第23話 ドレスを着ても中身は男役トップスターでした
「やめてくださいませ……! 離して……っ!」
王宮の仮面舞踏会。
華やかな音楽と人々の喧騒から少し離れた、バルコニーへ続くカーテンの陰。
淡いピンク色のドレスを着た若い令嬢が、恰幅のいい下品な男に腕を掴まれ、涙目で抵抗していた。
「いいじゃないか、少しだけ俺と酒を飲むだけで」
「嫌です! 誰か……っ!」
助けを求める令嬢の悲痛な声。
しかし、周囲の貴族たちは厄介ごとを避けるように目を逸らしている。
仮面で顔を隠しているからこそ、誰も責任を負いたがらないのだ。
(ああもう、信じられない! この国の紳士のエスコートレベルは一体どうなっているの!?)
私の胸の奥で、カチリと音がした。
それは、か弱い娘役のピンチを前にした、男役スターの『お節介なスイッチ』が強制起動する音。
(ダメよ、リリアーナ! 今は令嬢の格好をしているのよ! ここで騒ぎを起こしたら、またアレクシス殿下に見つかってしまうかもしれないわ!)
頭の中で、理性が悲鳴を上げている。
私の本来の目的は、兄が残した暗号の先、王宮地下の『光の部屋』へ向かうことだ。
こんなところで目立っている場合ではない。
しかし。
私の身体は、理性の命令など一切無視して、優雅な足取りで二人の間へと滑り込んでいた。
「――ピシャリ!」
「痛っ!?」
私は、手にした銀色の扇を閉じ、男が令嬢の腕を掴んでいた手首の急所を、正確無比なスナップを利かせて打ち据えた。
「な、何だお前は!」
男が手を抑えながら、怒鳴り声を上げる。
私は、泣きそうになっているピンクのドレスの令嬢を自分の背後に庇うように立ち、男に向かって冷ややかな視線を向けた。
「レディが嫌がっているのが、お分かりになりませんか?」
声は、あくまで令嬢としての高さを保っている。
しかし、その響きには、前世で何千人もの観客を圧倒した、男役特有の芯のある威圧感がたっぷりと込められていた。
「なっ……女のくせに、俺に説教する気か!」
男は逆上し、私に向かって太い腕を振り上げてきた。
「ひゃっ!」
背後で令嬢が悲鳴を上げる。
だが、私の目から見れば、男の動きなどスローモーションのように遅く、そして隙だらけだった。
(大振りすぎるわ。舞台の殺陣なら、演出家にこっぴどく怒られるレベルね)
私は、微塵も慌てることなく、ふわりと瑠璃色のドレスの裾を翻した。
タッ、と。
半歩だけ斜め前にステップを踏み、男の振り下ろした腕の軌道から身体を逸らす。
そして、すれ違いざまに、閉じた扇の先で男の膝の裏を軽く突いた。
「うおっ!?」
見事に重心を崩した男は、前のめりに無様な格好で床に転がった。
「あ、あら。お足元が滑ったようですわね。大丈夫ですか?」
私は、扇で口元を隠し、極上の『淑女の微笑み』を浮かべて見下ろした。
あくまで、私は何もしていない。男が勝手に転んだだけだ。
周囲の目には、優雅に身を躱した令嬢の目の前で、酔っ払いが勝手に自滅したようにしか見えていないだろう。
「くそっ……! 覚えてろよ!」
男は、私の放つ見えない威圧感と、周囲の冷ややかな視線に耐えきれなくなったのか、這々の体で人混みの中へと逃げ出していった。
騒ぎが大きくなる前に決着がついてよかった。
私は小さく息を吐き出し、背後に庇っていた令嬢へと振り返った。
「お怪我はありませんでしたか?」
優しく声をかけると、令嬢は涙ぐんだ瞳で私を見上げた。
そして、顔を真っ赤に染め、両手で胸元をギュッと押さえた。
「お、お姉様……っ!」
「……はい?」
「なんて、なんて素敵で、お強いの……! 私、あんな風に助けていただいたの、初めてで……っ!」
令嬢の瞳には、完全な『ハートマーク』が浮かんでいた。
(……やってしまった)
私は、内心で激しく頭を抱えた。
ドレスを着て、守られる可憐な姫になるはずだったのに。
結局また、身体に染み付いた『男役の習性』で、かっこいい立ち回りをしてしまった。
結果として、王子様として令嬢を魅了するどころか、「かっこいいお姉様」として令嬢を魅了してしまったのだ。
「あ、あの! もしよろしければ、お名前を……っ!」
「名乗るほどの者ではございません。どうか、お気をつけて」
私は、令嬢の熱烈な視線から逃れるように、足早にその場を後にした。
これ以上ここにいれば、また誰かに見つかってしまう。
急いで、東回廊へと向かわなければ。
私は、壁際を伝うようにして、広間の奥へと進んだ。
目的の扉は、もうすぐそこだ。
(よし、誰も見ていないわね……)
東回廊へ続く重厚な扉に手をかけた、その瞬間。
「……待って」
背後から、ひどく震える、小さな声が聞こえた。
同時に、私のドレスの袖口を、誰かの手がきゅっと掴んだ。
「え?」
私は、ビクッとして振り返った。
そこに立っていたのは、小柄な少年だった。
真っ白な夜会服に身を包み、顔の半分を銀色の仮面で隠している。
しかし、その仮面の隙間から覗く、月明かりのような銀糸の髪と、怯えたような、それでいてすがるような大きな瞳。
(ジュリアン殿下……!?)
私は、心臓が口から飛び出しそうになった。
よりによって、第二王子殿下に見つかってしまうなんて。
彼は、男装の『リオン』である私に、異常なほど懐いている。
まさか、こんな令嬢の姿をしている私を、リオンだと見破ったのだろうか。
「あ、あの……何か御用でしょうか、可愛らしい殿方」
私は、必死に声を作って、扇で顔を隠した。
落ち着け。いくら懐かれているとはいえ、私は今、完璧なドレス姿だ。
背格好は似ていても、コルセットでくびれを作り、胸元も(パッドで)豊かに見せている。
絶対に、バレるはずがない。
しかし、ジュリアン殿下は、私の袖を掴んだまま、仮面の奥の瞳を大きく見開いていた。
「君……」
ジュリアン殿下の声が、小さく震える。
「その歩き方……それに、誰かを庇うように前に出る時の、背中のライン……」
(ひぃっ! そこ!?)
私は内心で悲鳴を上げた。
まさか、歩き方や背中のラインで気づかれるなんて。
アレクシス殿下のような鋭い観察眼とは違う。これは純粋に、私という人間を『理想の王子様』として崇拝し、見つめ続けてきた少年だからこその、恐るべき直感だ。
「君……まさか、リオン……?」
ジュリアン殿下が、信じられないものを見るような声で呟いた。
終わった。
私の王宮潜入ミッションは、地下に辿り着く前に、第二王子殿下によって完全に破綻しようとしていた。
どうする。どう言い逃れる。
王太子殿下から逃れたと思ったら、今度は第二王子殿下。
私の平穏無事な三か月は、もうどこにも存在しないのだと、私はドレスの中で冷や汗を流しながら絶望するしかなかった。




