精霊派と歯車派
扉が開いた。言い争いは、止まらないまま入室してきた。
「――だから、精霊様の御業を貴様の油臭い理屈で語るなと言うておるのに」
「――観測もせんで祈っとるだけの連中が、御業で済ますでないわ!」
小柄でがっしりした体格に、編み込んだ髭、油の染みた前掛けの老人。もう片方は、その倍ほども背の高い、冷笑を口の端に貼り扇で口元を隠すエルフの女性。二人は応接の間に入ってからも応酬をやめる気配がない。
フラマリオン議長が、ぐったりした顔で二人の口喧嘩を遮るように紹介した。
「⋯⋯議会最高技術参与のお二人です。魔法工学のバグノルド殿。魔法論理学のシュルティス殿です」
アンパトの目は、まず老人に釘付けになった。低い背丈に、樽のような胴回り。そして節くれだった、異様に太くたくましい指。
(⋯⋯ドワーフだ。本物の。いや待て、エルフがいるんだからドワーフもいるか。⋯⋯って、なんでこの世界、エルフとかドワーフがいるんだ? ファンタジーじゃねぇか)
「勇者アンパトだ」
名乗りは今日二度目なので、だいぶ滑らかに出た。すると今度は、隣も続いた。
「ニリです! け、賢者になりたくて⋯⋯魔法を学びに来ました!」
言えた。ついに言えたのである。「大賢者(予定)」の看板こそ下ろしたものの、本場の最高権威二人を前に、ニリは志を名乗った。頬が紅潮している。
ドワーフとの言い争いに集中していて、回りをほとんど気にしてもいなかったエルフがアンパトの顔を見て固まる。数秒。長い耳の先が、かすかに揺れた。
「⋯⋯なるほど。なんで呼び出されたかと思ったが、しわくちゃになったイシディスが、ちっちゃい小娘になって戻ってきたというわけね」
「誰がちっちゃい小娘だ!」
軽口と反射のツッコミが、そのエルフのわずかな動揺を覆い隠した。アンパトは気づかない。扇ですぐに隠されたエルフの表情の変化に気づいたのは、ニリだけだった。
(⋯⋯今の間、何かしら。王族はそれほどまで勇者様に似ているものなの⋯⋯? 心なしか目も潤んでいるように見えるけど)
(このエルフ⋯⋯よく喋るな。アルギレの十倍は喋るぞ)とアンパトは別のことに感心していた。
静かだったのはわずかな間。
今度は勇者をどちらの流儀で学ばせるか、で口喧嘩がはじまった。
口火を切ったのはシュルティスだった。
「先代勇者イシディスも、私が教えた」
さらりと、爆弾が落ちた。
「は?? 先代勇者って⋯⋯あの、肖像画の?」
「私は書記官として魔王の元まで随行した。今回も大森林から若いエルフがつけられておろう?」
先代の、アルギレ役か。(こいつ、いったい何歳――いや、聞かないでおこう。命が惜しい)
「というわけで、実績なら私の方にある。論理も詠唱も、基礎から仕込んであげるわ」
「たわけたことを!」
バグノルドは髭を振り回すように首を激しく振る。
「勇者様の古の知恵は、魔法工学にこそ活きるのだわい! エルフの婆さんは知ってるのに肝心なことを何ひとつ教えてくれん。わしの代で古の技術を復活させる――そのためには、勇者様の知恵が要るのでな!」
婆さんと呼ばわりされてエルフの目つきが鋭くなった。
「あんたは、その前に風呂に入りなさい。街ごと油臭くなって敵わない」
「綺麗な空気がすいたければ森におかえりなされ、街は環境より発展だわい!」
「動けばいいと、あちらこちら汚したり散らかして」
「あんたらほどの長生きには、わからんのですわ」
「長生きで悪かったわね。⋯⋯森に帰らないくせに、とでも言いたいの?」
「言っとるだわい、百年前からな!」
――呼吸が、完全に噛み合っている。
売り言葉と買い言葉の間に、一拍の淀みもない。喧嘩というより、長年連れ添った芸である。アンパトとニリがすっかり毒気を抜かれて眺めていると、議長が疲れた声で言った。
「⋯⋯いつもこうなのです」
さて、当の生徒たちはどうかといえば。
ニリの目は、シュルティスに釘付けだった。(魔法論理学の、最高権威⋯⋯しかも先代勇者様の書記官⋯⋯大賢者への道が、いま、目の前に立っていらっしゃる⋯⋯!)
一方アンパトの心は、バグノルドの油の染みた前掛けと、窓の外の蒸気の街に躍っていた。(歯車。蒸気。観測と実践。⋯⋯こっちだ。こっちの言葉なら、俺にも分かる気がする)
二人の希望は、きれいに割れた。それを察した参与二人の視線に再び火が入り、二回戦の気配が立ち上る――そこへ、フラマリオンが静かに割って入った。
「先入観はよくない。お二人とも、両方を見てから決められてはどうですかな」
参与たちは不服そうに口をへの字に曲げ、しかし、ほぼ同時に矛を収めた。
「⋯⋯道理ですな」
「道理ね」
学者というのは、筋の通った提案には弱いのである。
「⋯⋯わしのほうが、遥かに年下のはずなんですがな」
外見上は一番年嵩にみえる議長のぼやきは、幸い誰の耳にも届かなかった。
決着がつけば、あとは案内合戦である。二人の参与はハーメルンをそれぞれの縄張りへ引っ張り、夕暮れまでに学院区と工房区を駆け足で見せて回った。
書物の匂いと、静かな詠唱の声が満ちる、白亜の学院区。火花と蒸気と怒号が飛び交う、煤けた工房区。同じ街の中に、まるで別の国が二つある。
「明日は学院に来なさい。学びは朝、静かなうちに始めるものよ」
「あんなの半日もやれば逃げ出したくなるわ、昼飯食ったらうちにこい槌の音で目を覚まさしてやるでな!」
魔法学習の日々が、始まろうとしていた。




