姫より怖いものが城にはいる
天蓋付きのベッドの枕に、アンパトは深く顔をうずめていた。
しばらく忘れていたふかふかな寝心地。本来なら舞い上がるはずが、今のアンパトの心は、どん底まで沈みきっている。
王子には手も足も出なかった。
それだけでも十分な屈辱だったが、王女にまで片手でひねり上げられた。
ゴブリン達を倒して舞い上がりがなかったとは言わない。だが、姫様然とした娘に、赤子のように扱われたことで、粉々に砕け散ったのだ。
だが、それだけであれば、まだ「次こそは」と再起の火を灯せたかもしれない。
勇者の心を完全に折ったのは、その後の『おもてなし』だった。
長旅の汚れを落としたいという、ささやかな希望。
飲水さえ貴重なひと月にもわたる長い旅路に、湯浴みなどする余裕はなかった。
王家仕様の広大な浴室と大きな湯船に浸かり、ようやく人心地ついたその瞬間。
「失礼いたします」
声と同時に、メイド達がなだれ込んできた。
どんなに暴れようとも、どこへ逃げようとも。
彼女たちはすべてを予見しているかのように、アンパトの動きを軽く封じた。
どんなに暴れても、暴れることすら許さず、逃げようとしてもすべてが読まれたように立ち上がることすらままならず、隅から隅まで―― 本当に隅から隅まで徹底的に磨き上げられた。
無力感が、涙となって枕に吸い込まれた。
「もう部屋から出たくない⋯⋯」
夜があけても、アンパトは部屋から出たくないとわがままを言い、朝食は部屋でもらった。
食器を片付けるメイド達が退室して、ようやく一人きりになれた安堵も、つかの間。
扉に響く乾いたノックの音に、アンパトはビクリと肩を跳ねさせた。
(メイド達なら、返事も待たずに入ってくるはず)
訝しみながら身構えていると、扉越しに涼やかな声が届いた。
「エオスです。勇者様、もしよろしければお城を少しお散歩でもいたしませんか?」
王女の声。
「失礼いたします」
アンパトが返事するより先に、メイド達が一陣、側付きの控室から部屋へ滑り込んでくる。
「ま、待て――」
音もなく、いや、軍隊のような統制された足並みに一切の無駄はない。
「ひ、ひぃっ!」
悲鳴は虚しく空を突く。
アンパトのパジャマは瞬く間に剥ぎ取られ、さらなる声を上げることもできない。あれよという間に高価な生地に包まれていく。流れるような動作で背中の紐が結ばれ、スカートの裾が整えられた。
その手際の良さと、逃げ場のなさに、アンパトに抵抗する余地などない。
「お散歩のご用意が整いました、勇者様」
メイドたちが一斉に深く頭を下げる。
部屋の扉が恭しく開かれた。
そこには、昨日の埃まみれの勇者ではなく、どこからどう見ても『お姫様』そのものの格好をさせられたアンパトが立っていた。
「あら」
扉の前で待ち構えていたエオスが、驚きに目を見開いた。
彼女の視線は、アンパトの後ろに控えるメイドたちの顔ぶれに向けられる。
「オールスターですね。ばあやまで⋯⋯。ここまで揃うのは珍しい」
メイド長、通称『ばあや』に、エオスが親しげに挨拶をする。
そのばあやが、わずかに会釈をしただけで、アンパトは「ビクッ」と過剰に反応してメイド達から一歩距離をとった。
「わたしが子供の頃は、散々やんちゃをしてもここまで勢揃いすることはありませんでした。さすがは勇者様ですね」
エオスは可笑しそうにクスリと笑った。
「現在、勇者様お付きのエルフの皆様は、お父様やお兄様とお忙しい会議をされていまして。わたしたちが城内でお相手をしろと言い付かっているのです」
アンパトはメイドたちの包囲網から逃げ出すように、エオスの隣へと駆け寄った。
今の勇者にとっては自分を片手で投げ飛ばした王女よりも、メイドたちの方が、よほど恐るべき存在だった。




