進化した科学は魔法と区別がつかない
午後の工房街は、午前の学院区の静けさを、まとめて取り返すような騒がしさだった。
金槌の音。火花。油の匂い。バグノルドの工房は職人たちの城で、驚いたことに、当の老参与自身が炉の前に立って、真っ赤な金属を叩いていた。議会の最高技術参与が、である。乱暴に見えて、その手つきは、太い指からは想像もできないほど繊細だった。
小指の爪を水につけて軽く金属をなぞる。それだけで、寸部の狂いもないまっすぐな線が金属に引かれるのである。
一段落ついたバグノルドは、前掛けで手を拭いながら、開口一番に言い放った。
「精霊の奇跡? ――わしらはこれを、魔法工学と呼んでおる」
信じるのではない。観測して、試して、再現する。今朝の学院とは正反対の学問の入口が、そこにあった。
最初に見せられたのは、真鍮の筒だった。台座に固定され、上に覗き穴、下に小さな皿。
(⋯⋯嘘だろ。顕微鏡だ。この世界に、顕微鏡があるのか!?)
レンズはドワーフの研磨技術の粋だという。バグノルドは皿にダンジョンの壁だという欠片を載せると、覗いてみろ、と顎で促した。
覗き穴の向こうには、別の世界があった。
多孔質の、格子状のスポンジのような構造。その無数の孔の中で、小さな緑のつぶつぶが――確かに、うごめいている。
「藻だわい。壁には藻が棲んどる。こっちの藻が炭をつくって、こっちの藻が、その炭を食って光る」
炭をつくる藻と、光る藻。おまけに連中は、壁のひび割れに入り込んでは塞ぎ、補修と補強までするのだという。
(⋯⋯待て。待て待て。ダンジョンの燐光。崩れない壁。街の魔法灯。⋯⋯あれ、全部これか!)
これまで見てきた景色が、覗き穴ひとつで一本に繋がっていく。交代で覗いたニリも、目を丸くしたまま離れない。
「動いてるわ⋯⋯生きてるのね、壁⋯⋯」
「こやつらの名は、クロオコッキ。⋯⋯古い文献ではダンジョンの壁がそう呼ばれとった。壁の名を、そのまま藻に付けたのだわい。名付けは、わしだわい」
得意げな髭面である。
そして老ドワーフは、こう続けた。
「だがな、藻は藻だわい。魔法の正体は、こやつらじゃあない。精霊は――この顕微鏡でも映らん、もっと、もっと、さらに小さい何かに違いない、とわしは睨んどる」
見えないから信じる、ではない。見えるところまで観測して、見えないものの輪郭を、外側から詰めていく。
(⋯⋯こいつら、エンジニアだ)
アンパトの中で、ドワーフへの評価がカチリと定まる。
続いては、名高いファイヤーボールの種明かしである。工房の裏の試射場で、バグノルドは腕木のついたいかつい機構に、炉で熱したごくごく小さな魔石を火挟みで装填した。
「離れとれよ」
留め金が外れる。腕木がしなり、白熱した塊が唸りを上げて飛んだ。的の岩が砕け、遅れて、腹に響く音とともに盛大に爆ぜる。
「これがファイヤーボールの正体だわい。こんなゴブリンよりも小さなサイズでこの威力じゃ。空気中の魔素やら胎内魔石やらを使って、目に見えんほど小さいのを飛ばすより――デカいの飛ばしたほうが、かっこいいだろ!」
「かっこいい!!」
火も氷も、つまるところは熱の移動の操作。無から生まれる奇跡など、ここには一つもない。
休憩の茶が出た。工房の茶は、濃くて渋い。話題はふと、もう一人の参与に流れた。
「シュルティスさんって、エルフにしては感情豊かだよね」とニリ。
「若く見えるエルフの見た目に騙されるんじゃねぇぞ。あの婆さん、何かといえば昔はもっと可愛かっただの、お前のおしめは私が替えただのと、ぬかしやがる。わしゃもう85だわい?」
愚痴をこぼしながら、口元は笑っている。
「どうやったのか知らんが、エルフの感情を封じる魔法とやらも脱したみたいでな。⋯⋯うるさくて、かなわん」
(エルフの、感情を封じる魔法。⋯⋯あれか。俺が、やられる前に逃げ出したやつ)
思い出しかけた長老の間の空気は、渋めの茶で流し込んだ。
入門の意思は、もう固まっていた。
「バグノルドさん。俺、ここで学びたい」
「おう! そうこなくてはな!」
髭がうれしそうに揺れる。勇者の知恵と魔法工学。古の技術の復活も夢ではないわい――と上機嫌の親方に、ニリが余計な一言を添えた。
「よかったわね、アンちゃん。字が読めないからエルフ流を諦めてたものね」
金槌のような沈黙が落ちた。
バグノルドの顔から、笑いが消えている。
「⋯⋯字が、読めんじゃと?」
「あ、いや、その」
「それは、いかん」
真顔だった。怒鳴り声より、よほど怖い静かな声だった。
「職人こそ、図面が読めねばならんのだわい。興味がないのとできんのは天と地ほども違う。基礎学力は大切じゃ。読めん者に、炉は任せられん。⋯⋯よし。裁定だわい」
かくして、裁定が下った。
午前は学院で、文字と詠唱。午後は工房で、魔法工学。
勉強と稽古が嫌で、エルフの森を飛び出した勇者である。王城でのお稽古からも逃げ出した。800年の時を越え、地の底の国道を渡った先で――やっぱり、追いついてきた。
「そんな⋯⋯俺は、勉強から逃げるために勇者になったのに⋯⋯」
「なってないわよ。順番もおかしいわよ。だいたい、なんで基礎教育もうけてないのよ」
「しょうがないだろ、目が覚めたのがごく最近なんだから!」
「⋯⋯⋯⋯」
ニリが、聞いてはいけないことを聞いてしまった、という顔で口をつぐんだ。
愕然とする勇者と、勝手に神妙になる相棒。かくして明日から、魔法論理学と魔法工学、二つの学問がいっぺんに学べるのである。
⋯⋯よかったな、アンパト。




