第37話 ドレスのままで舞台を支配いたします
「キャアアアアアアアッ!!」
大広間の華やかな空気を引き裂き、引きつった悲鳴が木霊した。
ワルツの曲がまさに最高潮を迎えようとした、その瞬間。
壁際に控えていた給仕や、柱の陰に潜んでいた仮面の男たちが、一斉に懐から鈍く光る短剣を抜き放ったのだ。
その鋭い刃の先が狙うのは、広場の中央で踊る、王太子アレクシス殿下と――この私。
「殿下、暴漢ですわ!」
「ああ、やはり仕掛けてきたか」
正面から突き進んでくる暗殺者は三人。左右から回り込もうとする者がそれぞれ二人。
周囲の貴族たちはパニックに陥り、我先にと出口へ向かって逃げ惑っている。
常識的に考えれば、武器も持たない、動きにくいドレス姿の令嬢など、真っ先に足をすくわれて命を落とす絶望的な状況だ。
お父様が青ざめた顔でこちらへ駆けつけようとするのが見える。
(けれど、残念だったわね。私をただの『か弱いお姫様』だと思ったら大間違いよ!)
私の中で、かつて何百回と舞台のピンチをアドリブで切り抜けてきた、男役トップスターの冷徹な魂が完全に覚醒した。
私は、殿下と繋いだままの右手に、ギュッと力を込めた。
「殿下、私のリードに合わせてステップを!」
「何……? リリアーナ!?」
驚く殿下の身体を、私は強引に引き寄せた。
そして、左手を優雅に一閃させる。
(――幻灯魔法、起動!)
私の中から溢れ出た魔力が、大広間のシャンデリアの光と瞬時に同調する。
操るのは、光の屈折。そして、影の配置。
突進してきた先頭の暗殺者が、不敵な笑みを浮かべて短剣を突き出してきた。
その刃は、確実に私の胸元へと向かっている――はずだった。
スカッ!!
「なっ……何ぃ!?」
男の突き出した刃は、何もない空間を虚しく切り裂いた。
男の目には、確かにそこに私がいるように見えていたはずだ。しかし、私の幻灯魔法によって周囲の光が歪められ、彼が見ていたのは、私の一歩手前に投影された『残像』に過ぎなかった。
「こちらですわよ、不作法な紳士」
私は、本当の位置からふわりと真珠色のドレスの裾を翻した。
男の横をすれ違いざまに、コルセットで鍛え上げられた体幹をフルに活かし、ドレスの重みを利用した鋭いターンを決める。
そして、すれ違いざまに、手にした銀色の扇の骨で、男の手首の急所を容赦なく打ち据えた。
「ぎゃっ!?」
短剣が手からこぼれ落ち、大理石の床にカチャンと高い音を立てて転がる。
その隙を、アレクシス殿下が見逃すはずがなかった。
「見事だ、リリアーナ!」
殿下は、純白の夜会服の懐から、いつの間にか護身用の細身の短剣を抜き放っていた。
私のステップに完璧に呼吸を合わせ、無駄のない鋭い一撃で、武器を失った男の喉元に刃を突きつける。
男はその圧倒的な覇気に気圧され、その場に膝を突いた。
「次だ!」
左右から同時に躍りかかってくる、四人の暗殺者。
彼らは地上の乱入に合わせて、一気に勝負を決める気だろう。
「殿下、次は大きくバックステップを! いち、に、さん、ですわ!」
私は、殿下の左手を引き、まるで激しいロンドを踊るかのように、大広間の床を滑るように交代した。
それと同時に、再び幻灯魔法を最大出力で展開する。
今度は、光の遮断。
襲いかかってきた四人の男たちの視界が、一瞬にして完全な『漆黒の闇』に包まれた。
「うわっ!? 何も見えん!」
「どこへ行った、王太子はどこだ!」
視界を奪われ、完全にパニックに陥った男たちは、お互いの位置すら分からなくなり、勢い余って仲間同士で正面衝突した。
ゴツンッ!! ドタンッ!!
「あらあら、お互いによく前を見て歩かないと、危険ですわよ?」
私は、彼らの目の前で、扇で口元を隠しながら優雅に首を傾げてみせた。
男たちは床に倒れ込み、頭を抱えて悶絶している。
そこへ、大広間の天幕の後ろや、出入り口から、漆黒の甲冑に身を包んだ第一騎士団の精鋭たちが一斉に突入してきた。
「そこまでだ、動くな!」
「主君に刃を向ける不届き者どもめ、捕らえよ!」
クラウス副団長の高らかな声が響き渡る。
騎士たちは、視界を失って狼狽える暗殺者たちを、次々と床に押し伏せ、瞬く間に拘束していった。
大広間に、再び静寂が戻る。
襲撃が始まってから、わずか数十秒。
誰もが血みどろの惨劇を予想したその空間で、流された血は一滴もなかった。
傷ついた無関係な貴族も、一人もいない。
ただ、真珠色のドレスを着た美しい令嬢が、王太子殿下と手を取り合い、まるでそれすらも計算された劇中劇であるかのように、優雅に敵を自滅させたのだ。
「……は、はは」
近くで見ていた高位の貴族の一人が、呆然とした声を漏らした。
そして。
パチパチパチパチパチ……!
それは、最初は小さな拍手だった。
しかし、瞬く間に広間全体へと広がり、天井を揺るがすほどの地鳴りのような大喝采へと変わっていった。
「素晴らしい……! なんて見事な魔法の扱いだ!」
「ローゼンフェルト伯爵令嬢は、ただ美しいだけでなく、我が国の女神のようなお方だ!」
貴族たちの、恐怖を超えた熱狂的な賞賛の声。
お父様も、信じられないものを見るような目で私を見つめ、それから誇らしげに胸を張った。
(ふふん。見たかしら。これが前世で修羅場を潜り抜けてきた、私の最高の立ち回りよ!)
私は内心でガッツポーズを決めながら、淑女としての完璧な微笑みを周囲に振りまいた。
「……リリアーナ。君という女性は、本当に私の想像を遥かに超えていくな」
細剣を収めたアレクシス殿下が、私の前に立ち、その青灰色の瞳を酷く熱く揺らめかせて私を見つめてきた。
その視線には、もう隠しきれないほどの深い愛着と、独占欲がこれでもかと込められている。
「君のあの、敵の動きを見切る体幹。そして、あの美しい視線の流し方。……やはり、君を誰の目にも触れさせたくないという私の独占欲は、間違っていなかったようだ」
「殿下、このような大勢の前で、あまり不適切な言葉はお控えくださいませ」
私は、ぽっと頬を染めながら、扇で顔を隠した。
ともあれ、地上の危機は去った。
あとは、地下の突入部隊が宰相派の拠点を制圧すれば、この長い三か月の身代わり生活も、私の勝利で幕を閉じる。
――だが。
その甘い安堵を、引き裂くような音が響いた。
バァァァンッ!!
大広間の重厚な扉が、乱暴に押し開けられた。
駆け込んできたのは、地下の制圧作戦に向かっていたはずの、第一騎士団の若き伝令兵だった。
彼の甲冑は泥と埃にまみれ、その顔は、血の気が完全に引いて真っ白になっていた。
「で、殿下っ……! アレクシス殿下、大変でございます!」
伝令兵は、大広間の中央にいる殿下の前まで滑り込むようにしてひざまずき、声を裏返らせて叫んだ。
「地下の旧劇場跡、拠点の制圧は完了いたしました! ……しかし、宰相が、奴らが地下の最奥に隠していた古代遺物の動力を……暴走させて逃亡いたしました!」
「何だと……!?」
殿下の表情が、一瞬にして凍りついた。
「遺物の魔力が異常な速度で膨張を続けております! このままだと、あと一刻(約二時間)も経たぬうちに魔力が限界を迎え、王宮そのものが――地下から跡形もなく、木っ端微塵に崩壊いたします!!」
大広間が、再び最悪の絶望の悲鳴に包まれた。
兄のリオンが追っていた闇の核心。
それは、追い詰められた悪党が仕掛けた、王宮ごと全てを道連れにする最悪の爆弾だった。
私の、せっかく叶った一番輝くお姫様としての舞台。
それが、今度は王宮崩壊という特大の物理的危機によって、再び最悪の幕引きを迎えようとしていた。
私は、真珠色のドレスをギュッと握りしめながら、迫り来る最悪の運命に向けて、冷や汗を流しながら再び戦意の炎を燃え上がらせるのだった。




