第7話 叔父上、それは家督狙いですね
「……王宮では随分と目立っているそうだな、リオン。だが、私にはどうも腑に落ちない。お前のような若造に、家を背負う覚悟などあるのか?」
ローゼンフェルト伯爵邸、当主の執務室。
不気味な笑みを浮かべながらソファに腰を下ろしたベルナール叔父様は、値踏みするようなねっとりとした視線を私に向けてきた。
「べ、ベルナール! 我が家の跡取りであるリオンに向かって、なんという無礼な口を利くのだ!」
お父様が慌てて声を荒らげるが、叔父様は鼻で笑って肩をすくめた。
「無礼? これは正当な心配ですよ、兄上。先日、リオンの姿が急に見えなくなったという噂を耳にしましてね。もしや、出仕の重圧に耐えかねて逃げ出したのではないかと、分家の当主として肝を冷やしたものです」
ビクッ、とお父様の肩が跳ねた。
図星である。本当に兄上が逃げ出した(正確には姿を消した)のだから、お父様が動揺するのは無理もない。
しかし、ここで当主が狼狽えてどうするのか。
「……だが、こうして見事に出仕を果たし、しかも王太子殿下の側近見習いに抜擢されたというではないか。噂とは当てにならないものだ」
叔父様はそう言いながらも、目は全く笑っていなかった。
明らかに疑っている。目の前にいる『リオン』が、本当にあの少し頼りない甥っ子本人なのかを。
「ええ、お陰様で。王宮での務めは日々、学びの連続でございます」
私は極めて冷静に、そして完璧な貴公子の微笑みを浮かべて応えた。
前世で幾度となく経験した、嫌味なスポンサーや意地悪な評論家をあしらうための『営業用スマイル・最上級』である。
「ほう……。ずいぶんと口が回るようになった。だが、いくら王宮で取り入るのが上手くとも、領地の経営や家の差配は別物だ。兄上も最近はお疲れのようだし、いかがだろうか。私がしばらく、ローゼンフェルト本家の財産管理と実務を手伝って差し上げるというのは」
出た。本命はそれだ。
昔から本家の家督を虎視眈々と狙っていたこの叔父は、兄の失踪という我が家の隙を嗅ぎつけ、管理権を名目に家を乗っ取るつもりなのだ。
「ふ、ふざけるな! 我が家の実務はお前などの手を借りずとも回っている!」
「強がりはおやめなさい。現に、資金繰りには苦労していると聞きますよ。……ああ、そうだ。無駄な出費といえば」
叔父様は、わざとらしく手を打った。
そして、獲物を見つけた蛇のような、酷薄な笑みを浮かべた。
「あの娘……リリアーナの白薔薇舞踏会の準備。あれは即刻、取りやめるべきですな」
――ピキッ。
私のこめかみで、何かが小さく弾ける音がした。
「ベルナール! あれはリリアーナの正式な社交界デビューだぞ! 取りやめるなど……」
「たかが娘一人の飾り事に、莫大な予算をつぎ込む余裕が今の我が家にあるのですか? そもそも、女のお前に舞踏会など不要だ」
叔父様の言葉は、その場にいない『リリアーナ』――つまり、目の前にいる私自身に向けられた刃だった。
「女は、家のために役に立つならそれで十分だろう。適当な田舎貴族にでも後妻として嫁がせれば、結納金も入る。あの白薔薇のレースだか何だか知らないが、母親の形見を後生大事に抱えて浮かれているような娘には、お似合いの末路だ」
執務室の空気が、凍りついた。
お父様はあまりの暴言に怒りで言葉を失い、壁際に控えていた侍女のミレーヌでさえ、持っていたトレイを握りしめて殺気を放っている。
そして私は。
私は、静かに目を伏せた。
『リリアーナ。見てごらん、この白薔薇のレース。お母様が昔、デビューの時に着たものなのよ』
『わあ……! とっても綺麗!』
『あなたにあげるわ。これを仕立て直して、一番素敵なドレスを作りましょうね。……この夜だけは、お前が主役よ』
幼い頃の記憶。
優しかったお母様と一緒にドレスの生地を選び、胸を躍らせたあの日々。
前世で、女性ばかりの劇団で男役として生き、常に『理想の王子様』を演じることを求められてきた私。
スポットライトの下で歓声を浴びながらも、心の奥底でずっと夢見ていた。
いつか、私も、あんな可憐なドレスを着てみたい。
誰かにエスコートされ、手を取られて、ただの『女の子』として愛されてみたい。
今世でようやく手が届きそうだったその夢の結晶が、白薔薇舞踏会なのだ。
それを。
私の、一番大切な宝物を。
家のために役に立てばいい? ただの飾り事?
「……叔父上」
私は、静かに顔を上げた。
声のトーンは限りなく低く、甘さを一切排除した、氷のように冷たい声帯の震え。
叔父様が、ビクッと肩を揺らした。
「妹の舞踏会については、心配には及びません。我がローゼンフェルト家は、令嬢一人のドレスも用意できないほど逼迫してはおりませんゆえ」
「な、何を強がっている。現実を見ろ、若造が……!」
「現実を見ているのは私です」
私はソファから立ち上がり、叔父様を見下ろした。
背筋を伸ばし、圧倒的な威圧感を持って相手の視線を縛り付ける立ち方。
前世で、敵役を震え上がらせた『冷酷な支配者』の演技メソッドが、怒りとともに完全に発動していた。
「妹のリリアーナは、ローゼンフェルトの誇りです。彼女の晴れ舞台を『無駄な出費』と切り捨てるような方に、我が家の財産管理はお任せできません。……お引き取りを」
菫色の瞳で射抜くように睨みつけると、叔父様は顔を引きつらせ、ソファから逃げるように立ち上がった。
「こ、後悔するぞ……! 明日、私も王宮へ出向く用事がある! お前が本当に王太子殿下の側近にふさわしい器かどうか、この目でじっくりと確かめてやるからな! ボロを出せば、ただでは済まさん!」
負け惜しみのようにそう叫び、叔父様は足早に執務室を出て行った。
バタン! と乱暴に扉が閉まる音が響く。
「……リオン、いやリリアーナ。すまない……。私が不甲斐ないばかりに、あんな口出しをさせてしまって……」
お父様が、頭を抱えてソファーに沈み込んだ。
私は小さく息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「お気になさらず、お父様。ただの犬の遠吠えです」
口ではそう言いながらも、私の腹の中では真っ黒な炎が燃え盛っていた。
これまで叔父は、ただの嫌味な親戚に過ぎなかった。
しかし、たった今、明確な『敵』に昇格した。
私の夢を、お母様との思い出を、あんな風に泥足で踏みにじった罪は重い。
(明日、王宮に偵察に来るって言ったわね……)
王宮でボロを出せば、叔父は間違いなくそこを突いて、私を偽物として引きずり下ろすだろう。
それだけは絶対に避けなければならない。
「ミレーヌ。明日の朝は、一番強い香りの紅茶を用意してちょうだい」
「かしこまりました。……お嬢様、よろしいのですか? あのように挑発されては、明日、王宮で何を仕掛けられるか」
「ええ、構わないわ」
私は鏡に映る自分――完璧な『リオン』の顔を見て、極上の、そして最高に底意地の悪い笑みを浮かべた。
「売られた喧嘩は、最高の笑顔で買ってあげる。……明日、王宮のど真ん中で、あの叔父を完全に黙らせてやるわ」
壁のシミとして平穏無事に過ごすという計画は、もうやめだ。
私の白薔薇舞踏会を守るためなら、この身に染み付いた『王子様スキル』、いくらでも悪用してやる。




