
元野菜農家としてそれはなしだ。
将来的にはこれにトマトやレタスをはさみたい。
ロベールさんは無言だった。ロベールさん特別仕様のバゲット1本分サンドをまるで飲み込むように食べていった。
「ど、どうですか……?」
「はい、そこの夢魔の言い分も一理あるかと」
「えーーっ、ロベールさんまで何言うんですかーっ!?」
「野菜が入っていないパンにも需要があると認めているだけです」
「意外とわかってるじゃん、宰相様!」
「乾燥する前のしっとりとした焼き立てのパンに、ハムとチーズだけの素朴な味わいが素晴らしいです」
わかり合えないところだった。あたしは野菜の水分がパンを美味しくすると思うのに、
それがいらない人もいるのかな……。
「昼食前のおやつにしますので、もう1本工面していただけますか?」
「何言ってんのこの人……? それさー、おやつじゃなくてただの二度食いでしょ……」
「宰相さまの太らない体質が羨ましいのです……」
ロベールさんは大きすぎるおやつを受け取ると、昼からは手伝えるかもしれないと言ってお店を出ていった。




