・魔界最強、ただしふつうにおじいちゃん
だけど寝室のベッドにいたのは、あの晩のロベールさんと同じような角があって肌が少し白いだけの、人間とそう変わらない弱ったお爺ちゃんだった。
「お、おお……マーサ……生きとったんか、お前……」
お爺ちゃんはあたしを見てそう言った。
「魔王様は少しおボケになられております。老い先短い命、どうかマーサの振りをしてやって下さい」
「あ、はい……」
想像とは正反対の弱々しい姿だった。言われた通り、そういうことにすることにした。
「お前の葬式は賑やかじゃったのぅ……」
「え……?」
「お前の昔話に、花が咲いたりしてのぉ……。お前も……葬式に、出席すればよかったのにの……」
こ、この魔王様……。
「当人の葬式に、当人が参列者として出席する。さすがは魔王様、斬新な発想にございますね」
「ほっほっほっ……なんか、ちとおかしい気もするのぅ……?」
すごいボケている……!!
「何、些細なことでございますよ。それはそうと魔王様、マーサお婆ちゃんが私たちにパンを焼いて下さいましたよ」
「お、おぉ……マーサ……お迎えが、遅かったじゃないか……」
ど、どう答えれば正解なのこれ!?
あたしは作り笑いを浮かべて、とにかくバゲットをナイフでカットした。
ロベールさんがカットされたバゲットをミルクに浸してやわらかくすると、ソフィーちゃんが魔王様の背を抱き起こした。
「いい子じゃの……後で、住所教えてくれんかの……?」
「魔王様、それはこの前も教えたですよ~」
ひょうきんなお爺さんだった。そんなおじいさんの口にミルクをたっぷり吸ったバゲットをロベールさんが運んだ。
魔王様はモッチャモッチャと口を鳴らして、吸うようにあたしのパンを食べてくれた。
口に合うかどうか、そこが心配だ。
味はご夫婦のあのパンに近づけていると思う。
一切れをやっとこさ食べ切ると、プルプルと震えていた魔王様がピタリと止まって動かなくなった。
「魔王さま……?」
「ま、魔王様っ、魔王様っっ?!!」
「えっえっ、あの、大丈夫ですか、魔王様!?」
魔王様は静かに目を閉じた。
え……え……?
まさか……あたしのパンで死んじゃ……った……?
「クワッッ!!」
「お、おおっ、魔王様……っ!!」
魔王様の目が大きく開かれた。
あたしのパンで死んじゃったのかと思って焦った……すごく焦った……。
「介護などいらぬっ! マーサッ、それをワシに寄越せ!」
「お、お待ち下さい魔王様、喉に詰まったら大事にございますっ」
「心配はいらんわいっ!!」
魔王様はベッドから立ち上がり、あたしの前にジャンプしてバゲットを引ったくった。
もはや死にかけのご老人の動きではなかった……!
「おお美味いっ、お前の作ったパンは最高だわいっ!」
「ちょっちょっ、それ詰まるっ、あたしでもそんなペースで食べたら喉が詰まっちゃうよぉーっ?!」
ロベールさんは魔王様を止めなかった。慎重に様子をうかがっているみたいだけど、どう考えてもこのままじゃ大変なことになる!
心配するあたしの前で魔王様はバゲット1本を食べ切ってしまった。
「ふぅぅぅ……」
「だ、大丈夫ですか……?」
「はぁぁぁ……っっ」
「む、無理するから――」
「ふんぬっ!!」
「ヒャァァーッッ?!!」
その時、突然魔王様の肩からトゲが生えた。魔王だからトゲくらい生えてもおかしくないんだけど、弱り切ったお爺ちゃんのソレじゃない!
「素晴らしい……貴女の力は私の予想以上でした……!」
「ぬぅぅぅんっっ!!」
「ぴゃぁぁーっっ?!!」
今度はソフィーちゃんが悲鳴を上げた。魔王様はさらに膝からもトゲを生やした。
だけどそこからトゲを生やす意味って、あるの……?
「ロベール、おかわり!!」
「ソフィーッ、すぐに厨房から持ってきなさいっ!」
「は、はぃぃっっ!!」
ソフィーちゃんは速い。
ロベールさんが部屋の大きな燭台を投げ渡すと、ソフィーちゃんはそれに騎乗してパンを取りに戻った。
すると30秒もしないうちにソフィーちゃんが戻ってきて、魔王様が3本目のバゲットを食べる。
今度はあっという間だった。まるで飲み込むみたいにお腹へ消えていった。
「魔王様……お元気に、なられたのですね……」
あたしには驚きの連続だった。
でもロベールさんにとっては、目に涙を浮かべるほどの出来事だったみたいだ。
「ほげ……? はて、ずいぶんイイ男じゃが……どなた様……じゃったかのぅ……?」
さっきまで名前を呼んでいた相手に、魔王様は他人を見るような目を向けた。
その魔王様のトゲがあたしを見ると突然引っ込んだ。
「おお、その顔、マーサではないか……! どこで何をやっておったんじゃ!?」
「え、ええっ!?」
「この前お前の葬式を上げたばかりじゃというのに、墓場から蘇りおって!」
えと、その話、2回目……。
「あ、あのぉ……あたし、マーサって人じゃありませ――」
その時、突然ロベールさんが魔王様とあたしの間に入った。
「 ブェクショーイッッ!! 」
くしゃみからあたしを守るためだった。魔王様がくしゃみをすると、あたしたちの後ろの壁にビシリとヒビが走った。
ロベールさんが間に入っていなかったら、あたしは死んでいたかもしれない……。ボケてもその人は魔界最強の魔王だった。
ちなみにソフィーちゃんはベッドの下に潜り込んでいた。
「おお、すまんすまん……。おやぁ……お前さん、ロベール坊やかい?」
「はい、ごぶさたしております、魔王様」
「おやまぁ、ずいぶんと大きくなったのぅ……! ワシじゃよ、ヨブじゃよ、ホッホッホッ!」
ロベールさんが後ろのあたしに振り返った。とても難しい顔をしていた。
「困りましたね……。魔王様は貴女のパンで奇跡的にご健康を取り戻したようですが……軽度の痴呆の方は治っておられないご様子……」
「そ、そうみたいですね……」
そもそもあたしにパンに、なんでそんなすごい力が……?
「コムギさん、魔王様の痴呆症を治すパンはございませんか?」
「そんなパンがあったら全世界のお爺ちゃんお婆ちゃんみんながお家でこねてますよぉーっ!?」
あたしのパンで魔界最強の魔王(痴呆気味)が復活した。あたしはもしかしたら、魔界にとっても人間界にとっても、余計なことをしてしまったのかもしれない……。
「だ、誰じゃっ!? ワシの寝室をこんなボロボロにしたやつはっ!?」
「貴方様にございます、魔王様」
「ほっほっほっ、そうじゃったな、覚えておる覚えておる! ブェクショーイッッ!!」
あたしは今日、2回死にかけた。
フレンドリーないいお爺ちゃんだけど、その人は危険極まりない破壊の魔王そのものだった。
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