第24話 双子の妹という設定が最大限に活かされました
「君……まさか、リオン……?」
王宮の仮面舞踏会。
華やかな音楽が響く大広間の片隅で、ジュリアン殿下の震える声が私の耳を打った。
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がる。
冷や汗が、ドレスの背中をツーッと滑り落ちていくのを感じた。
(嘘でしょ……!? なんでバレるの!?)
今の私は、瑠璃色のドレスを着て、コルセットでウエストを限界まで絞り、胸のふくらみも作り、完璧な淑女のメイクと仮面を施しているのだ。
声だって変えているし、顔の半分は隠れている。
なのに、歩き方と背中のラインだけで、男装の『リオン』だと見抜くなんて。
この純真無垢な第二王子殿下の観察眼は、ある意味で王太子殿下よりも恐ろしいのではないか。
「あ、あの……何か勘違いをされているようですが」
私は、扇で顔の半分を隠したまま、必死に動揺を押し殺して首を横に振った。
「私は、リオンではございません。あのような無骨な兄と一緒にされては、少々心外ですわ」
「え……? 兄?」
ジュリアン殿下が、仮面の奥で目を瞬かせる。
私は、内心で自分自身に拍手を送りながら、堂々と胸を張った。
「はい。私は、リリアーナ・ローゼンフェルト。リオンの双子の妹でございます」
双子の妹。
王太子殿下の鋭い追及から逃れるためにも使った、この世界で最も都合のいい魔法の言葉である。
何せ、嘘ではないのだ。私は正真正銘、リリアーナなのだから。
「ふ、双子の、妹……!」
ジュリアン殿下は、あからさまにホッとしたような、そして納得したような顔で息を吐き出した。
「そ、そうだったんだ。どうりで、似ていると思った……。ごめんなさい、リリアーナ嬢。いきなり失礼なことを言ってしまって」
「いいえ、お気になさらず。双子ゆえ、よく間違えられるのです」
(男装している私と、ドレスを着ている私が間違えられるなんて、本来ならあり得ない異常事態なんだけれどね!)
私は、心の中で自分にツッコミを入れながら、優雅に微笑んでみせた。
「でも……驚いたな。リオンから、妹さんがいるとは聞いていたけれど」
ジュリアン殿下は、少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、私を見上げた。
「さっきの君の立ち姿や、あの女の人を守ろうとして前に出る時の背中のラインが、リオンにそっくりだったから。……僕、つい彼かと思って引き留めてしまったんだ」
「兄と似ていると言われるのは、令嬢としては少し複雑ですが……。殿下は、兄と親しくしてくださっているのですか?」
私が尋ねると、ジュリアン殿下の表情がパッと明るくなった。
「親しいなんて、僕の方から言うのはおこがましいけれど……リオンには、とてもお世話になっているんだ」
ジュリアン殿下は、少し伏せ目がちになり、ぽつりぽつりと語り始めた。
「僕、昔から気が弱くて、王宮の空気に馴染めなくて。いつも誰かの後ろに隠れてばかりだった。宰相派の人たちに嫌味を言われても、言い返すことすらできなくて……」
「……」
「でも、リオンは違った。彼だけは、僕を庇って、僕の代わりに堂々と立ち向かってくれた。彼の背中は、とても大きくて、頼もしくて……僕にとって、本物の騎士みたいだったんだ」
その言葉に、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
私が男装の『リオン』としてジュリアン殿下を庇ったのは、前世のお節介なスタースイッチが入ってしまったからに過ぎない。
でも、それがこうして、一人の少年の心を確かに救っていたのだ。
「……本当は僕も、彼みたいに強くなりたいんだ」
ジュリアン殿下は、ギュッと拳を握りしめ、顔を上げた。
「リオンみたいに、誰かを守れるくらい強くて、堂々とした自分に。……でも、やっぱり怖い。僕なんかが変われるのかなって、いつも不安で……」
彼の仮面の奥の瞳が、潤んで揺れている。
王族として生まれ、望まぬ政争の具として扱われ、自信を喪失してしまった少年。
私が前世で見てきた、才能はあるのにプレッシャーに押し潰されそうになっていた後輩たちと、全く同じ目だった。
私は、そっと扇を閉じ、ジュリアン殿下の前に膝を折って視線を合わせた。
「ジュリアン殿下」
「え……?」
「私の兄は、決して生まれつき強かったわけではありませんわ」
私は、とろけるような甘い声で、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「兄も、陰で血の滲むような努力をして、あの『完璧な姿』を身につけたのです。だからこそ、殿下の抱える不安や痛みが、痛いほどよく分かるのでしょう」
「リオンが……努力を?」
「ええ。ですから、殿下も必ず変われます。殿下の中にある、誰かを傷つけまいとするその『優しさ』は、何物にも代えがたい強さの種なのですから」
私は、ジュリアン殿下の震える手をそっと両手で包み込んだ。
「焦る必要はありません。少しずつ、ご自身のペースで、顔を上げていけばいいのです。……兄も、そして私も、殿下のその優しさがいつか大輪の花を咲かせることを、信じておりますわ」
私の言葉に、ジュリアン殿下の目から、ポロリと一粒の涙が零れ落ちた。
彼は、泣き笑いのような表情で、何度も何度も頷いた。
「……ありがとう、リリアーナ嬢。君の言葉、すごく嬉しかった。……君も、リオンと同じくらい、優しくて……素敵な人だね」
「勿体ないお言葉ですわ」
私は優雅に微笑み、立ち上がった。
よし。これでジュリアン殿下の誤解は完全に解けたし、彼のメンタルケアも完了だ。
これ以上長居をして、また誰かに見つかる前に、今度こそこの場を離れなければ。
「では、私はこれで失礼いたします。殿下も、どうか素敵な夜をお過ごしくださいませ」
私は完璧なカーテシーを披露し、ジュリアン殿下が引き留める前に、足早に東回廊へと向かう扉に滑り込んだ。
◇◇◇
ギィィ……。
重厚な扉を抜け、後宮側の古い通路へと足を踏み入れると、広間の喧騒が嘘のように遠のいた。
薄暗い回廊には、まばらに燭台の火が灯っているだけで、人影は全くない。
(よし、潜入成功……)
私は、ドレスの裾を少し持ち上げ、足音を殺しながら回廊の奥へと進んでいった。
兄の残した暗号。
『上手の陰。幕の裏に眠る、光の部屋』。
王宮の地下に眠るという、かつての儀式や祝祭に使われていた広大な空間。
王宮の図面を記憶しているミレーヌの指示通り、私は古いタペストリーの裏に隠された、地下へ続く螺旋階段の入り口を見つけ出した。
(ここだわ。この下に行けば、お兄様が追っていた何かが……)
私は、ゴクリと唾を飲み込み、薄暗い階段を一段、また一段と下りていった。
カツン、カツンと、ヒールの音が静寂な空間に響く。
カビと埃の匂いが鼻をつき、空気が急激に冷たくなっていくのを感じた。
やがて、長い階段の底に辿り着いた私は、前方に微かな光が漏れているのを見つけた。
(あれが、光の部屋……?)
私は壁に張り付くようにして、そっと光の漏れる角から奥を覗き込んだ。
そこには、かつては豪華な扉だったであろう、巨大な両開きの扉があった。
しかし、私の視線は扉よりも、その前に立つ『異物』に釘付けになった。
「……っ」
私は、思わず息を呑み、慌てて口を両手で塞いだ。
閉ざされた扉の前。
そこには、武装した二人の屈強な男が、松明を掲げて立っていた。
彼らの胸元には、暗がりでもはっきりと分かる、黒い蛇を模した紋章が刻まれている。
(あれは……宰相派の紋章……!)
間違いない。
こんな誰も寄り付かない王宮の地下の奥深くに、宰相派の私兵が見張りに立っているのだ。
『鳥はそこで籠を編む』。
王家を脅かす陰謀が、まさにこの扉の向こう側で進行している。
兄のリオンは、ここを嗅ぎ回り、彼らに見つかって命を狙われたに違いない。
ついに、兄が追っていた「闇」の尻尾を掴んだのだ。
(どうする。見張りは二人。今の私は、剣も持っていないし、こんな動きにくいドレス姿……)
私は、壁の陰でギュッとドレスの裾を握りしめた。
丸腰の令嬢が、屈強な武装兵二人を相手に強行突破するなど不可能だ。
今日は一旦引き返し、後日『リオン』として出直すべきか。
私がそう判断し、踵を返そうとした、まさにその時だった。
「――おい。そこで何をしている」
背後の暗闇から、低く、ドスを効かせた男の声が響いた。
振り返る暇もなかった。
私の腕は、背後から音もなく近づいていた三番目の見張りの男によって、ギリッと乱暴に捻り上げられたのだった。




