第32話 王太子と私の、秘密の共闘関係
「……私の可愛い男装令嬢。君の正体は、私が全力で隠そう。だから、安心して私の腕の中にいろ」
王太子アレクシス殿下の私室。
暖炉の火が赤々と燃えるこの部屋で、私は信じられない言葉を聞かされていた。
身代わりであることがバレた。女であることがバレた。
それなのに、殿下は私を処罰するどころか、むしろより一層強固に私の身柄を確保しようとしている。
腕に回された殿下の力は、決して強くはないのに、何よりも逃げられない拘束具のように感じられた。
その瞳に宿る熱は、冷徹な王太子のものではなく、ひとりの男性が愛しいものを守ろうとする熱情そのものだ。
「……殿下。なぜ、そこまで」
私は、殿下の胸板に頭を預けたまま、小さく呟いた。
「なぜ、王宮を欺いた私を許し、隠そうとまでなさるのですか。殿下にとって私は、王室を脅かす危険分子……ではないのですか?」
「危険分子などではない。……君は、私の『最重要戦力』であり、そして私の『愛すべき存在』だ」
殿下は、私の背中を優しく撫でながら、満足げに笑った。
「君が女であり、そして私の探していたあの令嬢であると分かった今、全てが腑に落ちた。あの舞踏会の夜、私を魅了した存在が君だったからこそ、私は君を誰の目にも触れさせたくないのだ」
その言葉は、私の心を甘く、激しく揺さぶった。
『役』ではなく、『私本人』を愛してくれている。
この冷徹な王太子殿下が、たった一人の女性として、私を見てくれている。
その事実に気づいた瞬間、これまで私の胸の奥に澱のように溜まっていた「身代わりであることの罪悪感」が、少しだけ洗い流されるような気がした。
「……分かりました。殿下の共闘の申し出、お受けいたします」
私は、殿下の胸板から顔を上げ、彼の青灰色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ただし、条件があります。私はあくまで、兄が戻るまでの『リオン』です。そして、白薔薇舞踏会では、私の望む通りに『リリアーナ』として振る舞います。殿下は、私を無理やりどちらかの枠に押し込めるようなことはなさらないと、誓ってください」
殿下は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、ふっと目元を崩して笑った。
「……面白い。私の溺愛を条件付きで突き返す女など、世界中どこを探しても君くらいだろう」
殿下は、私の頬に軽く口付けを落とすと、満足そうに腕を解いた。
「いいだろう。約束する。君が『リオン』として振る舞う間は、私は君を厳格な上司として扱う。だが、ひとたび君が『リリアーナ』として私の前に現れた時は……誰よりも情熱的に愛でてやる。覚悟しておくことだな」
私は、顔がボンッと音を立てんばかりに赤くなるのを感じた。
覚悟、だなんて。それって実質、舞踏会での正体バレ確定演出ではないか。
「……それから、調査の件だが」
殿下は、表情を引き締め、机の上の地図を指差した。
「君が地下で見つけた見張りたち。彼らが守っていたのは、おそらく宰相派が横領した金銭だけでなく、王家の根幹に関わる機密文書の隠し場所だ。私の隠密調査の主幹として、今後は『宰相府の不正の証拠』を、君の手で掴み取ってほしい」
「お兄様が追っていた、まさにその闇ですね」
「ああ。君の兄が国境で証拠を固めている間に、私たちは王宮内部から奴らの逃げ道を塞ぐ。……リオン、君のその完璧すぎる王子様スキルが、今こそ必要だ」
「……御意にございます、殿下」
私は、殿下の言葉に深く頷いた。
三か月だけ、壁のシミになってやり過ごす。
そんな計画はもう遠い過去の話だ。
私は今、この国の運命を左右する巨大な陰謀の、ど真ん中に立っている。
だが、恐れることはない。
前世で何千人もの観客を魅了してきた私の演技力と、今世で身につけた王太子との秘密の共闘関係がある。
どんな悪役相手だろうと、私の舞台の上では、思い通りにはさせない。
◇◇◇
王太子殿下の私室を辞し、廊下へ出た私は、重い溜息を吐き出した。
あぁ、疲れた。精神力のごっそり削られる時間だった。
しかし、ホッとする間もなかった。
暗い回廊の影から、血相を変えた侍女のミレーヌが飛び出してきたのだ。
「お嬢様! 大変でございます!」
「ミレーヌ? どうしたの、そんなに慌てて」
私は男装の『リオン』のままだが、彼女にはもう私の正体も、そして王太子と秘密を共有したことも話してある。
「我が家のベルナール叔父様が、あろうことか『リリアーナ様の持参金』を根拠にして、舞踏会当日、強引な縁談を仕組もうとしているという情報が入りました!」
「縁談……?」
私の思考が、一瞬停止した。
白薔薇舞踏会当日に、強引な縁談?
「はい! なんでも、叔父様が領地で癒着している悪徳貴族の跡取りと、リリアーナ様を舞踏会の場で引き合わせ、その場で婚約を承諾させるという筋書きのようです! そうすれば、リリアーナ様の持参金と、本家の影響力を分家が手に入れられると……!」
「なんて……なんて下衆な……!」
私は、拳をギュッと握りしめた。
白薔薇舞踏会は、私にとってのデビューの夢であると同時に、私の『人生』を切り開くための重要な勝負の場だ。
そこで私の許可もなしに、悪徳貴族との婚約を強制されるなんて、絶対に許されない。
「お嬢様、このままではリリアーナ様としてデビューする前に、身売りされてしまいます!」
ミレーヌが、涙目で私を見上げる。
「大丈夫よ、ミレーヌ」
私は、怒りでメラメラと燃える瞳を、ローゼンフェルト伯爵邸の方角へと向けた。
「叔父は、私のことを『か弱い令嬢』だと思っているのでしょう。けれど、残念ながら、私はこの三か月間、王太子殿下の地獄のような……いえ、極上の教育を受けてきたのよ」
私は、不敵な笑みを浮かべた。
「縁談? 結構だわ。そんなもの、舞踏会当日に、私自身の圧倒的な『演技力』と『王子様スキル』で、完璧に木っ端微塵にして差し上げますわ。……私を侮ったことを、後悔させてやる」
兄の陰謀調査に加え、叔父の縁談破壊。
白薔薇舞踏会は、想像以上に過酷な決戦の場となりそうだった。
けれど、今の私にはアレクシス殿下という最強の共犯者がいる。
私は、決戦の火蓋が切られるその日に向けて、静かに、しかし確実に戦意を燃やし始めるのだった。




