第28話 実の兄の失踪理由がシリアスすぎました
国家の命運をかけた、最高機密の隠密調査。
その主幹という、新米の側近見習いにはあまりにも重すぎる大役を命じられた翌日。
私は王太子の執務室の自分のデスクで、渡されたばかりの極秘資料を前に、盛大に遠い目をしていた。
(どうしてこうなった……。本当に、どうしてこうなったのよ……!)
心の中で、何度目かも分からない絶叫が木霊する。
ただの身代わりとして、三か月間ひっそりと息を潜め、壁のシミになってやり過ごす。
それが私の完璧な人生計画だったはずだ。
それなのに、今や王太子殿下の有能な右腕(不本意)としてロックオンされ、挙げ句の果てには、先日ドレス姿で命からがら逃げ出した『宰相派の秘密の巣窟』へと、正面から調査に乗り込む羽目になってしまった。
「――リオン。顔色が悪いな。昨夜の疲れが残っているのか?」
執務机の向こう側から、アレクシス殿下が心配そうな、しかしどこか熱を帯びた青灰色の瞳でこちらを見つめてきた。
上着を脱いだシャツ姿の殿下は、相変わらず彫刻のように美しい。
「いえ、殿下。大役を仰せつかり、その責任の重さに身が引き締まる思いなだけでございます」
私は瞬時に完璧な貴公子の微笑みを張り付け、滑らかな美声で応じた。
これがいけない。動揺を隠そうとして『理想の王子様』のポーカーフェイスを完璧にすればするほど、殿下からの信頼度と好感度が爆上がりしていくという最悪の悪循環だ。
「そうか。君ならそう言ってくれると信じていた」
殿下は満足そうに微笑むと、声を一段と低くして続けた。
「地下の旧施設は広大で迷路のようになっている。宰相府の私兵が警備している以上、強行突破は悪手だ。まずは奴らの密会の周期と、出入り口の特定から始めてくれ。君のあの『美しい剣術』と危機察知能力があれば、必ず成し遂げられると確信している」
「御意にございます、殿下。我が身に代えましても、必ずや真相を白日の下に晒してみせましょう」
私は胸に手を当てて優雅に一礼した。
内心では「私の剣術はただの殺陣です! 本物の武装兵と戦ったら一瞬でドレスごと……じゃなくて礼服ごと細切れになります!」と血の涙を流しているのだが、舞台の幕が上がってしまった以上、トップスターは役を降りられないのだ。
◇◇◇
「――お嬢様。お疲れのところ恐れ入りますが、至急、こちらをご確認ください」
その日の夜。
心身ともにボロ雑巾のようになってローゼンフェルト伯爵邸へと帰還した私を待っていたのは、いつになく真剣な表情をした侍女のミレーヌだった。
私は『リオン』の男装のままで、兄の部屋へと移動した。
ミレーヌが部屋の扉を厳重に閉め、鍵をかける。
「どうしたの、ミレーヌ。そんなに深刻な顔をして」
「本物のリオン坊ちゃまが、失踪直前に信頼できる民間の情報屋へ預けていた手紙が、先ほど我が家の密偵を経由して届きました。お嬢様宛て……いえ、リリアーナ様宛てになっております」
「お兄様からの、私への手紙……!?」
私は、ミレーヌから手渡された古びた羊皮紙をひったくるように受け取った。
封を切り、中に書かれた兄の癖のある文字を、貪るようにして読み進める。
『親愛なるリリアーナへ。
この手紙をお前が読んでいるということは、俺はすでに姿を消し、お前が俺の身代わりとして王宮へ行っている頃だろう。酷なことをして本当にすまない。
だが、言い訳をさせてくれ。俺は、偶然にも宰相府が企てている巨大な王室転覆の陰謀……王宮地下の古代遺物を用いた資金洗浄と、私兵の育成計画を掴んでしまったんだ。
奴らは口封じのために、俺だけでなく、ローゼンフェルト伯爵家そのものを暗殺しようと動いている。俺が屋敷にいれば、お前やお父様まで巻き添えで殺される。
だから、俺は自分が囮となって宰相派の目を引きつけるために、失踪を装って国境へと向かうことにした。俺が生きている限り、奴らは俺を追う。その間に、王宮の出仕枠に『リオン』がいることで、家が健在であることを周囲にアピールし、宰相派に手を出しにくくさせる必要があったんだ。
追手から逃れる途中で、喉を潰す毒を受けた。今は声が出ないが、命に別状はない。解毒薬の当てもある。戻る時には、しばらく筆談になるかもしれない。
三か月だ。三か月だけ、なんとか耐えてくれ。その間に俺は国境で奴らの不正の決定的な証拠を掴み、必ず生きて戻る。
お前の白薔薇舞踏会の夢は、絶対に俺が守る。だから、どうかそれまで無事でいてくれ。不甲斐ない兄より』
「お兄様……」
手紙を読み終えた瞬間、私の指先が微かに震えた。
胸の奥から、言葉にならない熱い感情が込み上げてくる。
これまで、私はどこかで兄に対して「お披露目の宮廷茶会の前夜に突然いなくなるなんて、なんて我が儘で無責任なお兄様なの」と、不満を抱いていた。
けれど、違ったのだ。
兄は、自分一人の我が儘で逃げ出したのではなかった。
ローゼンフェルト家を、お父様を、そして他ならぬ私リリアーナの命と夢を守るために、自ら危険な囮となって、暗殺者たちの前に飛び出していったのだ。
「……バカね、本当におバカさんだわ」
私は、手紙をギュッと胸に抱きしめながら、ポロリと涙を零した。
前世で、一人で重圧を背負い込んで潰れそうになっていた、あの不器用な後輩たちの姿がまたしても脳裏をよぎる。
どうしてこの世界の男たちは、どいつもこいつも一人で悲劇のヒーローを気取ろうとするのか。
「お嬢様……」
「ミレーヌ。私、決めたわ」
私は、涙を指先でスッと拭うと、瞳に前世のトップスターさながらの、強固で苛烈な決意の光を宿した。
「ただの身代わりは、もう終わりよ。これからは、私が私の意志で、この舞台の主導権を握るわ。……お兄様が命がけで私たちを守ろうとしてくれたのなら、私はそのお兄様を、私の完璧な『王子様スキル』で救い出してみせる!」
宰相府の陰謀? 王室転覆?
上等じゃない。私の大切な家族と、私の悲願である白薔薇舞踏会を脅かす悪党どもなんて、私の演技力とエスコートの技術で、完膚なきまでに叩き潰してやるわ。
「ちょうどいいわ。アレクシス殿下から地下の隠密調査の権限をもらったのよ。これを利用して、王宮内の宰相派の動きを完全に把握し、お兄様の無実と証拠を逆手にとって、宰相の首をはねてやるわ!」
「お嬢様……いえ、リオン坊ちゃま。その悪いお顔、最高に男前でいらっしゃいますわ」
ミレーヌが、クスクスと冷ややかな、しかし全面的な信頼を込めた笑みを浮かべた。
よし、方針は決まった。
これからは攻めのターンよ。壁のシミになるなんていう弱気な計画はゴミ箱へポイだ。
私は完璧な『リオン』として、そして可憐な『リリアーナ』として、この異世界の歪んだシナリオを美しく書き換えてみせる。
――しかし。
そんな私の鼻息の荒い決意を、部屋を激しく叩くノックの音が遮った。
ババババンッ!
「リオン! リリアーナ! 大変だ、大変なことが起きた!」
お父様の、裏返った悲鳴のような声が響く。
私は急いで扉を開けた。
「お父様、落ち着いてください。今度はいったい何ですか?」
「お、王宮からの使者が……! アレクシス殿下からの、直々の使者が、我が家へ到着したのだ!」
お父様は、ガタガタと全身を震わせながら、私の肩を掴んだ。
「殿下からの使者? 私へ、隠密調査の追加指示でしょうか」
「違う! 違うのだ! 使者が持ってきた手紙と豪奢な贈り物の宛名は……リオン、お前ではない! 『ローゼンフェルト伯爵令嬢、リリアーナ嬢へ』となっているのだ!」
「…………は?」
私は、本日三度目の、魂の抜けた声を上げた。
リリアーナ宛て。
それはつまり、王太子アレクシス殿下が、男装の側近である私ではなく、仮面舞踏会で出会った『瑠璃色のドレスの令嬢』であり、リオンの双子の妹であるという設定の『私』に向かって、本格的なアプローチ(爆撃)を開始したことを意味していた。
攻めのターンに転じようとした瞬間に、最大の天敵から特大のカウンターを喰らった私は、ローゼンフェルト家の玄関ホールの方角を向きながら、本気で白目を剥きそうになるのだった。




