F級スタートでいいです
宿屋『孵卵器』は、冒険者ギルドの目と鼻の先にあった。
駆け出しの冒険者が寝泊まりする安宿だが、代々続く老舗らしい。歴代の有名冒険者も多く輩出しているため、ベテラン勢からの庇護も厚いという。
看板には意味ありげな卵型の意匠。扉を押すと、煮込み料理の美味しそうなにおいが香ってきた。
「いらっしゃい」
食堂側のフロアからひょいと顔を出したのは、恰幅のいい女将だった。年は四十をいくつか過ぎたくらいか。腕まくりしたまま、まな板を手に立っている。
「空き部屋ある? 見学したい」
泊まる前に、まずは中を検分させてもらう。
「女の子ひとりならね、小さな部屋だけど、そこがあいてるわ。ドミトリーは男所帯だから、あんたみたいな子はこっちの方が安心だよ」
女将さんに案内されたのは、確かに狭いが清潔な個室だった。
リネン類も綺麗で、どこかあたたかい雰囲気がある。
城の豪華な部屋とは比べようもないが、メイド達がノックもなしに入ってくることは絶対にない。それだけで十分だった。
ベッド&ブレックファスト形式で一泊銀貨一枚。
先払いで金貨一枚を出すと、十一日分泊まれという。金貨は銀貨十枚分のはずだが、長期滞在の割引らしい。一泊分お得になる計算だ。迷わず金貨を1枚差し出す。
「荷物は部屋に置きっぱなしでもいいけど、貴重品は番頭に預けてね」
手ぶらの両手を見せる。羊毛も今は手元にない。
「着替えも持ってないのかい? 家出少女だってもう少し荷物持ってるわよ」
女将さんは呆れた顔をしたが、気にせず宿を出た。
夜には戻ることを伝え、その足で冒険者ギルドへと向かう。
冒険者ギルドの扉は大きかった。
重い木の扉を押すと、広い吹き抜けの空間があった。中央には大きな掲示板。壁には依頼の張り紙がびっしり。テーブルにはパラパラと、どこか時間を持て余した冒険者らしき人たちが座っている。
お昼にはまだ少し早い時間帯。早朝の依頼争奪戦が終わった後の、静かな空気だ。
「おねーさん、新規登録したいんだけど!」
カウンターに向かって声を張る。
「お、イキのいいルーキーが来たね!」
書類をさっさと取り出しながら、ニヤリと笑った。
「はい、これが登録書類。名前が書けないなら代筆するけど?」
サバサバした受付の女性が、紙の書類を差し出してきた。
やばい、何が書いてあるかわからないし、書けそうもない。
「書けない。名前はアンパト」
「はいよ、書いておくよ。新人はF級スタートだ。この木札が街の外に出る時に必要になるから、なくすんじゃないよ」
渡されたのは、粗末な紐のついたドッグタグのような木札だった。
名前ではなく、何やら記号と数字が刻まれている。
「木札なんだね?」
「ルーキーは木札さ。ゴブリンを安定して倒せるようになって、E級になれば金属札になそ」
「じゃあ、わたしはゴブリン倒せるからE級だな」
「ははは! ルーキーはみんなそう言う」
笑いながらも、目はちゃんとアンパトを見ていた。
「金属札には魔力登録が必要なんだよ。胎内に魔石ができるまで魔物を倒し続けなきゃいけない。お嬢ちゃん、さっきから感知魔法かけてるけど、気が付いてないだろ? お嬢ちゃんはまだF級だ」
「むう。ちなみに、その上にはどうやったらなれるの?」
「E級になったら教えてあげるよ。ランクが一つ違うのは腕1本分のハンデがあって互角と言われるくらいの実力差があるんだ。焦るんじゃないよ」
「⋯⋯これは参考までに教えてほしいんだけど、魔法なしで片手で完璧に制圧されるのって、どれくらいのランク差?」
エオスの顔を思い浮かべて聞いてみる。
受付のお姉さんがちょっと目を丸くした。
「そりゃ、魔法なしなら4ランクは違うね。最低でもF級とB級くらいの違いだよ」
「じゃあ、相手がE級だとしたら、相手はA級以上ってこと?」
「まあ、そうなるね。でも、この国にA級もそうそう居ないよ。あの騎士団長ですらA級なんだから。もっとも、実力的にはS級相当だけど、先王に並ぶわけにはいかないと固辞してるって噂だけどさ」
「王族っていうのは強いのか?」
「そりゃあね。そもそもS級は勇者基準だ。その血を受け継ぐ方々は軒並み強い。王子様なんて、まだ二十歳そこらなのにそろそろA級って噂が出てるよ」
「⋯⋯やっぱり、F級スタートでいいです」
受付のお姉さんが、ぷっと吹き出した。
「おや、急に殊勝になったじゃないか。まあ、地道にやるのが一番だよ」
お姉さんが掲示板の方を指差す。
「今の時間なら、他のルーキーたちは南の森で薬草採取をしてるはずだよ。ついでにウサギの一匹でも狩ってこれたら褒めてやる。さあ、行っときな! 怪我はするんじゃないよ!」
木札を首にかけ、掲示板をひとつ見上げた。
薬草採取 難易度:F級 報酬:薬草1株につき銅貨1枚
きっとそんな内容のことが書かれている。
勇者アンパト。文字はまだ読めない。アンパトはギルドを立ち去った。




