・語り部:アムリスの誤算
アムリスはただ婚約者を取り戻したかっただけだった。姉を闇ギルドに誘拐させるという手段に同情の余地は全くといってないが、元を正せばこの事態は父スチュアート・ブランウィード公爵に原因がある。
幼い頃より生涯の伴侶と疑わない相手――それも一国の王子との婚約関係を引き裂かれれば、程度の差こそあれどどんな女であろうとも狂うというものだ。
ただでさえアムリスが属するのは貴族社会。恋愛が女の生存競争そのものとなる社会だ。
従って、悲しいかな。アムリスからすれば姉コムギに人生を壊されてしまったようなものだった。
彼女は当然の権利と信じて、己の敵を排除しただけなのだ。少なくともアムリスは今もそう信じている。
「コルネル様、突然押し掛けてしまって申し訳ございません」
アムリスは貴族街にある王子の屋敷に押し掛けた。それはコムギが失踪してより2日が経った頃のことだった。
「あ、ああ……何用だろうか、アムリス殿」
午前から突然の来訪にコルネル第二王子は戸惑った。彼はアムリスから、パンの聖女と噂されるコムギに再びの鞍替えを検討していた。
「いえ、何も。ご一緒にお茶でもどうかと思いまして」
「アムリス殿、以前言った通りこちらは最近慌ただしくてな、あまり時間を取れないのだが」
「忙しいならなおのこと、わたくしとお茶をしてお休みになられて下さい。それとも、わたくしとのお茶は心が安まりませんか?」
「いや、そういうわけでは……。おお、ところで話は変わるがコムギ殿はどうしてる? 我々の勘違いで彼女には酷く苦労させてしまった」
「お姉様ならお元気ですわ。コルネル様のことなどすっかりお忘れになって、下賤の者に媚びへつらっておりますわ」
「それは由々しき事態だ。下々の者に彼女を幸せにするなど不可能なことだろう」
「ふふ……」
アムリスは庭園に通され、そこで王子とバラの香る東屋で茶を交わした。王子はそれとなくアムリスを遠ざけようとしていたが、勝利を確信したアムリスには通じなかった。
「うふふふふ……」
「な、なんだ……? 気味が悪いぞ……」
「いえ、貴方とご一緒できる幸せを噛みしめているだけですわ」
姉のコムギは既に闇ギルドに浚われて、今頃はどこかに監禁されている。もう二度と顔を見ることもないだろう。
思い浮かべるだけでアムリスは笑い声が止まらなくなった。
「アムリス殿、お父上がいらっしゃったようだ」
「あら……」
しばらくするとブランウィード公爵が訪ねてきた。公爵は娘の姿に驚きながらも、コルネル王子を庭園の外れに誘った。
「王子殿下、実は伝えなければならぬことがある……。うちの長女コムギのことなのだが……」
「ああその話ですか、喜んで彼女と再び婚約いたしましょう。アムリス殿も強い力をお持ちだが、潜在能力はコムギ殿の方が遙かに上のようだ」
なんと非情な男であろうか。こんな男でなければ、アムリスもここまでは狂わなかったかもしれない。コルネル王子は聖女の力を利用して、世継ぎである兄を追い落とすことしか頭になかった。
「そうもいかぬのだ」
「何をおっしゃられる、醜聞などすぐに忘れられましょう」
「コムギが誘拐された」
「な、なんだって……っっ!?」
アムリスは父親の苦い顔と王子の絶叫にほくそ笑んだ。
「今朝方、勇者キュルクレインがうちにやってきた。コムギは魔王軍の手の者に奪われ、魔界に浚われたと……」
「その話は本当なのか……? パンを作るだけであれだけの者を魅了するあの力を、魔王軍に、奪われただと……!?」
王子が声を荒らげると東屋からアムリスの高い笑い声が響いた。
「コムギお姉様、誘拐されたんですの……? ああ、なんてお可哀想なお姉様……」
アムリスは思った。『こんなに美味しいお茶は久しぶり……』と。
気分の高ぶりのままにアムリスは席を立って、王子の前に立つと彼の腕を取る。
「貴方にはわたくしがおりますわ、コルネル王子様……!」
「ア、アムリス……」
「魔界に浚われたとあっては取り返しようがございません。コムギお姉様が生きて戻ってくることは、もはや二度とないかと……」
「なんということだ……」
アムリスの言う通りだった。もはやコムギは死んだも同然、コルネル王子は軌道修正を強いられた。その結果――
「アムリス、君のことが心配だ……。仲があまりよくなかったとはいえ、実の姉の不幸……心中お察しする……」
またもやその男は態度を変えた。急にアムリスの顔色をうかがうようになった。
「ああ、ご心配いただきありがとうございます、コルネル王子様……!」
「これまで忙しさに追われていたが、これからは君のために時間を作ろう。本当に残念だ……」
コルネル王子の抱擁がアムリスを包んだ。
コムギが消えれば必ずこうなる。幼い頃から一緒だったからこそ、アムリスはコルネル王子の性質をよく理解していた。
かつてはそのあまりの軽薄さに愛情が冷めたこともあった。だが裏切りや嘘が当たり前の社交界で生きるうちに、彼女もまた毒されていった。
おかしな話だが貴族社会では、勇者キュルクレインのような誠実で真面目な人間よりも、軽薄で動かしやすい人間の方がずっと人気があった。
前者の人間は往々にして裏切られ、肩を持った者も損をすることになるからだ。
「ふふ……」
それにしても魔王軍にさらわれただなんて、闇ギルドも融通を利かせてくれるものだ。王子の胸の中でアムリスは勝利の美酒に酔った。
ようやくあの目障りで、お人好しで、世間知らずの姉を追い落として、幼い頃からずっと一緒だったコルネル王子の愛を取り戻せたのだから。
「ずっとこうしていたいが、父上に事態を伝えねばなるまい。すぐに戻る」
それからしばらくすると王子は書簡の手配のために庭園を離れた。すると狙い澄ましたように父ブランウィード公爵がアムリスに近づき、実の娘を睨み付けた。
「まさか、そなたの仕業ではあるまいな……?」
「あら、お父様、なぜわたくしが?」
「最近、よくない者たちとつるんでいると報告を受けている。勝手は許さんぞ」
「なんのことでしょう、ひどい言いがかりですわ」
邪悪な笑みを浮かべてアムリスは思う。『今頃は醜い下民どもの手込めにされているのかしら。おかわいそうなお姉様……』と。
父に疑われることくらいアムリスも折り込み済みだった。この父もまた汚い手を使って政争を勝ち抜いてきた陰謀家だ。むしろ誇らしいとアムリスは感じた。
「とぼけるな」
「ふふふ……仮にそうだとしても、お父様が今日までしてきたこととなんの違いがございますの?」
疑われようとも『わたくしは貴方の娘ですから』と開き直れた。
「……ッッ?!」
ところがその時、刺されるような鋭い痛みがアムリスの胸に走った。
「む、急にどうした?」
「い、いえ、なんでも……」
「胸が痛むのか? ……ふんっ、後で屋敷に医者を呼ぼう」
「いえ、ただの神経痛か何かですわ……」
アムリスは痛みの正体を知っていた。それは闇ギルドに手配させたとある薬の副作用だった。
コムギから王子を取り戻すために、彼女は魔力を引き出すという魔女の薬を飲んだ。
その薬のおかげでアムリスは王女の病気を治し、コルネル王子を取り戻すに至った。薬には重い副作用があると聞くが、これっきり飲まなければいいことだと彼女は考えている。
邪魔者がいなくなった以上、闇ギルドとの付き合いも今日限りだ。
ほどなくして正装の使用人が馬で屋敷の正門を出て行くと、庭園にコルネル王子が戻ってきた。
「公爵殿、我々の関係を確認するためにも折り入ってご相談があるのだが、書斎までご足労願えるか?」
「うむ……コムギの件は残念だが致し方あるまい」
「アムリス、俺の気まぐれで冷たくしてしまった悪かったな。そうだ、明日にでも買い物に行こう」
「まあ嬉しい……ぜひお供しますわ、コルネル様……」
父とコルネル王子が庭園から屋敷へと去ってゆく。その後ろ姿を見つめながらアムリスは空を見上げてつぶやいた。
「愛していますわ、王子様……。もう二度と、他の方に色目を向けないで下さいね……」
最初からこうしておけばよかった。愛を取り戻した彼女は馬車に乗り込んで己の屋敷に戻った。
それから気乗りしないものの、平民の格好に変装すると、人目を忍んで歓楽街の酒場を訪ねた。
「うちはまだ開いてないよ」
「中に用があります、通しなさい」
「なんだ、この前のお姉ちゃんか、二階の奥へどうぞ」
酒場の男は店の清掃をしていた。アムリスは下々の者など目もくれずに階段を上がり、奥の部屋を訪ねた。
部屋では顔に入れ墨のある痩せ男がちょうど昼の食事をしていた。
「約束の報酬よ、よくやったわ」
アムリスは金貨の束をワインと焼き肉の隣に置いた。前払いでユーパトリウム金貨100枚。成功報酬で200枚の約束だった。
「ああ、悪いがこの金は受け取れないな」
「あら、なんでですの? 貴方方にボランティア精神があっただなんて意外ですわね」
皮肉に男は威圧を送るもアムリスには通じない。闇ギルドの幹部ごときよりも、王子の婚約者である己の方が遙かに強かった。
それにもしもコルネルの野望が実現すれば、アムリスはこの国の王妃となる存在だ。
「申し訳ないが我々は失敗した」
入れ墨の男は金を受け取るどころか、金庫から自分の金をテーブルに積んだ。
「何を言っているのかわかりませんわ」
「前金も返そう」
「成功したではございませんか」
「ああ、他のやつらがな。我々は浚っていない」
「はい……?」
アムリスは首をかしげた。実行犯である彼らが浚わずして、いったい誰が姉を浚うのだろう。
「情報が漏れていたようだ。我々がコムギ・ブランウィードの仮住まいに忍び込んだ頃には、住まいはもぬけの殻だった……」
「ど、どういうことですの……?」
「よってこの金は受け取れない。持って帰ってくれ」
「なら誰がお姉様を浚ったと言うのですの!? あ……っっ?!!」
勇者キュルクレインは魔王軍にコムギが浚われたとブランウィード公爵に報告した。それが闇ギルドの工作ではなかったとすれば、答えは一つだ。
「ふ……っ、そうですの……。お姉様は、本当に魔王軍に……」
人間を喰らうという魔王軍に浚われて姉が無事なはずがない。予定とは異なるが、コムギがユーパトリウムに戻ってくる可能性はゼロと言ってよかった。
「ふ……社会のゴミのくせに、お金の決済には細かいのですのね」
「ゴミクズはアンタら貴族どもでしょう」
「な……なんですってっ!?」
「で、例の薬はどうします?」
「無礼者と取り引きする気はございませんわ!! もう必要ございませんのっ!!」
「そうか、それは残念だ。必要になったらここのバーテンに言づてを残すといい」
テーブルの金を袋に詰めるとアムリスは酒場を出た。掃除をしていた男が通りまで見送ってくれたが、彼女からすれば邪魔でしかなかった。
明るい通りに出るとアムリスはほくそ笑んだ。
胸の中で『お姉様の時代はもうおしまい。これからわたくしの時代。ありがとう、魔王軍の方々。わたくしの大嫌いなお姉様を浚って下さって』と喜びの言葉を叫んだ。
「う……っっ」
そんなアムリスの胸にあの痛みが走る。またもや魔女の薬の副作用だった。
「だ、大丈夫、大丈夫……」
無理をしなければそのうちよくなる。そう聞いている。アムリスは自宅に帰ると、今夜の夜会のために昼間から使用人に風呂を沸かせて、勝利の味をワインで噛みしめた。
思い出した頃に鋭く走る、気になる痛みに悩まされながら。




