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【連載版】今世こそ姫になりたい元男役スター令嬢、兄の身代わりで男装したら王太子に溺愛されました  作者: 他力本願寺


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第2話 男装したら家族が黙りました

漆黒の礼服に袖を通した、その瞬間だった。

私の身体が、かつての記憶を呼び覚ますように、勝手に動き始めた。


布地越しに肩のラインを確認し、背筋をすっと伸ばす。

華奢な骨格を少しでも大きく見せるため、足幅をわずかに広げ、重心をほんの少しだけ下へ落とす。


顎の角度。

伏せ目がちにするまつ毛の落とし方。

そして、空気を切り裂くように翻す、マントに見立てた礼服の裾の捌き方。


――あ、これ、前世で何千回とやったやつだ。


頭で考えるよりも先に、筋肉と骨格が「見られるための最適なポジション」を自動的に構築していく。

女性だけの星都歌劇団(せいとかげきだん)で、男役スターとして頂点を極めた前世。

スポットライトを一身に浴び、数千人の観客の視線を釘付けにしてきた『理想の王子様』としての所作が、私の魂の奥底からとめどなく溢れ出してきた。


ちなみに、この世界の私は、貴族として最低限の魔法の素養も持っている。

得意なのは、光と影と音を操る幻灯魔法(げんとうまほう)

父からは「実戦には向かない舞台芸のような魔法」と評されていたが、視線誘導、残像、声の反響を作ることだけは、前世の舞台経験と噛み合って異様に得意だった。

だからこそ、こうして男装した瞬間、私の周囲の空気や光までが、まるで舞台照明のように勝手に私を引き立ててしまうのだ。


「……ふぅ」


低く、甘く響くように意識して息を吐き出し、私はゆっくりと振り返った。


執務室は、水を打ったような静寂に包まれていた。


壁際に控えていた使用人たちは、目を丸くして口を半開きにしている。

いつもは冷静な侍女のミレーヌでさえ、目を瞬かせながら私のつま先から頭の頂点までをじっと見つめていた。

そして何より、土下座の姿勢から立ち上がったばかりのお父様に至っては、石像のように固まったままピクリとも動かない。


「……あの、お父様?」


私は、わざと声を少し低めに作って呼びかけた。

声帯の震えをコントロールし、広間の隅まで響くような張りのある発声。これも前世の賜物だ。


「……」

「お父様。そんなに黙り込まれると、不安になるのですが。やはり無理がありましたか? いくら双子で顔が似ているとはいえ、令嬢である私が男の服を着ているのですから、不自然で滑稽に見えるのも当然ですよね……」


そうだ、そうに違いない。

前世の癖が出たとはいえ、今の私は正真正銘の伯爵令嬢だ。

昨日までフリルたっぷりのドレスをうっとりと眺め、紅茶とお菓子の話題で盛り上がっていた可憐な乙女なのである。

無理して男ぶっている痛々しい姿に、皆、かける言葉を失っているのだ。


そう思って安堵の息をつきかけた私に向かって、お父様が震える声で呟いた。


「……いや。リオンより、よほどローゼンフェルト家の跡取りらしい」

「はい?」

「なんという威厳。なんという風格。お前がリオンでないと、誰が疑うというのだ。いや、むしろ本物のリオンよりも頼もしいではないか……!」


お父様の目に、感動の涙すら浮かんでいる。

私は絶句した。


「実の息子より跡取りらしいって、どういうことですか! 私は伯爵令嬢ですよ!? 可憐で華奢な、守られるべき深窓の令嬢のはずでしょう!?」

「いや、どう見ても立派な貴公子だ。お前が歩き出した瞬間、風が舞ったように見えたぞ」


それは幻覚ではない。計算し尽くされた足運びによる、布の完璧な翻りだ。

前世で血の滲むようなレッスンを重ねて習得した「風を纏う歩き方」の成果である。


「お嬢様」


ミレーヌが、静かに手鏡を差し出してきた。

その瞳には、隠しきれない感嘆の色が浮かんでいる。


「歩き方、視線の流し方、手首の角度。どれをとっても完璧な貴公子でございます。男装が似合わない要素を探す方が、困難というものです」

「ミレーヌまで……っ!」

「特に、その射抜くような強い目線。本物のリオン坊ちゃまにはない、どこか危険で甘い香りが漂っております。王宮の令嬢たちが束になって倒れる未来が見えますわ」

「不吉な予言をしないでちょうだい!」


私は手鏡をひったくり、そこに映る自分を睨みつけた。


鏡の中にいたのは、中性的でありながら、隙のない完成された美青年だった。

金髪の輝きはより鮮烈に、菫色の瞳はより深く神秘的に見える。

少し不機嫌そうに眉を寄せる表情すら、憂いを帯びた芸術品のように整っていた。


……前世の私そのものじゃないか。

いや、むしろ異世界の貴族という恵まれた容姿のせいで、前世よりもタチが悪い。


私は手鏡を下ろし、ギリッと奥歯を噛み締めた。


才能があるのだ。

悲しいことに、私には「理想の王子様」を演じ切る才能が、嫌というほど備わってしまっている。

息をするように相手を魅了し、無意識のうちに完璧な立ち振る舞いをしてしまう、呪いのような職業病。


似合ってしまう。

その事実自体が、今世こそはフリフリのドレスを着て、可愛いお茶会をして、王子様に溺愛される「姫」になりたかった私にとって、最大の敗北だった。


「私は……可憐なドレスが着たかったのに……っ」


内心で血の涙を流しながら、私はぎゅっと拳を握りしめた。

なんで骨格からして王子様仕様に寄っているのか。

なんでこの男物の礼服が、仕立て直したように私の体に馴染んでいるのか。


「頼む、リリアーナ。いや、リオン。その完璧な姿なら、絶対に王宮でもバレないはずだ。我が家を救ってくれ!」

「……三か月です。三か月だけですからね!」


私は悲壮な決意を胸に、念を押した。

そうだ、永遠ではない。たったの三か月、兄の代わりをやり過ごせばいいだけだ。

その間は、息を潜め、なるべく目立たず、壁のシミのように平穏無事に過ごすのだ。

そうすれば、数ヶ月後の白薔薇舞踏会には、無事に可憐なリリアーナとしてデビューできるはず。


カラカラカラ……。


窓の外から、重々しい車輪の音が聞こえてきた。

屋敷の正面玄関に、立派な馬車が止まる気配。


「王宮からの迎えの馬車が到着いたしました、リオン坊ちゃま」


ミレーヌが、淡々と、しかしどこか面白がるような声色で告げる。


逃げ道は、もう完全に絶たれた。


「……行ってきます」


私は深くため息をついた後、パチンと自分の中でスイッチを切り替えた。

背筋を伸ばし、涼やかな微笑みを唇に浮かべる。

誰もが振り返るような、完璧な貴公子の仮面を被って。


いざゆかん、伏魔殿。

どうか誰にも見つからず、私の王子様スキルが発動する暇もなく、平和に終わりますように。


そんな私のささやかな願いが、王宮に足を踏み入れた初日から粉々に砕け散ることになるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。

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