稽古が、増えた
膜を抜けた先は、乾いた土くれの大地だった。体に絡みついた膜は、すぐに泡と消えた。
荷は1頭のリャマと、4頭の――
「アルギレ、このロバ、ずいぶんデカくない?」
「ラバです」
「⋯⋯ロバでは?」
「ラバです。荷はロバより運べて、山道はロバより強い。旅の相棒には、これ以上ない者たちですよ」
ロバによく似た、ロバではないらしい何かに荷をくくりつけ、4人の隊列は、踏み固められた道を西へ進む。
歩き出してすぐ、アンパトは気づいた。荒野は、すり鉢の底の首都と打って変わって、肌寒い。それに、少し歩いただけで、心なしか息が上がる。
(⋯⋯なんだろうな、この感じ。高い山に、登ったときみたいだ)
アントニアディ公国の首都は暑かった。それは首都を覆う結界がもう一枚あったからか、それとも親方達がガンガン石炭を焚いていたからか、あるいはその両方か。
煩かった職人街の喧騒と対比するように、人気のない荒涼とした大地が、肌寒さを増す。
さて、旅の朝晩は、読み書きと詠唱の勉強である。
「旅の間も勉強をさせるように」というシュルティス師匠の言いつけを、アルギレとニリは忠実に、それはもう忠実に守った。揺れる焚き火のそばで綴りを直され、朝の出発前に詠唱の書式を諳んじさせられる。
(⋯⋯国を出たのに。国を出たのに!)
うんざりした勇者は、ある日、一計を案じた。稽古である。体を動かす稽古で勉強の時間を潰せばいいのである。習う相手は、決まっていた。
「エオス、体術を教えて!」
かつて、城の稽古場で片手のまま制圧された、あの強さ。習いたい理由なら、嘘偽りなく本物だ。エオスは、にっこりと快諾した。
「ええ、よろこんで。では、夜、食事のまえに」
――勉強は、一分も減らなかった。
カリキュラムが、一つまるまる増えた。
道中では、小さな魔物の群れに襲われた。だが、今の4人の敵ではない。ニリの長杖と、アルギレの矢が、湧いた端から片づけていく。手早く処理して、旅は続く。
そして、夜。初稽古である。
「流派の名は、居城判官流。お城で武装しないものたちの基本護身術ですね。今日は受け身と、掴まれた手のほどき方から」
やわらかい声で始まった稽古は、まるでやわらかくなかった。
化け物じみたはずのアンパトの膂力が、技の前ではまるで通じないのである。掴む。ほどかれる。押す。いなされる。力めば力むほど、視界がくるりと回って、気づけば地面に転がされている。城の稽古場の完敗が、まざまざと蘇った。
「くそ、なんで⋯⋯! 力なら、俺のほうがあるはずなのに!」
「ふふ。ありませんよ?」
エオスは涼しい顔で、但し書きを添えた。自分も勇者の血の、いわゆる先祖返り。地力はアンパトさんと似たようなものです。ニリさんや普通の兵と比べれば多少は力強いかもしれませんが――
「同じ能力を持つ兄上の前では、私など、そこらへんの子供と変わりません」
(⋯⋯あの王太子か。あれより強いのが、まだ上にいるのか)
背筋がすっと寒くなったのは、荒野の夜気のせいだけではない。
「よいですか。力ではありません。相手の力を、円を描くように返すのです」
掴まれた腕を軸に、くるり。相手が強く押すほど、強く投げられる。つまり、小柄な者、非力な者ほど活きる術だという。
(⋯⋯てこと、円運動。これ、俺のための武術じゃないか?)
非力を自覚し始めていた勇者は、俄然食いついた。転がされては起き、転がされては起き、夜の荒野に受け身の音が続く。
その様子を、焚き火のそばで他人事のように眺めていたニリが、ぽつりと言った。
「アンちゃん、投げられてばっかりね」
「⋯⋯自分が投げられるばかりだと、どうやってるのか、さっぱりだ」
「それもそうですね。ニリ、ここを掴んでください」
「え? 私?」
当然のように巻き込まれた。言われるがまま、おずおずと姫の袖を掴んで――次の瞬間、ニリは満天の星空を見ていた。
ぶん投げられたのである。
「なんで私まで!?」
かくして、ただ稽古が増えた。




