第34話 決戦の舞台は整いました
『君の最初の一曲も、君の未来も……誰にも奪わせはしない。私が、必ず君の手を取る』
アレクシス殿下からの、甘く、そして何よりも力強い宣誓を受けた日から。
私の中で、何かが劇的に変わっていた。
これまで、私はどこかで「本当はこんなことやりたくないのに」と、不満を抱えながら『リオン』を演じていた。
けれど、誰よりも私の本質を理解し、私の「お姫様になりたい」という我が儘な願いを真っ向から受け止めてくれた殿下がいる。
その事実が、私に途方もない勇気と余裕を与えてくれていたのだ。
「ローゼンフェルト。昨日の会議の議事録だが、完璧だ。宰相派の息がかかった予算案の矛盾点も、見事に洗い出されている」
「恐れ入ります、殿下。彼らの手口は巧妙ですが、数字は嘘をつきませんから」
王宮の執務室。
私は、殿下に向かって余裕のある微笑みを向けていた。
もはや、正体がバレることに怯える必要はない。私は『側近リオン』という役を、ただの義務ではなく、殿下と共に戦うための「自分の武器」として使いこなせるようになっていた。
しかし、平穏な時間は長くは続かない。
数日後に迫った白薔薇舞踏会。
私の人生最大の夢の舞台に向けて、暗雲が明確な形を持って迫ってきていた。
◇◇◇
「……すまない、リリアーナ。私の不徳の致すところだ」
ローゼンフェルト伯爵邸の執務室で、お父様は深く頭を下げた。
私の目の前のデスクには、分家の当主である叔父ベルナールから届いた、仰々しい手紙が置かれている。
そこには、舞踏会の当日に、叔父の紹介する『有力な貴族』をエスコート役として手配した旨が、一方的に記されていた。
「相手は、地方で鉱山を当てて成り上がったゴメス男爵だ。金に汚く、好色で、これまでに何度か怪しげな噂も立っている男だ。……ベルナールは、お前の持参金と本家の後ろ盾を餌に、その男から巨額の融資を引き出そうとしているらしい」
「……絵に描いたような悪役ですね」
私は、感情のない冷ややかな声で呟いた。
「舞踏会の場という、大勢の貴族の目がある公の場で顔を合わせれば、無下には断れない。ベルナールはそこを突いて、強引に婚約を承諾させる気だろう。……リリアーナ、お前のデビューの日に、こんな屈辱を味わわせることになって、本当にすまない……!」
お父様が、悔しそうに拳を握りしめる。
本家の当主とはいえ、一族のしがらみや貴族社会の面子がある以上、叔父の暴走を強権で止めるのは難しいのだ。
「お父様、頭を上げてください」
私は、クスリと優しく微笑んでみせた。
「ご心配には及びませんわ。叔父上は、私をただの世間知らずでか弱い令嬢だと思っているのでしょう。……けれど、残念ながら、私はこの三か月間、王宮で魑魅魍魎を相手に立ち回ってきた『リオン』でもあるのです」
「リリアーナ……?」
「相手の鼻を明かす最高のシナリオは、既に頭の中に組み上がっております。叔父上にも、そのゴメス男爵とやらにも、私の舞台に泥を塗ったことを、骨の髄まで後悔させてさしあげますわ」
私の瞳に宿った、冷たく燃えるような闘志。
それは、前世で幾度となく舞台のピンチをアドリブで乗り越えてきた、トップスターとしての確固たる自信だった。
お父様は、私のあまりの迫力に、ただただポカンと口を開けて頷くことしかできなかった。
◇◇◇
そして、王宮でもう一つの決戦の準備が進んでいた。
「――やはり、舞踏会の夜が山場だな」
深夜の王太子私室。
大きな机の上に広げられた王宮の地下図面を前に、アレクシス殿下が鋭い声で告げた。
そこには、私が令嬢姿で潜入して突き止めた『光の部屋』の場所と、見張りの配置が書き込まれている。
「はい。白薔薇舞踏会の夜、王宮の警備は地上の大広間と要人たちの護衛に集中します。地下の旧施設に回す人員は手薄になるはずです」
私は、地図を指差しながら説明を続けた。
「国境で私兵の育成を行っている宰相派にとって、その資金を洗浄するための時間は限られています。地上の警備が手薄になる舞踏会の夜こそ、彼らが地下で大規模な取引を行う絶好の機会です」
「同感だ。……リオン、君の兄から国境の証拠は届いているか?」
「ええ。我が家の密偵を経由して、決定的な帳簿の写しが昨日届きました。これで、地下の現場さえ押さえれば、宰相府の主要メンバーを一網打尽にできます」
殿下は深く頷き、私の顔を見つめた。
「作戦の指揮は私が執り、第一騎士団の精鋭を率いて地下へ突入する。……君は、舞踏会の大広間で『リリアーナ嬢』として、叔父の相手をしつつ、宰相派の貴族たちが不審な動きをしないよう監視していてくれ」
「承知いたしました。……殿下も、どうかお気をつけて。相手は王室転覆を狙う武装集団です」
「案ずるな。私はこれでも、騎士団長を打ち負かす程度の腕はある」
殿下は不敵に笑うと、私の髪を優しく撫でた。
「地下の鼠どもをあらかた片付けたら、すぐに大広間へ向かう。……君の最初の一曲に間に合わせるためにな」
「お待ちしておりますわ、私の王子様」
私は、男装のままではあるが、可憐な令嬢としての甘い微笑みを返した。
こうして、すべてに決着をつける運命の夜の計画が固まった。
白薔薇舞踏会。
それは、私の令嬢としてのデビューの場であり、叔父の縁談を粉砕する反撃の場であり、そして国家を揺るがす陰謀を摘発する決戦の場となったのだ。
◇◇◇
そして、ついに。
白薔薇舞踏会の前夜。
「お嬢様……いえ、リリアーナ様。完成いたしました」
ローゼンフェルト伯爵邸の自室。
侍女のミレーヌが、感動で声を震わせながら、トルソーに掛けられたドレスの覆いを取り払った。
「ああ……」
私は、息を呑んでそのドレスを見つめた。
真珠色の最高級シルクが、流れるような美しいシルエットを描いている。
そして、胸元から裾にかけて惜しげもなくあしらわれているのは、お母様の形見である、繊細で精巧な『白薔薇のレース』。
職人たちの手によって見事に蘇ったそのレースは、月光を浴びて淡く、けれど確かな誇りを持って輝いていた。
『この夜だけは、お前が主役よ』
お母様の優しい声が、耳の奥で蘇る。
前世で、私はずっと王子様だった。
今世でも、三か月間、男装して完璧な貴公子を演じ続けてきた。
でも、明日だけは違う。
「ミレーヌ、ありがとう。本当に、魔法みたいに綺麗」
「リリアーナ様の美しさを引き立てるための、最高の鎧でございます」
「ふふっ、鎧ね。間違っていないわ」
私は、ドレスのレースにそっと指先を這わせた。
明日は、私が一番輝く舞台だ。
誰の代わりでもない、私自身の人生を歩み始めるための、特別な夜。
叔父の陰謀も、宰相の企みも、全て私の手で、美しく華麗に薙ぎ払ってみせる。
そして、全てが終わった後、大広間の中央で、あの人に手を取ってもらうのだ。
「待っていてくださいませ、殿下」
私は、窓の外に浮かぶ丸い月を見上げながら、静かに、けれど熱い決意を胸に刻み込んだ。
明日、全ての幕が上がる。




