勇者です(自己申告)
ダンジョンからの石段を昇りきった瞬間、音の洪水が出迎えた。
シュウシュウと蒸気の抜ける音。重たい歯車の回る音。四方から途切れなく響く、無数の打ち合わされる金属音。
そして目の前に、街の全景が広がっていた。
街全体が、巨大なすり鉢の底に沈んでいるのだ。段々になった斜面に建物がひしめき、太い配管が壁という壁を這い回り、あちこちから白い蒸気と黒っぽい煙が立ち上っている。斜面の中腹には時計塔。行き交うのは、ゴーグルを額に載せた職人たち。魔法灯の柔らかい光が、うっすら煙る街の底で、いくつもにじんでいた。
石造りと土の匂いの王都から来た身には、まるで別の世界だった。
(⋯⋯工場地帯だ。騒音も煙も、ちょっとひどいくらいの)
「すごいわ⋯⋯うるさいけど。すごい⋯⋯でも、うるさいわね」
ニリの感想は、二つの間を行き来したまま帰ってこない。
人混みの中に、背の低い、がっしりした体格の人々が交じっているのが遠目に見えた。
「ねえアンちゃん、あの人たち⋯⋯本で読んだことあるわ。たしか――」
言いかけたところで、先導の事務官に「こちらへ」と促された。
そう、先導である。関所からずっと一緒だったあの事務官二人と警備隊二人は、公国側の迎えの官吏だったのだ。誰も騒がず、誰も名を呼ばず、それでいて人混みの中の道だけが、常にすっと開いていく。
(⋯⋯やっぱりあの人たち、迎えだったのか。どうりで入国審査も素通りだと思った)
議事堂は、飾り気のない実務的な建物だった。玉座もなければ、居並ぶ廷臣の列もない。通されたのは、簡素だがやけに大きい応接の間。待っていたのは、白いものの交じった髭を几帳面に整えた老人だった。
「議長のフラマリオンと申します。ようこそアントニアディ公国へ。皆様、長旅お疲れでしょう」
その視線が、アンパトに止まる。にこり、と微笑まれた。
アンパトは一歩前に出た。脳裏をよぎるのは、王都の外門である。精霊の笛を突き出して名乗り、門兵と街中に大笑いされた、あの日。世間知らずの田舎娘とバカにされた、あの屈辱。
だが、偉いさんに名乗られて名乗り返さないわけにはいかない。意を決する。
「勇者アンパトだ!」
「お聞きいたしております。なるほど、まだかわいらしい勇者様ですね」
――否定、されなかった。笑われもしない。
(⋯⋯通った。俺の名乗りが、通ったぞ!)
E級になって格がでてきたかなと、思わず胸を張る。ふふん、と鼻も鳴らしておく。
実際のところは、王国からの先触れの書簡がとうに届いており、隣には王女殿下が立ち、身元は迎えの官吏が保証済みである。何もかもお膳立ての上の勝利であるが、本人だけが、それに気づいていない。
その隣で、ニリは静かに闘っていた。
(⋯⋯私も「大賢者(予定)です」って名乗りたい。ここ、魔法の本場なのよ? でも、勇者と大賢者(予定)が二人並んで名乗ったら――流石に、痛い⋯⋯!)
痛ファンには、痛さの分別がある。ぐっとこらえたところへ、議長の視線が向いた。
「そちらのお嬢さんは?」
「つ、付き添いのニリです」
我慢の結果が、人生でいちばん地味な自己紹介となった。
(⋯⋯いいのよ。いいの。私のほうがお姉さんだから、我慢したの。そういうことなのよ)
誰にも頼まれていない自己正当化で、ニリは自分の傷を塞いだ。
挨拶が済むと、エオスが本題に入った。タルシスとの駐在交代の件である。当のタルシスは、公国内の各地の街を視察して回っている最中で、いまはアントニアディの首都にいないらしい。
「では、細かい状況の共有はこれより会議で。⋯⋯アンパトさん、ニリ。私たちはしばらく別行動ですね」
「了解、しばらくはこの街にいるよ」
エオスとアルギレは、議長の側近に案内されて奥の会議室へ消えていった。扉の向こうで何が話されるのか、アンパトには知る由もない。
残されたハーメルンには、議長から滞在の便宜が与えられた。宿の手配。ギルドへの紹介状。そして、魔法学院と工房街の見学許可証。「魔法を学びに来ました」という二人の目的が、ここで公式のものになった。
(冒険者相手に、いくらなんでも手厚すぎない⋯⋯?)と、ニリは一瞬戸惑い、すぐに得心する。(⋯⋯そうよね。王族が二人もいらしてるんだもの。当然よね)
勘違いの帳簿は、今日もきれいに辻褄が合っている。
「ちょうどよい」と、議長が手を打った。「最高技術参与を二人、この部屋に呼んであります。学びの相談をされるとよいでしょう」
「二人?」
首をかしげるハーメルンに、議長は、疲れたような苦笑いを浮かべた。
「最初から同席させると、話し合いにならんのですよ。⋯⋯途中参加なのは、許してやってください」
その言葉の意味を問い返すより早く――廊下の向こうから、言い争う二つの声が近づいてきた。
「――生意気になりよって、貴様らの油臭い理屈を語るなと言うておる!」
「――実証もせんで屁理屈ばかり、実際これで動くんだから文句つけるんでないわ!」
魔法の本場の「学び」は、扉が開く前から、すでに騒がしかった。




