ひと月の修行、成果はこちら
公国の暮らしは、いつの間にか型ができていた。
午前は学院。詠唱書の音読と、当世文字の書き取り。ギルドの依頼書がすらすら読めるようになった頃には、入門テキストの余白は書き込みで真っ黒になっていた。シュルティスの朱入れは的確で、皮肉は今日も健在である。
「読める字になってきたわね。5歳児ぐらいには、なったかしら」
「やったー、3歳児扱いから5歳児にはなったぞー!」
「喜ぶでない⋯⋯」
午後は工房。図面の読み方、魔石の扱い、装置の分解と組み立て。
「頭で覚えるな、手で覚えろだわい」
叱声と一緒に油と煤を浴びる日々で、借り物だった前掛けは、いつしか染みの模様ごと自分の物になった。
週の何日かは、公国管理のダンジョンにこもる。ニリとの連携はもう体に入っていて、腹の底の魔石は着実に育っている。夜はギルドの食堂兼酒場。顔なじみもできた。
「野菜と果物は王国のほうが美味かったけど、肉とチーズはこっちのほうが断然うまいな」
「公国は畑が狭いから、って師匠が言ってたわ」
ジョッキ(中身は果実水である)を傾けながら、そんな話をする程度には、この街に根が生えてきた。
演習場の隅。何十回目かの不発のあと、ニリが膝を抱えてうずくまっていた。書式は完璧。発音も完璧。なのに、魔法が発動しない。
アンパトは隣にしゃがんで、覚えたての工房の言葉で、言ってみた。
「あのさ。読み上げるんじゃなくて――腹の中の魔石に『やらせる』んだ。図面を渡すみたいに。読んで聞かせるんじゃなくて、頭の中で構築したものを、渡して、任せる」
ニリは顔を上げた。しばらく黙って、何かを噛みくだいて、それから、もう一度だけ詠唱した。
掌の上に、小さな灯りが、ぽっとともった。
「⋯⋯つ、伝わった⋯⋯! アンちゃん、伝わったわ!!」
涙目で飛び跳ねるニリ。あの日のシュルティスの問い――あなたは精霊にそれを『伝えられた』?――の答えは、工房の親方の言葉の中にあったのである。
「アンちゃんもこれでできたの?」
「⋯⋯俺は、まだ」
教えた本人の詠唱は、相変わらず一度も発動できていない。世の中は、ままならない。
――さらに、アンパトの髪が少し伸びた頃。
学院の屋外演習場に、両参与が並んで立った。
まずはニリの番。背筋を伸ばし、一音も揺れない美しい詠唱で――灯り、水滴、微風、三連発動。光は安定し、水は掌の上に丸く収まり、そして、わずかにだが確かに、風が吹いた。
「⋯⋯良い弟子だこと」
シュルティスが目を細める。ニリは卒倒しそうな顔で直立不動だ。師匠と呼び続け、とうとう弟子呼びされたのだ。
続いて、アンパトの番。
詠唱は――からきしだった。
何度目かの詠唱でようやく、ゆらゆらと頼りない灯りがひとつ。風が吹いたら消える火種である。ニリの魔法とは比べるべくもない。
「ほれ、これ使え」
バグノルドが放って寄越したのは、魔石をはめた、杖とも工具ともつかない把手だった。補助具である。握った途端――同じ灯りが、倍の輝きで、ぴたりと安定した。
「おお!?」
「やはりな。体を巡っている魔素が胎内魔石とつりあっておらんのじゃ」
「そんな例聞いたこともないわ。それに道具に頼ってると、道具を失くしたときに死ぬわよ」
詠唱で威力の出るニリと、道具を介した方が安定するアンパト。
ニリがシュルティスを師匠と呼び、アンパトがバグノルドを親方と呼ぶようになった頃、二人の魔法の型はまるで違うことを証明して終わった。
「やっぱり魔法使いは杖だよなー」
当人はその程度に呑気に流していたが――シュルティスだけが、顎に手を当てて、小さく呟いていた。
「おかしいわね。先代勇者は魔法が得意だった。古エルフ語まで操っておられたのに。⋯⋯圧縮学習を途中で抜けたのが原因か、あるいは感情封緘が原因か、どちらかしら? ――精霊を、素直に信じられずにいるのかしら」
呟きは誰の耳にも届かず、当の本人は、もう補助具をぶんぶん振り回して灯りを明滅させて遊んでいる。
「こら、灯りで遊ぶでない」
(しかし、まだまだ世話の焼ける――)
見立てだけは、両参与で珍しく一致した。
「基礎はよしとしよう。あとは実戦で使い込むことね」
「うむ。⋯⋯で、だ。ちょうどギルドから、管理ダンジョンの討伐依頼が来とってな」
バグノルドの髭が、にやりと持ち上がる。
「ついでに、試してほしいもんが、あるのだわい」
覚えたての魔法の、実戦試験である。




