オークの群れと折れた棒
「なあニリ、俺たちってそこそこ強いんじゃないか?」
ゴブリン討伐の依頼書を懐に、ハーメルンの二人は王都郊外の森を歩いていた。スライム退治からこっち、連携の呼吸が噛み合ってきている。前衛アンパト、後衛ニリ。役割もすっかり板についた。
「そうね。この調子ならE級も遠くないかも」
「だろ? いまさらゴブリンの一匹や二匹――」
言い終わる前に、森の奥から悲鳴が上がった。
転がるように駆けてくる人影。デビュー初日の草原で「離れろ」と追い払われた、あの男の子ルーキー2人組だ。またゴブリン相手にやらかしたのか、と呆れかけて――アンパトの目が、二人の足に留まる。
赤い。
ゴブリンの青い血に慣れた目に、人間の血の赤が、やけに生々しく映った。二人とも足をやられて、走り方がおかしい。
それだけじゃない。ルーキーたちの後ろから、当のゴブリンの群れまでもが、彼らを追い越して逃げていく。こちらを見向きもしない。ゴブリンが何かから――、逃げている?
「ゴブリンじゃない! オークだ!!」
ルーキーの叫びと同時に、木々をへし折りながらそれは現れた。
大人の倍はある体躯が、二体。片方は無骨な棍棒、もう片方は体格に見合わない小さな手斧。脂でてかるぬめり肌に、丸太のような腕。ゴブリンとは迫力がまるで違う。
(足をやられた二人を連れては逃げ切れない!)
「二人とも、立てるか! 悪いが数に入ってもらうぞ!」
四人での応戦。選択肢は、それしかなかった。
棍棒持ちが突っ込んでくる。アンパトはスライム戦で覚えた急所打ちを胸に見舞った。手応え――浅い。分厚い脂肪に木の棒がめり込んだだけで、手応えがない。ニリも吹き矢と投石をするが、太い皮膚に弾かれて牽制にすらならない。
ルーキーたちの剣は、踏み込みが利かず足止めが精一杯だ。
じりじりと、四人が後退させられていく。
(縛りとか言ってる場合か!)
アンパトは腰から精霊の笛を抜いた。右手に笛、左手に木の棒。二本両手持ち。精霊の笛なら、非力でもオークの骨を砕ける。
棒で棍棒をいなし、開いた脇に笛を叩き込む。骨の砕ける鈍い音。素早さだけを頼りに、舞うように連撃を重ねていく。やがてオークの右腕がだらりと垂れ、棍棒が地に落ちた。
(もらった!)
覚悟を決めて間合いに飛び込み、渾身の一撃を頭蓋へ。確かな手応え。確殺――のはずだった。
頭を割られたオークが、折れているはずの腕を振り回して反撃してきた。
「うそだろ!?」
かわしきれない。木の棒と笛をクロスさせて受けた瞬間、みしり、と嫌な音がして、木の棒があっけなくへし折れた。衝撃に体が浮き、吹き飛ばされる。空中で身をひねり、どうにか両足で着地した。
(王様にもらった木の棒が!! ⋯⋯いや、それより、頭を割られて即死しないってなんだよ!)
どう、と棍棒持ちがようやく倒れる。斧持ちの方だったら、今の一撃で自分は致命傷を負っていたかもしれない。背筋を冷や汗が伝った。
残った斧持ちの動きは、妙に緩かった。じわじわと圧をかけて押してくるだけで、仕留めに来ない。その隙に距離を取り、アンパトは折れた棒を投げ捨てて、オリハルコンの短剣を笛の先端の音孔に噛ませた。袖の紐を抜いて巻いて、縛る。即席の、短槍。
(打撃がだめなら、点で刺す。魔石のある深さまで、まっすぐにだ)
ルーキーの剣が、力任せの斧に弾き飛ばされる。
ニリの吹き矢はオークの目から視界を奪っていた。しかし、それでも止まらない。目を潰されたまま、ただ音のする方へ猛然と突進してくる巨体の胸へ――アンパトは全体重を乗せて槍を突き込んだ。
精霊の笛は衝撃のすべてを切っ先に伝えた。骨を抜けて、とても深いところまで刺さった感覚。
オークは横を猛スピードで駆け抜け、しばらく暴れたあと、つんのめるようにしてようやく倒れ込んだ。
「⋯⋯やった、か?」
荒い息のまま、へたり込みそうになる。引き戻した槍を見て、アンパトは固まった。穂先がない。短剣は、オークの肉の中のようだ。
(チート武器つかって、このざまか)
――そのとき。
森の奥から、先に逃げたゴブリンたちの、つぶれたような悲鳴が上がった。前からも、横からも、複数の重い足音。
「⋯⋯オークの狩りだわ」
ニリが青ざめて呟いた。
「オークは獲物を仲間の待つ場所へ追い込むの。さっきの二体、仕留める気がなかったのよ。私たち――追い込まれてた」
血の気が引いた。けが人が二人。穂先を失くした槍が一本。怪我のない二人なら、あるいは逃げ切れるかもしれない。だが、こいつらを置いて? 勇者が?
(⋯⋯俺は勇者なんかじゃない、ただの――)
よぎった弱音を、飲み込んだ。
アンパトは倒れたオークに歩み寄るとなんとかひっくり返し、素手を肉の裂け目に突っ込んで短剣を取り返した。青い血は、まだあたたかかった。無言で、槍に縛り直す。
「囲まれてるなら、薄いところを破るだけだ」
笑ってみせた。誰より自分に向けて。
――剣戟の音。
包囲の一角で、オークが立て続けに沈む音がした。木々の向こう、フードの女剣士が舞うように二体を両断し、その背後から放たれたエルフの矢が、さらに奥のオークを正確に射抜いていく。瞬殺。それ以外の言葉が浮かばない。
「怪我人は早く街へ」
女剣士は短くそれだけ叫ぶと、二人は残敵を追って森の奥へ消えた。
ニリは、動けずにいた。遠目に戦うフードの端からこぼれた、炎のような銀の髪。
前衛で身構えていたアンパトからは、見えていない。
「⋯⋯誰だったんだ、今の?」
ニリは答えなかった。かわりにルーキーたちが、興奮気味に教えてくれる。王都のギルドで最近噂の、謎の新進気鋭B級パーティ――『明けの青星』。
「た、助かった⋯⋯助かったんだ⋯⋯!」
ルーキーたちがその場に泣き崩れた。そして涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、アンパトとニリに何度も頭を下げた。あの草原で手を払った二人が、である。
帰り道、応急手当てをしながら、二人の話を聞いた。西の村は、オークの群れに畑を潰されて捨てられたこと。世話になった先輩冒険者が腕をやられて、剣を握れなくなったこと。
魔物は、物語の敵なんかじゃない。この世界の暮らしを、現に削り取っている災害なのだ。アンパトは、それを初めて肌で理解した。
☆☆☆
夜。宿屋クレイドルの食堂。めずらしく黙り込んでいるアンパトの向かいで、ニリがぽつりと語り出した。
「オークってね、昔は無害な、ただの動物だったんですって」
まだ神聖魔法が未発達だった時代、人は自分の内臓の肩代わりをあの動物にさせた。オークはその報い――人の原罪のなれのはてなのだと、伝承では言うらしい。
(内臓の、肩代わり??)
頭を割られても動いたあの体。あの異様な脂肪の厚さ。豚のようでいて、蹄をもたない人に似た体格。何かが繋がりかけて、しかし考えはまとまらないまま、ほどけていく。
「⋯⋯勇者目指すんでしょ。ようやく魔王でも、倒す気になったの?」
ニリの問いに、アンパトは首を振った。
「そうじゃなくてさ。⋯⋯この世界に何があったのか。俺は、それが知りたいんだ」
一瞬、真面目な沈黙が落ちた。
ニリは静かに頷いた。(⋯⋯第二王子殿下にも、背負ってるものがあるのね)。
「よくわからないけど。まずは、その折れかけの槍をなんとかしないとね。ギルドに武具に詳しい人がいるか、明日聞いてみましょ」
「⋯⋯だな。ついでにいい感じの木の棒もさがさないと。あれ、王様にもらったやつなんだけど」
「え、何それ。なんで王様がただの木の棒を⋯⋯」
「こっちのナイフはオリハルコン製らしいけどな、王様もケチだよな」
「オ、オリハルコン!!?」
しまった、口が滑った。ごまかすアンパトと、そうよね、親子だからいい感じの木の棒ぐらい男の子だからやりとりするわよね、でも、国宝の精霊の笛だけでなくオリハルコンのナイフまで。さすが王族と、勘違いの深度をまた一段深めるニリ。
ハーメルン結成以来いちばん長い一日が、ようやく暮れていった。




