ドワーフトロッコ、三〇日の地獄
国境ダンジョンの門をくぐると、地下路の景色が変わった。
ここから先は、もう公国ではない。国と国のあいだを貫く、長い長い国際街道である。
その壁に沿って、細い管が走っていた。人がかがんで入れるかどうかの太さの筒が、燐光に照らされて、闇の奥へどこまでも続いている。そして管の切れ目から、小さな車体が顔を出していた。
「ドワーフトロッコだ。三〇日で向こうまで運んでやる」
ドワーフの運行係が、ぶっきらぼうに言った。
三〇日。歩けば三〇〇日の道が、三〇日。
「三〇日!? すごいな、乗る! 今すぐ乗る!」
アンパトは歓喜した。文明の勝利である。
――歓喜は、乗り込んだ瞬間に終わった。
狭い。膝を抱えて座る板の座面に、4人と荷物でぎゅうぎゅうである。天井は低く、立つことは許されない。中腰である。
「⋯⋯あの、これで三〇日?」
「嫌なら歩け。三〇〇日だ」
出発するなり、ガタガタガタガタ。いびつな車輪の振動が、板の座面を通して、尻から背骨へ直に響いた。
燐光の壁が、延々と流れていく。景色は、それだけである。時折、貨物を満載した対向のトロッコとすれ違い、御者のドワーフ同士が短い指笛を交わす。この細い管が、国と国をつなぐ物流の背骨なのだと、それで分かる。
揺られながら、アンパトは管の内壁を眺めていた。継ぎ目のない、まっすぐな筒。しかも古い区画ほど、内側は磨いたように滑らかなのである。
(⋯⋯これ、昔の高速輸送路の残骸だろ。乗り物ごと消えて、管だけが残ったのか。⋯⋯もったいないことするよなあ)
見当をつけて、思考は閉じた。今は骨董の管の中を、ドワーフのトロッコがガタガタ走っている。それだけの話である。
車内の日常は、その振動だけで手一杯なのに、さらに地獄と紙一重だった。
「はい、アンちゃん。昨日の綴りの続き」
「揺れてる! 字が書けない!」
「音読ならできますね」
逃げ場のない密室は、恐ろしく勉強が捗るのである。アルギレとニリの監督下、詠唱書の音読が管の中にこだました。エオスは涼しい顔で背筋を伸ばしたまま、なぜか一切酔わない。当のニリは、教える側のくせに少し酔い気味で、時々黙って目を閉じて顔色を白くしたまま反応しなくなる。
救いも、あった。数時間おきに、非常用の出入り口とおぼしき場所に小さな休憩所が設けられていて、手足を伸ばし、用を足すことができた。最低限の尊厳は、守られたのである。
だが、尻は別だった。
板と振動は着実に尻を破壊し、腰を固め、膝を軋ませていく。一晩明けた頃には、座り方の工夫という工夫は出し尽くした。荷袋を敷けば荷が潰れると叱られ、膝を抱え直せば隣のニリに肘が入ると叱られた。
「⋯⋯次の街まで、あとどれくらいだ」
「五日おきだ」
「五日!?」
どんだけ長いんだ、この街道は。
アンパトは、遠い目になった。三〇日の意味を、体で理解し始めていた。
そして、五日目。
ようやく最初の沿線都市国家に到着した。トロッコを降りる、というより転がり出て、固まった体をめきめきと伸ばしながら、アンパトは厳かに宣言した。
「⋯⋯ちょっとこの街で、準備させてくれ」
「準備って、何のよ」
「尻当てだ」
尻当てである。尻当てを、調達するのである。旅の道具として、いま最も切実な、命の次に大事な装備であった。




